ボレロ - 第一楽章 -


そこは、初めて足を踏み入れる場所だった。

父が接待や会合などで利用する割烹のひとつで、これまでこのような場所に

私を連れてきたことなどなかったのに、今夜は同席しなさいと、父は断れない

口調で私に言い渡した。


玄関で出迎えてくれたのがここの女将らしく、ようこそおいでくださいました、

と私にも深々と頭を下げ、こちらへどうぞと奥へと案内された。

料亭や割烹が軒を並べる一角の一番奥まった場所にある 「割烹 筧」 は、 

表通りの喧騒から閉ざされたかのように、庭の水音だけが聞こえていた。

床には季節の花が生けられ、掛け軸には私でも知っている画家の雅号が

見えた。


夜の割烹なんて行ったことないのよ……出掛けに母がそう言っていた。

男達が顔を揃え、公の場ではできない話をするために、もてなしを受けながら

スムーズに事を進めていく場所なのだ。

どことなく緊迫感のある部屋を見ながら、そんなことを感じていた。


宗一郎さんもこの時間、どこかで同じように過ごしているのだろう。

本来なら、彼との定例の会食の日だった。

先に彼から日延べの申し出があったが、今日いきなりここへ同席するように

言われた私にとって、日にちの変更は好都合だった。

これからこんなことが多くなってくるのだろう。

今までのように、ある程度自由でいる時は少なくなってきそうだと思っている

ところに相手側の到着が告げられた。





「そうでしたか。息子をご存知だったとは、これも縁でしょう」


「まったくです。これを機に、この先もご縁が繋がれば良いのですが」


「同感です。いやぁ、それにしても奇遇です。幸先がいいではありませんか」



私の目の前には、会社の取引先の社長と先日エレベーターに乗り合わせた

男性が座っていた。

座敷に入るなり私も彼も、あっと驚き、挨拶もそこそこに先日の礼を改めて

述べることになったのだった。


父によれば、そろそろ娘にも後継者としての自覚を持ってもらうために

今日ここに同席させたと言う事だったがそれは口実にすぎず、彼との

引き合わせの場にしたのは明白だった。

しかし、そこは私の性格を知り尽くしている父でそんな素振りは一切見せず、

終始仕事の話で通している。

今夜のことは母も知っていたはずだ、それで割烹なんて羨ましいと言いたげな、

出掛けのような言葉になったのだろう。


父の策略に腹を立ててはいたが、相手の男性は先日と同じく穏やかな物腰で、

私への気遣いも見せてくれた。

なるほど母が気に入った相手だけのことはある。 

社長である父親たちに混じり、控えめながら自分の意見を述べていく。 

それが自分本位でなく、どうしてそう思うのかを理路整然と述べていく様は、 

聞いていて気持ちのいいものだった。

この人なら父と対等にやっていくかもしれない、そんな頼もしい思いさえして

くるのだった。




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