ボレロ - 第一楽章 -
先に着いた珠貴と蒔絵(まきえ)さんは、大女将も交え歓談中だった。
お呼びだてして申し訳ありませんと、私たちに律儀に挨拶をしたあと、
「宗一郎さんと、昼間お会いすることなんて滅多にないわね」 と
意味ありげに微笑み上目遣いに私を見た。
少しだけ傾けた珠貴の顔には、蒔絵さんからプレゼントされたゴールドの
イヤリングが揺れている。
私の視線に気がついたのか、耳元に手をおき嬉しそうな顔を見せてくれた。
似合ってるよと、珠貴にだけ聞こえる声で伝えたつもりだったのに、
耳のいい後輩は私の声を拾ったようだ。
平岡の顔がニヤッと笑ったが、気づかぬ振りで渡されたおしぼりを受け取った。
この時間帯の割烹は静かなのだろうと勝手に想像していたが、思いのほか
人の気配がして、誰かに会うのではないかとそれが気になった。
「夜ほどではありませんけれど、お昼の会合にもお使いいただいております」
大女将が部屋の外から聞こえてくるざわめきについて、こんなことを言う。
「大女将みずからのお出ましで、なんだか申し訳ありませんね」
「いいえ、お二人がおそろいでお見えだと伺いまして、
私、嬉しくなりましたの。
こちらのお部屋は奥まっておりますので どうぞご安心くださいませ」
私の危惧を見透かしたような返事をし、同席している平岡へも、お父さまに
お世話になっております、と連れの女性には触れることなく、ソツのない
挨拶がされた。
卓上に料理を並べ終わると、大女将は緩やかな物腰で礼をしたのち
退席していった。
それまで緊張していたのか、蒔絵さんが大きなため息をついた。
彼女と平岡の間柄は事情があり、公にできない関係だった。
「心配しなくてもいいよ。大女将は客のことを詮索しない。
誰かに告げたりもしないからね」
「そうですか。でも、私がこの場にいて良かったのでしょうか」
「そんなことおっしゃらないで。蒔絵さんがいらっしゃらなくては、
お話が進まないのよ」
さっそくですが食事をしながら話をさせてくださいね、とみなに断ると、
珠貴は汁物の蓋に手をかけた。
左手で椀を押さえつつ、右手の指がなめらかに蓋をはずす。
彼女の指先の美しい動きは食事の度に思うことだが、その手には指輪も
ブレスレットもない。
短く切りそろえられた爪に、薄くマニキュアが乗っているだけだった。
アクセサリーをほどんと身につけない彼女が、宝飾部門を立ち上げると聞いて
平岡と同じように驚いた。