南の海を愛する姉妹の四重奏
ロアアール(北西)のラットオージェン。
ロア(北)のファークロア。
アール(西)のクレイアルス。
ニール(東)のチェットセン
そして、フラ(南)のタータイト。
これが、諸公国の5公爵とその地域だ。
ロアアール以外は、全てイスト(中央)の王の直轄領と接している。
そのため、レイシェスたちはロア(北)かアール(西)のどちらかの土地を通らなければ、イストに行くことは出来ない。
よほどのことがない限り、ロアを通過するのが習わしだ。
ロアとは古い付き合いで、木材や鉱石を購入してくれるお得意様でもある。
牧畜が盛んで、良い家具職人や、鍛冶職人が揃っていることで有名な地だった。
アールは、優良で広大な農地を持っているため、ロアアールの泣き所である食料が豊富だ。
多くの食料を買う相手なので、ロアとは逆の意味でお得意様なのだが、食料という命に関わるものを取引しているため、時折衝突することもある。
食料を自給出来ないということは、他の公爵にロアアールの命をおさえられているようなものなのだ。
逆に、土地を接していない領地を持つ相手とは、利害がぶつかることが少ないため、穏やかな付き合いが可能だ。
そんな中、フラ(南)のタータイト公爵家だけは、レイシェスたちにとっては特別な国だった。
一年中、太陽が降り注ぐという、ロアアールからしたら夢のような国。
明るい赤の髪と褐色の肌を持つ、最後までイストの王の統一を苦しめた武闘派の多い国。
そう──彼らの髪は、赤いのだ。
妹のウィニーには、いや、レイシェス自身にも、間違いなくフラ(南)の血が入っていた。
父の母、すなわち祖母は、フラ(南)の公爵家から嫁いできたのである。
その髪の色は、父には遺伝しなかったが、とびこえてウィニーに受け継がれた。
ロアアールにいながら、フラのことを思わずにはいられないのは、妹のこの鮮やかな赤毛のおかげだろう。
彼女の衣装の多くは、祖母から譲り受けたもの。
祖母も赤毛だったため、その髪に似合う色の衣装を揃えていたのだ。
祖母は、沢山のフラの話を聞かせてくれた。ロアアールにはない、奇想天外な物語の数々。
そして、フラとロアアールが、遠い距離を越えて深い縁で結ばれることとなった昔話も。
その縁に導かれて、祖母はこんな寒い地に嫁いできたのだ。
青い空、青く透き通る海、真っ白な砂浜。
祖母の話の中で、レイシェスが死ぬまでに一度は見てみたいものがそれ。
ロアアールは、冬が長くどんよりとした空が多いし、回廊の北側の海は凍っていて、南側の海はいつも灰色で荒れていた。
漁業にも貿易にも、とても向いていない。
だから、そんな鮮やかな青というものを、一度でいいから見てみたかったのだ。
そんな祖母も、レイシェスが12の時に亡くなってしまった。
ウィニーは、唯一の赤毛の理解者を失い、ひどく落ち込んでしまったのだ。
だが、彼女には祖母から遺産が残されていた。
古いが質のいい、赤毛に似合う色のドレスと──文箱。
祖母が、故郷であるフラと交わした手紙である。
遠く嫁いできた彼女は、時代で相手は変えていったものの、その文通は死ぬまで続いていたのだ。
最初の手紙は、祖母の弟へ。まだ、嫁いできたばかりの若かりし頃だ。
それが、次第に弟の息子になり、最後は弟の孫になった。
祖母が大事にされていたと分かるのは、手紙の相手は全てタータイト公爵本人、もしくはその跡継ぎだったからだ。
祖母の弟も、弟の息子も──そして昨年、弟の孫がその公爵を継いだのである。
父も公爵を継ぐ前は、手紙を交わしていたという。
レイシェスたちが、その習慣を受け継げなかったのは、一重に母の圧力だった。
母は、ロア(北)の公爵家の人間で、ロアとロアアールの友好をより深めるために嫁いできた。
元々、非常に保守的だった上に、なかなか子どもに恵まれず、心苦しい生活を送っていたようだ。
ようやく出来た子どもが、レイシェスである。
女であることを残念に思った矢先、もう一度子どもを授かった。
今度こそは息子を、と言う母の祈りは結局通じず、ウィニーが生まれたのだ。
母は、そこで伏せってしまうような、か弱い人ではなかった。
もはや自分が子どもを産めないと分かるや、レイシェスを完璧な世継ぎに育てるため、スパルタ教育を開始したのである。
おかげで、彼女が物ごころついた頃には、多くの教師に囲まれていることとなった。
放っておかれたのは、妹だった。
母にとって、二人目の娘ということでとどめを刺したウィニーは、その上、ロアにもロアアールにもほとんどない赤毛で。
一方、レイシェスは父に似た生粋のロアアールの容姿をしていて、そしてまたとても美しかったため、母の中の格差は誰の目から見ても明らかになった。
最低限の教師はつけられたが、事実上妹は母に無視されていたのだ。
そんなウィニーの心を、明るく育てたのが祖母だった。
その祖母が亡くなった後、妹はドレスとフラとの文通を受け継いだのである。
誰に出しているのかと聞くと、公爵本人だというではないか。
公爵は忙しくて失礼だろうから、どなたか紹介をしてもらいなさいと言ったのだが。
その次のフラからの手紙を、ウィニーは見せてくれた。
『ロアアールとの手紙は、三代に渡り公爵か公爵になるものが書く、栄誉とも言える仕事。残念ながら、まだ私には世継ぎがいないため、許されるならばこのまま私と手紙を続けて頂けないだろうか』
驚いたのは、そのへりくだった文章だ。
公爵本人が、他家の公爵の娘とは言え、これほど丁寧に手紙を書いているとは思わなかったのである。
レイシェスは、大慌てでその文通に参加した。
ロアアールに、これほどまでに礼儀を尽くす国を、無碍にしてはならないとすぐに理解したのだ。
この付き合いは、昔話だけで終わる話ではなく、ロアアールの未来に関わるかもしれない。
次期公爵になるはずの自分が、それをウィニーだけに任せておけなかった。
妹を、信頼していないと言う意味ではない。
自分が、責任を持つべきところだと思ったのだ。
最初の手紙は、これまで手紙を出さなかったことへの非礼を詫びることから始まった。
そして、それをウィニーの手紙に同封してもらえるよう託したのだ。
母は、気性も何もかも違う祖母とは、うまくいっていなかった。
同時に、母は祖母に抱く感情を、フラ(南)に抱いているように思えたのだ。
放っておかれるウィニーだからこそ、母に気づかれることなく──あるいは気づいたところで放置され──文通を続けることが出来る。
しかし、レイシェスまでフラに関わっていることが分かれば、おそらく強硬に止められるだろうと思ったのだ。
母と言い争いをすることは、もはや彼女の中にはない。
過去何度か試みたそれは、ことごとく母の絶対に折れない姿勢を見せつけられただけだった。
理屈ではない。
駄目なものは駄目なのだ。
それから、フラの公爵からの手紙は二通になった。
ウィニー宛ての封を切ると、二つの封書が現れる。
挨拶のように、女性に対する多くの賛辞の言葉が並べられた手紙を、最初は赤面して読んだものだった。
まだレイシェスは、そういう手紙を男性にもらったことがなかったのだ。
しかし、それは勿論ウィニーの手紙にも書いてあり、社交辞令であることはすぐに分かった。
フラでは、きっとこれが当たり前なのだろう。
祖母への手紙でも、よく祖母をほめるような書き出しで始まっていたものだ。
身内であってもそうなのだから、若い異性相手には更に情熱的なのだろう。
ロアアールとはまるで違う季節の話や、大陸からの侵攻を心配する話、もしそんなことがあれば、フラから飛んで来てくれることを誓われたりもした。
他愛のない少女への手紙と思われるだろうが、レイシェスは次期ロアアールの公爵だ。
そして、手紙の相手は現フラの公爵。
そんな手紙に、どうして冗談など書けようか。
多少の誇張は入っているかもしれないが、その点は社交辞令ではないような気がした。
事実、二十年ほど前に、本当に来てくれたからだ。
昔話は、後日に譲るとして、これらの手紙のやりとりで、ロアアールの姉妹はすっかりフラを好きになってしまった。
元々、祖母の話で半分恋をしていたようなものだったのだ。
そこへ、手紙の駄目おし。
これで、フラ(南)を嫌えと言われても無理な話である。
だから。
この都への謁見会で、唯一の楽しみがあるとするならば──フラの公爵との対面。
これまで、一度も出会ったことはなかった。
祖母の葬儀の頃、不幸にも公爵の正妃も亡くなっていて、他の身内の方が参列したのだ。
この馬車が、王都へ着けば、すぐにでも会える人。
だが、南への憧れを、いま思い浮かべているのはレイシェスだけではないようだ。
「フラの公爵様は、誰かと一緒に来てるかなあ」
姉の都への旅に、ギリギリで飛び乗って来たウィニーは、かの公爵一家に興味津々のようだった。
ロア(北)のファークロア。
アール(西)のクレイアルス。
ニール(東)のチェットセン
そして、フラ(南)のタータイト。
これが、諸公国の5公爵とその地域だ。
ロアアール以外は、全てイスト(中央)の王の直轄領と接している。
そのため、レイシェスたちはロア(北)かアール(西)のどちらかの土地を通らなければ、イストに行くことは出来ない。
よほどのことがない限り、ロアを通過するのが習わしだ。
ロアとは古い付き合いで、木材や鉱石を購入してくれるお得意様でもある。
牧畜が盛んで、良い家具職人や、鍛冶職人が揃っていることで有名な地だった。
アールは、優良で広大な農地を持っているため、ロアアールの泣き所である食料が豊富だ。
多くの食料を買う相手なので、ロアとは逆の意味でお得意様なのだが、食料という命に関わるものを取引しているため、時折衝突することもある。
食料を自給出来ないということは、他の公爵にロアアールの命をおさえられているようなものなのだ。
逆に、土地を接していない領地を持つ相手とは、利害がぶつかることが少ないため、穏やかな付き合いが可能だ。
そんな中、フラ(南)のタータイト公爵家だけは、レイシェスたちにとっては特別な国だった。
一年中、太陽が降り注ぐという、ロアアールからしたら夢のような国。
明るい赤の髪と褐色の肌を持つ、最後までイストの王の統一を苦しめた武闘派の多い国。
そう──彼らの髪は、赤いのだ。
妹のウィニーには、いや、レイシェス自身にも、間違いなくフラ(南)の血が入っていた。
父の母、すなわち祖母は、フラ(南)の公爵家から嫁いできたのである。
その髪の色は、父には遺伝しなかったが、とびこえてウィニーに受け継がれた。
ロアアールにいながら、フラのことを思わずにはいられないのは、妹のこの鮮やかな赤毛のおかげだろう。
彼女の衣装の多くは、祖母から譲り受けたもの。
祖母も赤毛だったため、その髪に似合う色の衣装を揃えていたのだ。
祖母は、沢山のフラの話を聞かせてくれた。ロアアールにはない、奇想天外な物語の数々。
そして、フラとロアアールが、遠い距離を越えて深い縁で結ばれることとなった昔話も。
その縁に導かれて、祖母はこんな寒い地に嫁いできたのだ。
青い空、青く透き通る海、真っ白な砂浜。
祖母の話の中で、レイシェスが死ぬまでに一度は見てみたいものがそれ。
ロアアールは、冬が長くどんよりとした空が多いし、回廊の北側の海は凍っていて、南側の海はいつも灰色で荒れていた。
漁業にも貿易にも、とても向いていない。
だから、そんな鮮やかな青というものを、一度でいいから見てみたかったのだ。
そんな祖母も、レイシェスが12の時に亡くなってしまった。
ウィニーは、唯一の赤毛の理解者を失い、ひどく落ち込んでしまったのだ。
だが、彼女には祖母から遺産が残されていた。
古いが質のいい、赤毛に似合う色のドレスと──文箱。
祖母が、故郷であるフラと交わした手紙である。
遠く嫁いできた彼女は、時代で相手は変えていったものの、その文通は死ぬまで続いていたのだ。
最初の手紙は、祖母の弟へ。まだ、嫁いできたばかりの若かりし頃だ。
それが、次第に弟の息子になり、最後は弟の孫になった。
祖母が大事にされていたと分かるのは、手紙の相手は全てタータイト公爵本人、もしくはその跡継ぎだったからだ。
祖母の弟も、弟の息子も──そして昨年、弟の孫がその公爵を継いだのである。
父も公爵を継ぐ前は、手紙を交わしていたという。
レイシェスたちが、その習慣を受け継げなかったのは、一重に母の圧力だった。
母は、ロア(北)の公爵家の人間で、ロアとロアアールの友好をより深めるために嫁いできた。
元々、非常に保守的だった上に、なかなか子どもに恵まれず、心苦しい生活を送っていたようだ。
ようやく出来た子どもが、レイシェスである。
女であることを残念に思った矢先、もう一度子どもを授かった。
今度こそは息子を、と言う母の祈りは結局通じず、ウィニーが生まれたのだ。
母は、そこで伏せってしまうような、か弱い人ではなかった。
もはや自分が子どもを産めないと分かるや、レイシェスを完璧な世継ぎに育てるため、スパルタ教育を開始したのである。
おかげで、彼女が物ごころついた頃には、多くの教師に囲まれていることとなった。
放っておかれたのは、妹だった。
母にとって、二人目の娘ということでとどめを刺したウィニーは、その上、ロアにもロアアールにもほとんどない赤毛で。
一方、レイシェスは父に似た生粋のロアアールの容姿をしていて、そしてまたとても美しかったため、母の中の格差は誰の目から見ても明らかになった。
最低限の教師はつけられたが、事実上妹は母に無視されていたのだ。
そんなウィニーの心を、明るく育てたのが祖母だった。
その祖母が亡くなった後、妹はドレスとフラとの文通を受け継いだのである。
誰に出しているのかと聞くと、公爵本人だというではないか。
公爵は忙しくて失礼だろうから、どなたか紹介をしてもらいなさいと言ったのだが。
その次のフラからの手紙を、ウィニーは見せてくれた。
『ロアアールとの手紙は、三代に渡り公爵か公爵になるものが書く、栄誉とも言える仕事。残念ながら、まだ私には世継ぎがいないため、許されるならばこのまま私と手紙を続けて頂けないだろうか』
驚いたのは、そのへりくだった文章だ。
公爵本人が、他家の公爵の娘とは言え、これほど丁寧に手紙を書いているとは思わなかったのである。
レイシェスは、大慌てでその文通に参加した。
ロアアールに、これほどまでに礼儀を尽くす国を、無碍にしてはならないとすぐに理解したのだ。
この付き合いは、昔話だけで終わる話ではなく、ロアアールの未来に関わるかもしれない。
次期公爵になるはずの自分が、それをウィニーだけに任せておけなかった。
妹を、信頼していないと言う意味ではない。
自分が、責任を持つべきところだと思ったのだ。
最初の手紙は、これまで手紙を出さなかったことへの非礼を詫びることから始まった。
そして、それをウィニーの手紙に同封してもらえるよう託したのだ。
母は、気性も何もかも違う祖母とは、うまくいっていなかった。
同時に、母は祖母に抱く感情を、フラ(南)に抱いているように思えたのだ。
放っておかれるウィニーだからこそ、母に気づかれることなく──あるいは気づいたところで放置され──文通を続けることが出来る。
しかし、レイシェスまでフラに関わっていることが分かれば、おそらく強硬に止められるだろうと思ったのだ。
母と言い争いをすることは、もはや彼女の中にはない。
過去何度か試みたそれは、ことごとく母の絶対に折れない姿勢を見せつけられただけだった。
理屈ではない。
駄目なものは駄目なのだ。
それから、フラの公爵からの手紙は二通になった。
ウィニー宛ての封を切ると、二つの封書が現れる。
挨拶のように、女性に対する多くの賛辞の言葉が並べられた手紙を、最初は赤面して読んだものだった。
まだレイシェスは、そういう手紙を男性にもらったことがなかったのだ。
しかし、それは勿論ウィニーの手紙にも書いてあり、社交辞令であることはすぐに分かった。
フラでは、きっとこれが当たり前なのだろう。
祖母への手紙でも、よく祖母をほめるような書き出しで始まっていたものだ。
身内であってもそうなのだから、若い異性相手には更に情熱的なのだろう。
ロアアールとはまるで違う季節の話や、大陸からの侵攻を心配する話、もしそんなことがあれば、フラから飛んで来てくれることを誓われたりもした。
他愛のない少女への手紙と思われるだろうが、レイシェスは次期ロアアールの公爵だ。
そして、手紙の相手は現フラの公爵。
そんな手紙に、どうして冗談など書けようか。
多少の誇張は入っているかもしれないが、その点は社交辞令ではないような気がした。
事実、二十年ほど前に、本当に来てくれたからだ。
昔話は、後日に譲るとして、これらの手紙のやりとりで、ロアアールの姉妹はすっかりフラを好きになってしまった。
元々、祖母の話で半分恋をしていたようなものだったのだ。
そこへ、手紙の駄目おし。
これで、フラ(南)を嫌えと言われても無理な話である。
だから。
この都への謁見会で、唯一の楽しみがあるとするならば──フラの公爵との対面。
これまで、一度も出会ったことはなかった。
祖母の葬儀の頃、不幸にも公爵の正妃も亡くなっていて、他の身内の方が参列したのだ。
この馬車が、王都へ着けば、すぐにでも会える人。
だが、南への憧れを、いま思い浮かべているのはレイシェスだけではないようだ。
「フラの公爵様は、誰かと一緒に来てるかなあ」
姉の都への旅に、ギリギリで飛び乗って来たウィニーは、かの公爵一家に興味津々のようだった。