南の海を愛する姉妹の四重奏
都へ
「姉さん、見て!」
馬車の硝子窓に、張り付くようにして外を見ていたウィニーが、感嘆の声をあげた。
振りかえる彼女の顔は、素晴らしいものを見た黒い瞳を大きく見開いて、こう言うのだ。
「雪が終わってる! ここから春なの!?」
その言葉は、余りに純粋過ぎて、レイシェスを笑わせる。
「やあね、ウィニー。いきなり季節は変わったりしないわ、雪のない南側へ出ただけよ」
腰を浮かせたままの彼女を席へと戻し、落ち着かせようとするものの、やはりウィニーは、そわそわして窓の外を何度も何度も見ている。
珍しくてしょうがないのだ。
少し寄り目の愛嬌のある瞳が、めまぐるしく動いている。
ウィニーは、15歳。
元気のいい──言葉を変えるならば、跳ねやすい──輝く赤毛を何とかなだめてひっ詰めているが、本人の元気の良さはとても隠せるものではない。
美人と呼ぶには少し難しいが、寄り目気味の子犬のような黒い瞳と明るい性格も相まって、愛嬌のある顔をしている。
オリーブグリーンの古風なレースをあしらったドレスは、そんなウィニーには少しおとなしい印象だが、祖母からもらった物なのでとても気に入っているようだ。
レイシェスは、16歳。
ミルクティーのようななめらかで艶やかな淡い褐色の髪に、雪よりも白い肌、氷のような透き通る青い瞳。
気合を入れて作られた最新のドレスは、見ているだけで寒くなるような青。
母に、家の歴史の中で、一番美しい公爵として名を残すでしょうと言われた、ラットオージェン公爵家の長女にして、跡取り娘である。
そして、このまったく真反対の姿をしている二人は──姉妹だった。
彼女らの父の領地であるロアアール(北西)地方は、雪はうんざりするほど見られるが、夏はあっという間に去ってしまう。
そのため、農業が出来るのは南部の地域だけ。
代わりに、良質な針葉樹の木材と、鉄鉱石を始めとする鉱脈に恵まれ、それらを売って穀物などの農産物をよそから買うことで、ロアアールの地は成り立っていた。
そんなラットオージェン公爵家は、エージェルブ諸公国の一員である。
5人の公爵の領地と、一人の王の直轄地を合わせ、そう呼ばれている。
彼らの王は、マイア・ロシスト・エージェルブ(大いなる拳の王)という名で呼ばれている。
個人の名前はあるが、王冠を戴いたその日から、みなにそう呼ばれるのだ。
現在、8世。
すなわち8代前に、5人の領主を支配下に置き、王の名の元に彼らに公爵の地位を与え、この国を興したのである。
それまで、各領主はそれぞれ小競り合いを続け、境界線の変化を多少なりとつけていたという。
彼らの中で、ロアアール(北西)だけは、特殊な土地だった。
大きな大陸の東の端。
この国は、その大陸の一番北側から細い回廊のようにくびれ、そこから南西へ大きな拳を描くような形で存在している。
だからこそ、『大いなる拳の王』と呼ばれているのだ。
すなわち、この国と大陸をつなぐ場所は、ロアアールしかない。
昔から、大陸の敵はこの回廊を通って、ロアアールを侵攻しようとしていたのだ。
現在では、拳側はみな平和な関係を維持できているからいいものの、彼女らの先祖は大陸と拳の両側から、圧力を受けていた。
そのため、軍は堅牢な防御を得意としている。
今もなお、大陸側の防衛にその力は受け継がれていた。
地形と気候を存分に利用し、ここ二十年、一切の侵攻を許していない。
そんな危険な領地を、レイシェスはじき継がねばならなかった。
父は、現在病床に伏せっている。
優秀な側近たちのおかげで、領主としての仕事は、何とか出来ているものの、とても拳の中央に位置する王都まで行くことは出来ない。
そこで、レイシェスが父の代理として向かうことになったのだ。
二年に一度、冬の終わりに行われる謁見会に参加するために。
王の威光に陰りがないことを示威するための集まりではあるが、参加拒否は許されない。
もしも、やむを得ず公爵が出席出来ない場合は、限りなく血の近い者の代理を立てることを許されている。
この場合、それがレイシェスということになるのだ。
16歳で、王を始め他の公爵たちと渡りあわねばならない。
代理の話を聞いた時、それはもうレイシェスは憂鬱になった。
彼女は、公爵を継ぐための勉強や稽古は、子どもの頃から山ほどしてきた。
自分には、それ以外の未来などないことも分かっている。
しかし、やはりまだたった16年しか生きていないのだ。
海千山千の相手を前に、うまく渡り合える度胸も自信もありはしない。
それどころか、失敗してロアアールに届くほどの恥をかいてしまうのではないか──そんな不安が重くのしかかる。
もし、ロアアールまで届くようなことがあれば。
足元の視線を落としてため息をつくレイシェスは、ゆっくり憂鬱に浸ることは出来なかった。
視線と靴の間に、ウィニーの顔が割り込んできたからだ。
「大丈夫よ、姉さん!」
妹は、おどけて笑う。
レイシェスの心配や不安を、彼女は知っている。
だから、いつもこうして元気づけようとしてくれるのだ。
「何か失敗したら、にっこり笑って『ごめんあそばせ』と言うの。姉さんの美貌で、きっと何でも許されるわ」
それに。
レイシェスが顔を上げると、ウィニーも顔の位置を戻しながらこう続けるのだ。
「他の公爵様たちが姉さんに意地悪をしても、フラ(南)の公爵様だけは、絶対に姉さんの味方だから!」
ロアアールの夏の太陽よりも明るく、妹は自信たっぷりに笑ったのだった。
馬車の硝子窓に、張り付くようにして外を見ていたウィニーが、感嘆の声をあげた。
振りかえる彼女の顔は、素晴らしいものを見た黒い瞳を大きく見開いて、こう言うのだ。
「雪が終わってる! ここから春なの!?」
その言葉は、余りに純粋過ぎて、レイシェスを笑わせる。
「やあね、ウィニー。いきなり季節は変わったりしないわ、雪のない南側へ出ただけよ」
腰を浮かせたままの彼女を席へと戻し、落ち着かせようとするものの、やはりウィニーは、そわそわして窓の外を何度も何度も見ている。
珍しくてしょうがないのだ。
少し寄り目の愛嬌のある瞳が、めまぐるしく動いている。
ウィニーは、15歳。
元気のいい──言葉を変えるならば、跳ねやすい──輝く赤毛を何とかなだめてひっ詰めているが、本人の元気の良さはとても隠せるものではない。
美人と呼ぶには少し難しいが、寄り目気味の子犬のような黒い瞳と明るい性格も相まって、愛嬌のある顔をしている。
オリーブグリーンの古風なレースをあしらったドレスは、そんなウィニーには少しおとなしい印象だが、祖母からもらった物なのでとても気に入っているようだ。
レイシェスは、16歳。
ミルクティーのようななめらかで艶やかな淡い褐色の髪に、雪よりも白い肌、氷のような透き通る青い瞳。
気合を入れて作られた最新のドレスは、見ているだけで寒くなるような青。
母に、家の歴史の中で、一番美しい公爵として名を残すでしょうと言われた、ラットオージェン公爵家の長女にして、跡取り娘である。
そして、このまったく真反対の姿をしている二人は──姉妹だった。
彼女らの父の領地であるロアアール(北西)地方は、雪はうんざりするほど見られるが、夏はあっという間に去ってしまう。
そのため、農業が出来るのは南部の地域だけ。
代わりに、良質な針葉樹の木材と、鉄鉱石を始めとする鉱脈に恵まれ、それらを売って穀物などの農産物をよそから買うことで、ロアアールの地は成り立っていた。
そんなラットオージェン公爵家は、エージェルブ諸公国の一員である。
5人の公爵の領地と、一人の王の直轄地を合わせ、そう呼ばれている。
彼らの王は、マイア・ロシスト・エージェルブ(大いなる拳の王)という名で呼ばれている。
個人の名前はあるが、王冠を戴いたその日から、みなにそう呼ばれるのだ。
現在、8世。
すなわち8代前に、5人の領主を支配下に置き、王の名の元に彼らに公爵の地位を与え、この国を興したのである。
それまで、各領主はそれぞれ小競り合いを続け、境界線の変化を多少なりとつけていたという。
彼らの中で、ロアアール(北西)だけは、特殊な土地だった。
大きな大陸の東の端。
この国は、その大陸の一番北側から細い回廊のようにくびれ、そこから南西へ大きな拳を描くような形で存在している。
だからこそ、『大いなる拳の王』と呼ばれているのだ。
すなわち、この国と大陸をつなぐ場所は、ロアアールしかない。
昔から、大陸の敵はこの回廊を通って、ロアアールを侵攻しようとしていたのだ。
現在では、拳側はみな平和な関係を維持できているからいいものの、彼女らの先祖は大陸と拳の両側から、圧力を受けていた。
そのため、軍は堅牢な防御を得意としている。
今もなお、大陸側の防衛にその力は受け継がれていた。
地形と気候を存分に利用し、ここ二十年、一切の侵攻を許していない。
そんな危険な領地を、レイシェスはじき継がねばならなかった。
父は、現在病床に伏せっている。
優秀な側近たちのおかげで、領主としての仕事は、何とか出来ているものの、とても拳の中央に位置する王都まで行くことは出来ない。
そこで、レイシェスが父の代理として向かうことになったのだ。
二年に一度、冬の終わりに行われる謁見会に参加するために。
王の威光に陰りがないことを示威するための集まりではあるが、参加拒否は許されない。
もしも、やむを得ず公爵が出席出来ない場合は、限りなく血の近い者の代理を立てることを許されている。
この場合、それがレイシェスということになるのだ。
16歳で、王を始め他の公爵たちと渡りあわねばならない。
代理の話を聞いた時、それはもうレイシェスは憂鬱になった。
彼女は、公爵を継ぐための勉強や稽古は、子どもの頃から山ほどしてきた。
自分には、それ以外の未来などないことも分かっている。
しかし、やはりまだたった16年しか生きていないのだ。
海千山千の相手を前に、うまく渡り合える度胸も自信もありはしない。
それどころか、失敗してロアアールに届くほどの恥をかいてしまうのではないか──そんな不安が重くのしかかる。
もし、ロアアールまで届くようなことがあれば。
足元の視線を落としてため息をつくレイシェスは、ゆっくり憂鬱に浸ることは出来なかった。
視線と靴の間に、ウィニーの顔が割り込んできたからだ。
「大丈夫よ、姉さん!」
妹は、おどけて笑う。
レイシェスの心配や不安を、彼女は知っている。
だから、いつもこうして元気づけようとしてくれるのだ。
「何か失敗したら、にっこり笑って『ごめんあそばせ』と言うの。姉さんの美貌で、きっと何でも許されるわ」
それに。
レイシェスが顔を上げると、ウィニーも顔の位置を戻しながらこう続けるのだ。
「他の公爵様たちが姉さんに意地悪をしても、フラ(南)の公爵様だけは、絶対に姉さんの味方だから!」
ロアアールの夏の太陽よりも明るく、妹は自信たっぷりに笑ったのだった。
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