ボレロ - 第一楽章 -


ふたたびサンドイッチに手を伸ばし、口に入れる前に、「わかった」 と

一言告げると、一礼して部屋を出て行く平岡の背に声を掛けた。

振り向いた顔は、私のキューをさばく手の動きから察したようだ。



「平岡、今夜久しぶりにどうだろう」


「いいですね。彼らも呼びますか」


「そうだな、都合のつくヤツだけでいい。無理には誘うな」


「わかりました……あの……」


「なんだ」


「サクライの件ですが、もう少し待っていただけますか。

おそらく間違いないと思いますので」


「わかったのか」


「かなり巧妙な操作がなされているようですね。

まぁ、それを言ってしまえば、埃の出ない企業なんてありませんが」


「そうか、君の目論見どおりだったってことか……

さっきはイラついて悪かった」


「いいえ……長い付き合いですから、近衛先輩」



先輩と呼んだことでようやく彼本来の表情が見え、学生時代と同じ顔になった。

平岡は大学の後輩であり、彼の父親はウチの系列会社の社長に就任した

ばかりだった。 

いずれは父の事業に携わるのだろうが、できるだけ他の場所で経験を

積ませたいとの父親の希望で私の元に配属された。

彼が言ったように付き合いは長く、私のプライベートも深く知る一人で、 

『割烹 筧』 で珠貴に出会ったあとの私の変化も彼は見ていた。



「ですが、さきほどの会議の発言は、少々大人気なかったかもしれませんね」


「わかった、わかった。もう言うな」


「では、余計なことついでに言わせてもらいます」



こんなことを言うときの平岡の顔は副社長の秘書ではなく、先輩を心配する

後輩のおせっかいな表情になるのだった。 



「彼女の周辺はなんとか抑えることが出来ますが、

須藤さんと気まずいままでいいんですか……

こういってはなんですが、そこが先輩らしいと言えば先輩らしいというか」


「平岡、おまえも嫌味なヤツだな」


「いえ、先輩ほどじゃないですね」


「俺らしいか……どうしてもブレーキがかかってしまうんだ」


「ブレーキですか……近衛宗一郎に、こんな繊細な面があるなんて

誰も思わないでしょうね」


「繊細じゃない、臆病なだけさ」



自嘲気味に言ってみたが、平岡には見透かされているだけに、つい言い訳

がましい言葉がでてしまう。

今回もそうだ、珠貴が関わっている櫻井祐介に関する資料を集める過程で

偶然わかった。 

彼の会社の不正について、それを追及したからといって、私と珠貴の関係は

なんら変わることはないのだ。

珠貴の周辺に現れる男を潰していったところで、彼女の気持ちを捕まえ

なければ何にもならない。

気持ちのままに異性に向かうことを心のどこかで規制してきたこれまでの

自分が、こんなところにも顔を出し、一心に気持ちを向けられない

もどかしさを、仕事の現場に持ち込んでしまった。

すべてを知っているとはいえ、部下であり後輩でもある平岡にまで心配される

始末だ。


珠貴と私の場所に臆することなく入ってきた櫻井へ、嫉妬にも似た感情が

おこり、櫻井の前では親しさを隠さざるをえなかったと謝る彼女に不機嫌な

態度で接し、その場に残して立ち去ってしまった。

大人気ないどころではない。

充分に幼稚な感情であったと思い返し、気持ちのやり場に苦慮していた。






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