ボレロ - 第一楽章 -
「美味しい……いつも同じ言葉しかでてこないけれど、
他の言葉が見つからないわ」
「いいんじゃないか? どこかのソムリエみたいに、
詩人を気取った言葉を並べるよりよっぽどいい」
「宗一郎さんって、そんなところが乱暴ね。
私も詩人のような表現をしたいんです。
だけど、それができないから悔しいの」
「素直な表現が一番じゃないか。
咲き誇る花々の香りをちりばめた麗しさ、芳醇な深みは絵画にも似て……
なんて言われたら美味しさも半減する」
「わぁ、お上手だわ。そうそう、そんな風に言ってみたいの。良くご存知ね」
「本の受け売りだ、自分の言葉じゃない。
うまい! ってのが、一番心に響くんだよ」
「宗一郎さんったら、そんなこと女性の前でおしゃると幻滅されますわよ。
お気をつけあそばせ」
「はい、はい。女性に嫌われないよう気をつけるとしよう」
舞台の台詞のような掛け合いに、私たちは顔を見合わせて笑った。
やはり珠貴との会話は楽しい。
彼女の前なら、どんな乱暴な言葉でも平気で使うことが出来た。
今夜、いつもより珠貴に対して乱暴な言葉を使うのは、それなりの理由が
あった。
珠貴に櫻井グループの三男坊との縁談があると聞いたのだ。
彼のことは知っていた。
兄たちを凌ぐほどのリーダーシップがあると、もっぱらの評判だ。
グループ企業の中の会社のどれかを任されるのではと噂されていたが、
まさか、珠貴の父親の会社と繋がりを持とうとしているとは予想外だった。
これまでの相手とは格が違う、横槍を入れる程度ではビクともしないだろう。
苛立ちだけが大きくなっていた。
「とにかく母が乗り気なの。なんでもお会いしたことがあって、
とても感じが良かったんですって。
珠貴ちゃん、素敵な方よ。
人当たりも柔らかくてスマートな身のこなしをなさるのよって、
母が結婚するわけじゃないのにね。可笑しいでしょう」
「櫻井のことは耳に入ってくるよ。業績もいい、このさきも伸びる企業だろう。
情報が必要なら調べるが、どうする」
「そうね、いつものようにお願いします」
律儀に頭を下げた彼女は、顔を上げると恥ずかしそうな、はにかんだ表情をし、
背中に置いていた小さなバッグから小箱を取り出した。
「プレゼントです。明日、お誕生日でしょう。おめでとうございます。
一日早いけど……受け取っていただけますか」
「よく知ってたね……もらってもいいの? ここで開けてもいいかな」
「えぇどうぞ。お誕生日のこと紫子さんにお聞きしたの。
いつもご馳走していただくばかりだから、
何かプレゼントをと思って……でも理由がなくてはね。
明日が誕生日だとお聞きして、急いで用意したのだけれど」
カフスだった。
黒い石がはめ込まれた物で、金属部分がつや消しになっており、それが上品な
仕上がりになっていた。
「ありがとう。高価なものなんじゃないかな、気を使わせてしまったね」
「いいえ、自分の収入の範囲です。背伸びしても私らしくないと思って。
でも、こうして見るとやっぱり小さいわね。
もう少し大きい石を選べばよかったわ」
「これくらいが使いやすいよ。金属面のマットな手触りもいいね。
気に入ったよ」
袖口のカフスをはずし、もらったばかりの品と取り替えた。
ダウンライトの照明が石に反射し、深い色合いを見せてくれる。
もう一度彼女に礼を言い、思わぬプレゼントにさきほどまでの苛立ちは
消えていった。