ボレロ - 第一楽章 -
契約前の互いの意思確認でもある席は、部外者の同席を嫌うと知っているの
だろう。
料理が運ばれてしばらくは誰も近づかなかったこの部屋に、廊下から
落ち着いた声が掛けられた。
障子を開け姿を見せたのは、ろうたけた女性で、綺麗に歳を重ねた顔に、
ゆるく結んだ帯が馴染んだ着物が良く映えていた。
「大変ご無沙汰しております。
秋の一品をご用意いたしましたが、いかがでございましたでしょうか」
「これは、これは、久しぶりにお目にかかりましたね。
大女将もお元気そうでなにより。
まだ現役でいらっしゃるのか、たいしたものだ」
「最近はご挨拶をさせて頂くだけでございます。
お懐かしい方々がお見えと聞きまして、出張ってまいりました」
「はは……大女将にはかないませんな。
我々の若い頃から知られていますからね。
今日はこうして次の世代を連れてきました。お見知りおきを」
父たちが続けて私たちを紹介した。
大女将と呼ばれたその人は父の親の世代だろうに、私たちにも丁寧な挨拶を
向け、これからもよろしくお願いいたしますと続けた。
この人になんと呼びかけたらいいものかと思い、父にそっと耳打ちしたのが
聞こえたのだろう。
「お嬢様。志保とお呼びくださいませ」
「お名前をお呼びするのですか。でもそれでは……」
「若いお嬢様から名前で呼んでいただけるのでしたら、
私も若返った気がいたしますの。ぜひそのように」
「そうですか……では……志保さん、こちらの掛け軸、
大変素晴らしいものですね」
まぁ、お目に留まりましたかと、志保さんは さも嬉しそうに掛け軸の説明を
始めた。
作者の背景をまじえて語られる解説は、古美術品に通じている父の興味も
引いたようで、楽しい座となっていった。
ひとしきり話し終えると、どうぞごゆるりとお過ごしくださいませと流れる
ような挨拶をし座敷をあとにしたのだが、その後、化粧室に立った私は、
廊下の突き当たりで志保さんに再会した。
「今日はお若い方が大勢いらっしゃって、本当に頼もしいことでございますね」
私の姿を見て歩み寄った志保さんは開口一番こんな言葉を口にし、
不思議そうに首を傾けている私を促すように、廊下の奥へと視線を移した。
そこには、今夜会うはずだった人が立っていた。