ボレロ - 第一楽章 -


ホテルマンの修行のため入社したホテルで知り合ったという彼女がいるが、

今は彼の婚約者となり、未来の経営者夫人になるべくホテルで勉強中だ。

そんな堅実な道を歩んでいる友人には取り繕いようがなく、私は珠貴との

出会いを語るほかなかった。



「惚れたとか気になるとか、そんな生半可な気持ちじゃない」


「そうか……おまえがそこまで言い切るんだ、本気なんだろう。

だがなぁ、相手が悪すぎやしないか。あっちも家を背負ってるぞ」


「そこまで具体的に考えているわけじゃない。

彼女といると無理をしなくていいんだ。 

彼女には言いたいことを言える、向こうも遠慮なく言い返す。

それが心地いいだけだ」


「そうだった、二人とも遠慮がない会話をしてたな。

珠貴さんには人を惹き付ける魅力がある。 

彼女は自分で輝いている人だと俺は感じたが」


「これまで決められた道を歩いてきた。

会社を継ぐのは義務で、嫌だということは許されなかった。 

だがそれに不満を持ったことはない。

結婚だってそうだと思っていた。

条件の合う女性と会い、たいして不服がないのなら、 

パートナーとして一緒に暮らせるはずだってな」


「初めて親に逆らうのか」


「だから、まだそこまでの気持ちじゃないと言ってるだろう。

まずは彼女の気持ちをこっちに向けることが先決だ」



そりゃそうだと狩野は高らかに笑い、ぬるくなりかけの江戸切子の中身を

一気に空けた。

俺が見た限り、向こうも満更でもなさそうだったぞと嬉しいことも口に

してくれた。



「よろしいでしょうか」



それまで黙って控えていた大女将が、膝をにじり進み出た。



「えぇ、どうぞ。大女将のご意見も伺いたい。近衛の話をどう思われましたか」


「さきほど珠貴さまとおっしゃいましたが、繊維業界トップ 

『SUDO』 の社長、須藤様の上のお嬢さまでいらっしゃいますか」


「えぇ、彼女が総領だと聞いていますが、須藤家のことをご存知ですか」


「会長がご贔屓にしてくださいました。

会長がまだ社長でいらっしゃる頃、よくお見えでした。 

須藤社長の下のお嬢さまは、近衛さまのお相手には、

少し無理があるのではと思いましたので」


「まだ中学生じゃないかな。彼女と10いくつ歳が離れていたはずだから」


「中学生だって? 妾腹の子か」


「いや、ずっと一人っ子だったが、中学生のとき妹が生まれたと聞いている」


「なるほどねぇ。妹が生まれるまで一人っ子で育てられ、

親の期待も大きかっただろう。 

今でもそれには変わりないか……珠貴さんにも跡取りとしての自覚が

しっかりと植え付けられているんだろうな。 

近衛、大変な相手に惚れたな」


「嬉しそうに言うな」



ああでもない、こうでもないと、今夜の狩野は私を肴にいつにも増して

楽しそうだった。



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