南の海を愛する姉妹の四重奏
「命令だ、私の許可があるまで開けるな」
ウィニーの後方で、馬が現れた扉は閉ざされた。
そこは本来、王太子が登場するはずだった特別な扉なのだろう。
他の人間は、公爵であろうともウィニーの使った出入り口と、同じ扉を使っていたのだから。
そんな特別な扉が、閉ざされたということは。
彼女は、自分の意思でホールに帰れない、ということになるのか。
驚きながらも、ウィニーは引っ張られるその力に抵抗した。
このまま、王太子の希望通りになるということは、自分にとって危険な気がしたのだ。
「離してください!」
か弱い姫に比べたら、少しは力がある方だと思っていた。
だが、自分の手を掴む、王太子ひとつ振り払えない。それどころか、なおさら手に力を込められて、痛いほどだった。
その現象は、ウィニーを更に怖がらせた。
どうしたらいいか分からない、冷たい焦燥感が彼女の足元から這い上がってくる。
だが、そこで口がきけなくなるような、気を失うような弱さは、彼女にはなかった。
「嫌です、帰ります! 帰して! 離して!!」
パニックを起こしながらも、淑女にあるまじき勢いでジタバタと暴れ、大声を出せたのだ。
うるさそうにしながら引きずる王太子と、抵抗の限りを続ける赤毛のウィニーを、廊下に控える者たちは必死に見ないフリをしているようだった。
誰一人と、王太子を止めるものなどいない。
そう考えると、あの南長という女性は、よほど特別だったに違いない。
他の誰にも、出来ないことを言ってのけたのだから。
「はーなーしーてー!」
ウィニーは、ついに自分の足を折り曲げた。
廊下に座り込み、何が何でもついていかない気持ちをアピールしたのだ。
公爵にもらった綺麗なドレス。
それを傷つけたくないし、汚したくない。
そんな気持ちさえ、いまは頭から消し飛んでいた。
王太子は強烈なウィニーの抵抗に、一度足を止め、最大限の機嫌の悪さを表した目で、彼女を見下ろした。
直後。
こともあろうに。
彼は。
ウィニーを床に引きずったまま、歩き始めたのだ。
「きゃあっ!」
それは、なんとみっともない光景だったのか。
ドレス姿の少女を、まるで抵抗する罪びとのように、ずるずると引きずるのだ。
ウィニーの靴が、片方脱げてしまったというのに、そんなこともおかまいなしである。
さすがに、その暴挙にぎょっとした衛兵とウィニーは目が合った。
「助けてー!」
声の限りに、その衛兵に助けを求めるが、彼はあらぬ方を見てしまう。
誰も。
ここでは、誰もウィニーを助けてはくれないのだと、思い知らされる瞬間だった。
同時に。
この感覚には、覚えがあった。
母がウィニーを叱りつけている時の侍女たちが、みなこうだったではないか、と。
母の癇癪に逆らえる侍女など、誰ひとりとしていなかった。
姉でさえ無理だった。
ウィニーは、ただ母の気が済むまで言葉の限りを投げつけられ、その後、もう見たくないように追い出されるのだ。
誰も、助けてくれない。
「……」
そう理解した時、ウィニーは悲鳴をあげるのをやめた。
母にそうしてきたように、相手の気の済むまで黙ってされるがままになっていれば、いつか嵐は過ぎ去り、そのうち放り出されるのだ。
ロアアールにいる時と、同じ感情が胸をかすめる。
ずるずると。
淑女どころか、人間未満の扱いをされながら、ウィニーは──我慢しようとした。
いつもの、我慢。
いつか、ロアアールを逃げ出して、我慢のない幸せを手に入れようと思っていた。
だが、どうだ。
王都に来たとしても、結局自分は我慢することになるではないか。
母と同じように、理不尽な力に膝を折らされる。
どこに行ったとしても、同じではないのか。
たとえ、フラの公爵の妻になったとしても、必ず何かがウィニーの頭を押さえつけるだろう。
誰も自分を守ってくれない。
そんな瞬間が、いつかどこかでやって来る。
フラの公爵の顔が、心の中で浮かんだ。
いま、彼は『しょうがない』と思って、諦めているだろうか、と。
姉やスタファも、そう思って、いまもなお踊り続けているだろうか。
違う!
ウィニーは、顔を上げた。
きっと彼らは、王太子の閉ざした扉を開けようと、頑張ってくれているはずだ。
彼女の後を追おうと、手を尽くしてくれているはずだ。
確かに、いまこの瞬間で、ウィニーは誰にも守られてはいない。
だが、彼らが自分を助けようと思っているのは、間違いないはず。
王太子に髪を引っ張られた時、公爵も姉も助けに入ってくれた。
髪を直す時、スタファは追ってきてくれたし、王太子が部屋に入らないよう抵抗してくれた。
彼らの気持ちのためにも。
何としてでも、無事に帰るのだ。
ウィニーは、掴まれている手に自ら力を込めた。
自分の身体を、より王太子の腕に近づけるように。
その気配に気づいたのか、彼は足を止めて振り返る。
ありがたいことに、引きずられる力が消え、彼女は簡単に王太子の手に寄ることが出来た。
次の瞬間。
ウィニーは、彼女の手を強力に掴んでいる王太子の手に向かって。
がぶっと、噛みついたのだった。
「……!」
痛かったに違いない。
当然だ。
痛いほどの勢いで噛んだのだから。
とっさに引かれた王太子の手に、ウィニーはついに己の自由を勝ち得たのだ。
ドレス姿で、自分をほめたくなるほど身軽に立ち上がると、彼に背を向ける。
戻るのだ。
みなの待つあのホールに。
もう片方、残った靴も蹴り捨てる。
ドレスを持ち上げ、ウィニーは裸足で駆け出したのだった。
ウィニーの後方で、馬が現れた扉は閉ざされた。
そこは本来、王太子が登場するはずだった特別な扉なのだろう。
他の人間は、公爵であろうともウィニーの使った出入り口と、同じ扉を使っていたのだから。
そんな特別な扉が、閉ざされたということは。
彼女は、自分の意思でホールに帰れない、ということになるのか。
驚きながらも、ウィニーは引っ張られるその力に抵抗した。
このまま、王太子の希望通りになるということは、自分にとって危険な気がしたのだ。
「離してください!」
か弱い姫に比べたら、少しは力がある方だと思っていた。
だが、自分の手を掴む、王太子ひとつ振り払えない。それどころか、なおさら手に力を込められて、痛いほどだった。
その現象は、ウィニーを更に怖がらせた。
どうしたらいいか分からない、冷たい焦燥感が彼女の足元から這い上がってくる。
だが、そこで口がきけなくなるような、気を失うような弱さは、彼女にはなかった。
「嫌です、帰ります! 帰して! 離して!!」
パニックを起こしながらも、淑女にあるまじき勢いでジタバタと暴れ、大声を出せたのだ。
うるさそうにしながら引きずる王太子と、抵抗の限りを続ける赤毛のウィニーを、廊下に控える者たちは必死に見ないフリをしているようだった。
誰一人と、王太子を止めるものなどいない。
そう考えると、あの南長という女性は、よほど特別だったに違いない。
他の誰にも、出来ないことを言ってのけたのだから。
「はーなーしーてー!」
ウィニーは、ついに自分の足を折り曲げた。
廊下に座り込み、何が何でもついていかない気持ちをアピールしたのだ。
公爵にもらった綺麗なドレス。
それを傷つけたくないし、汚したくない。
そんな気持ちさえ、いまは頭から消し飛んでいた。
王太子は強烈なウィニーの抵抗に、一度足を止め、最大限の機嫌の悪さを表した目で、彼女を見下ろした。
直後。
こともあろうに。
彼は。
ウィニーを床に引きずったまま、歩き始めたのだ。
「きゃあっ!」
それは、なんとみっともない光景だったのか。
ドレス姿の少女を、まるで抵抗する罪びとのように、ずるずると引きずるのだ。
ウィニーの靴が、片方脱げてしまったというのに、そんなこともおかまいなしである。
さすがに、その暴挙にぎょっとした衛兵とウィニーは目が合った。
「助けてー!」
声の限りに、その衛兵に助けを求めるが、彼はあらぬ方を見てしまう。
誰も。
ここでは、誰もウィニーを助けてはくれないのだと、思い知らされる瞬間だった。
同時に。
この感覚には、覚えがあった。
母がウィニーを叱りつけている時の侍女たちが、みなこうだったではないか、と。
母の癇癪に逆らえる侍女など、誰ひとりとしていなかった。
姉でさえ無理だった。
ウィニーは、ただ母の気が済むまで言葉の限りを投げつけられ、その後、もう見たくないように追い出されるのだ。
誰も、助けてくれない。
「……」
そう理解した時、ウィニーは悲鳴をあげるのをやめた。
母にそうしてきたように、相手の気の済むまで黙ってされるがままになっていれば、いつか嵐は過ぎ去り、そのうち放り出されるのだ。
ロアアールにいる時と、同じ感情が胸をかすめる。
ずるずると。
淑女どころか、人間未満の扱いをされながら、ウィニーは──我慢しようとした。
いつもの、我慢。
いつか、ロアアールを逃げ出して、我慢のない幸せを手に入れようと思っていた。
だが、どうだ。
王都に来たとしても、結局自分は我慢することになるではないか。
母と同じように、理不尽な力に膝を折らされる。
どこに行ったとしても、同じではないのか。
たとえ、フラの公爵の妻になったとしても、必ず何かがウィニーの頭を押さえつけるだろう。
誰も自分を守ってくれない。
そんな瞬間が、いつかどこかでやって来る。
フラの公爵の顔が、心の中で浮かんだ。
いま、彼は『しょうがない』と思って、諦めているだろうか、と。
姉やスタファも、そう思って、いまもなお踊り続けているだろうか。
違う!
ウィニーは、顔を上げた。
きっと彼らは、王太子の閉ざした扉を開けようと、頑張ってくれているはずだ。
彼女の後を追おうと、手を尽くしてくれているはずだ。
確かに、いまこの瞬間で、ウィニーは誰にも守られてはいない。
だが、彼らが自分を助けようと思っているのは、間違いないはず。
王太子に髪を引っ張られた時、公爵も姉も助けに入ってくれた。
髪を直す時、スタファは追ってきてくれたし、王太子が部屋に入らないよう抵抗してくれた。
彼らの気持ちのためにも。
何としてでも、無事に帰るのだ。
ウィニーは、掴まれている手に自ら力を込めた。
自分の身体を、より王太子の腕に近づけるように。
その気配に気づいたのか、彼は足を止めて振り返る。
ありがたいことに、引きずられる力が消え、彼女は簡単に王太子の手に寄ることが出来た。
次の瞬間。
ウィニーは、彼女の手を強力に掴んでいる王太子の手に向かって。
がぶっと、噛みついたのだった。
「……!」
痛かったに違いない。
当然だ。
痛いほどの勢いで噛んだのだから。
とっさに引かれた王太子の手に、ウィニーはついに己の自由を勝ち得たのだ。
ドレス姿で、自分をほめたくなるほど身軽に立ち上がると、彼に背を向ける。
戻るのだ。
みなの待つあのホールに。
もう片方、残った靴も蹴り捨てる。
ドレスを持ち上げ、ウィニーは裸足で駆け出したのだった。