ボレロ - 第一楽章 -
これから視察に行くという彼女達は、時計を気にしつつ立ち去り、
私と平岡は気が抜けたように座敷に残された。
「君に集めてもらった資料、いらなかったな」
「そうですね。なんというか、はぁ……気が抜けました」
「俺もだ。部外者には見せられないと言われるとは思わなかった。参ったね」
「言われてみれば当たり前ですが……珠貴さん、すごい行動力ですね。
あらためて知らされた思いですよ。彼女が後継者なんだって。
先輩、前途多難ですね、どうしますか」
「バカ、そんなことわかってる。今さら蒸し返すな」
「それもそうですね」
平岡にはこんな返事をしたが、あらためて思い知らされたのは私のほうだった。
珠貴は、最初から私たちを当てになどしていなかったのだ。
彼女には、みずから未来を切り開いていく力が備わっている。
私と知り合ったからといって、こちらの力を頼りにすることなく堂々と
前に進み出した。
「平岡、あの調子じゃ、しばらくは蒔絵さんとゆっくり会えないんじゃないか」
「わかりきったことを言わないでください。
そういう先輩だって同じじゃないですか」
「そうだよ。そっちこそわかりきったことを言うな」
「先に言ったのは先輩ですよ、絡まないでくださいよ」
平岡はいつもの冷静さを忘れたように、珍しく感情的になっていた。
どちらにしても、たちが当分寂しい思いをすることだけは間違いないようだ。
そんな我々を喜ばせる出来事があったのは、バレンタインデーの前日だった。
”明日の夜、少しお時間をいただけませんか”
それだけのメールに、私は珠貴に指定された場所に出かけていった。
平岡も同じように蒔絵さんから呼び出されたようで、バレンタインデーも
忘れられたかと思ってましたと言いながら、嬉しそうに退社していった。
夜のカフェで手渡されたチョコレートはヨーロッパから取り寄せた物らしく、
シンプルな洒落たデザインの箱に収められていた。
仕事は忙しいけれどやりがいがあるのと、やや疲れを滲ませた顔だったが、
充実した毎日がうかがえ、
話しぶりから颯爽と仕事に取り組む珠貴の姿が目に浮かんできた。
何事もまず自分でやろうとすると珠貴の姿勢を好ましく、また眩しくも
感じながら、少しはこちらを頼りにしてもらってもいいのにとほろ苦さも
覚えた。