ボレロ - 第一楽章 -
25日、遅い時刻にロビーに姿を見せた私を、フロントにいた副支配人の
狩野は目ざとく見つけた。
「聖夜に一人とは寂しいものだな。それとも、これから美女と待ち合わせか?」
歩み寄り嫌味な言葉を重ねなが、私専用の部屋のキーを差し出す。
その手を押し戻すと怪訝な顔をした。
「今夜は使わない。これから美女と待ち合わせだ」
「ほぉ、それはそれは。それなら、これが必要になるんじゃないか?」
「いや、食事をするだけだ」
「彼女か……なるほどねぇ。ふっ、部屋に連れ込む訳にはいかないか。
まぁ、頑張れよ」
「おい、デカイ声をだすな」
瞬時にホテルマンの笑みを浮かべた狩野は、近づく珠貴に慇懃な礼を向け、
私を促してエレベーターホールへと案内した。
では、ごゆっくり……
狩野は意味ありげに言葉を残し、私たちをエレベーター前で見送った。
「今夜は輝きが違うわね。
ほら見て、あのビル、窓の明かりでツリーをかたどっているわ」
「12時を過ぎたら明かりも消えるそうだ」
二人だけの空間は、私たちの距離を一気に近づける。
腰に回した手に、彼女の手がそっと重ねられた。
「今夜はいかがですか。
アルコール度を抑えたフルーティーな物もご用意いたしておりますが」
「そうだね、もらおうか。いいだろう?」
あごを引き私に同意した珠貴に、羽田さんは嬉しそうな顔を見せ、静かに
頭を下げて立ち去った。
珠貴の胸元の石が淡い灯りに反射して煌いている。
コートの下から現れたのは、胸元の大きく開いたワンピースで、鎖骨には
ダイヤが光っていた。
「アクセサリーは嫌いだと言ってなかったかな」
「嫌いではないのよ。苦手だとは言いましたけれど。
でもね、この服には必要なんです。ここにポイントがなくちゃ」
自分の意見を主張するために尖らせていた口元を収めると、私の前に箱を
差し出して、気に入っていただけるといいけれど……と控えめな口調になった。
開けてもいいかと聞いた私へ、はい、と答えた顔の前で箱を開いた。
皮製のシガレットケースだった。
以前はかなりの数を嗜んでいたが、社内禁煙を機にここ数年は数を減らしてきた。
煙草を手にするのもごく限られた空間だけなのに、なぜ彼女に私の喫煙が
わかったのか。
「君の前で吸ったことはなかったはずだが」
「えぇ、そうね。宗一郎さんが煙草をお吸いになるとわかったのは、
この前の……」
言葉を濁すと、彼女は唇に指を立て、ほんの少し口元を突き出す仕草をした。
「あぁ、はは……そうか、だけど君もそうだろう?
メンソールの味がした。珠貴が吸うとは意外だったよ」
「そうでした……あのときイライラしていたの。
気持ちを落ち着かせようと思って、カフェに入る前に一本だけ……
女が吸うのはお嫌?」
「そんなことはない。俺だって人のことは言えないからね」
「また、宗一郎さんだけが知っている私の秘密が増えたわ」
煙草を覚えたのは、大学受験を控えた高校3年生のときだと彼女が告白した。
思い通りにならない受験勉強のイライラに、客の忘れ物の煙草を一本
拝借したのが始まりだったという。