南の海を愛する姉妹の四重奏
湿布と包帯でぐるぐる巻き。
スタファの兄であるカルダの右手は、現在そういう有様だった。
幸い、骨は折れていないようだが、効き手に広がる赤と青の痛ましい腫れの色は、閉ざされた扉の強さを見せつけていた。
ウィニーは、包帯の白を痛々しく思うかもしれないが、中の色具合よりよほどマシである。
同時に、兄の覚悟を決めた時のすさまじさは、見事だと痛感せざるをえなかった。
王太子を直接ブン殴れない分、カルダは己の身体を持ってして、理不尽を訴えるのだ。
公爵の怪我というものは、簡単に一言で済ませることは出来ない。
あの衛兵たち全員の首をすっ飛ばしてなお、到底足りることはないだろう。
王や王太子へ圧力をかけることは出来なくとも、大臣や執政官たちにはやり方があるのだ。
とはいうものの。
「王太子の手に噛みついて逃げるとは……」
スタファは、つい笑いがこみ上げてしまった。
そんな王宮内での駆け引きなどと、無縁の娘が一人いる。
ウィニーだ。
彼女は、女性として正しいことをした。
何をしても、自分の身を守る。
それを、言葉通り実践したのだ。
あの王太子が、彼女に噛みつかれてどれほど驚いたかと思うと、留飲が下がる思いだった。
とはいうものの、無罪放免というわけにはいかないだろう。
次期王に、怪我をさせたのだ。
公爵に怪我をさせることよりも、更に罪が重くなる。
無理難題を言われかねないのは、火を見るより明らかだった。
だから、兄はスタファに書状を書かせた。
効き手を怪我しているために、重要な書類は彼が代筆することになるのだ。
宛名は、王太子──ではなく、王。
王太子が無茶をやらかす前に、先に王に話を通しておく方法を、兄は選んだのだ。
これは、レイシェスでは思いつけないこと。
彼女はまだ、正式な公爵ではないし、公爵という地位の使い方をよく分かっていない。
本来であれば、レイシェスは公爵である父親について学ぶのが一番いい。
机の上だけでは、決して分からない『公爵道』が、そこには必ず存在するのだから。
だが、彼女はその道は選べなかった。
母の圧力が強すぎたことと、現在、父親が身体を壊してしまっているからだ。
兄の姿を見せたことが、少しでもよい刺激になっていればいい。
スタファはそんな風に思いながらも、兄を妬ましい目で見つめたのである。
「何だ、その目は?」
兄の元に、ひっきりなしにロアアールの姉妹から手紙が届くからだ。
おそらく、お礼や怪我に対する見舞いなのだろうが、それが正直羨ましかった。
手の怪我の関係で、返事の代筆は勿論スタファになる。
ウィニーに対する返事はいいとしても、レイシェスに対する返事には、複雑なところがあるのだ。
悔しかったスタファは、自分も彼女に送る手紙を書き、一緒に届けさせたが。
兄の返事には、不穏な文章はなかったので、向こうの姉妹に王太子からの直接の咎めはいっていないようだ。
その代わりというわけではないのだろうが、こちらの方に王太子からの封書が届けられた。
封書と言っても、手紙が入っているわけではない。
封筒の中から転がり出てきたのは。
指輪、だった。
兄が、ウィニーの身代わりであるかのように差し出したそれは、ものの見事にひんまがり指輪の様相をなしていない上に、赤い石はなくなっていた。
「まだ、ウィニーのことを諦めてはいないようだな」
険しい表情で、その指輪を見つめる兄。
スタファも、非常に不快な気分を味わった。
邪魔をしたフラを、この指輪のようにひねりつぶしたいという意図と、赤い石(赤い髪のウィニー)は奪うという意図の、両方が込められている気がしたからだ。
ロアアールは、王太子に側室を送らない。
王太子は、そんな慣習など関係ないと思っているか、もしかしたら側室にしたいわけではないのかもしれない。
ただ、抵抗されるから捕まえて嬲りたい。
スタファから見れば、そう思えるところもある。
だが。
レイシェスに向けるものとは、明らかに違うものをウィニーに向けている気はした。
それは、一度でも食らえば満足するものなのか、そうでないのかは彼には判別出来ない。
たとえ、一度食らえば満足すると言われても、はいそうですかと差し出すわけにもいかないのだが。
「兄上、ウィニーだけ、先にロアアールに帰したらどうだろう」
この場所は、彼女にとってもはや危険だった。
滞在の残り日数が、それほどないとは言え、また今回のような事件が起きては非常に厄介だ。
王宮にいたところで、部屋に閉じこもっているしか出来ないだろう。
それでは、あまりにウィニーが憐れではないか。
兄は、彼の言葉に考え込んでいる。
「ロアアールに、一人だけ帰すことは難しいだろう。馬車や警備の関係もある」
だが、結論は否定的なものだった。
「だけど……」
すぐさま、スタファが説得しようと身を乗り出したが、兄に包帯のない左手で制される。
「まあ、待て。策がない訳じゃない……この馬鹿げた会が終わるまで、ウィニーはブランスカ伯のところに預けよう」
左手の向こうから語られた言葉は、彼を安堵させた。
そういう方法があったか、と。
タータイト家は、非常に革新的な人間が多い。
簡単に言えば、思い切りがよいし、反対されたって言うことを聞かない。
女性は恋愛結婚が多く、惚れた相手と見たら、どこの誰だろうが突撃していってしまう。
フラとしても、ロアアールのように王太子に娘を差し出すなんてしたくないのだが、過去に何人か側室としてあがっているのは、単純にフラの娘たちの恋愛病が発動して、その対象が王太子だったというだけである。
それと同じ要領で、都の貴族に嫁いだ者もいる。
一番、血が近いのが、さっき兄が口にしたブランスカ伯。
その妻は、ウィニーたちと同じく、彼らのはとこである。
ブランスカ伯は、王宮勤めではないので更に都合がいい。
そこならば、うっかり王太子とはち合わせることもないだろう。
何か聞かれたら、「故郷に帰しました」と言っておけばいいのだ。
とにかく引き離しさえすれば、そのうち興味を失うだろう。
かくしてフラの兄弟は、ウィニーを親戚宅へと預けることを決定したのだった。
スタファの兄であるカルダの右手は、現在そういう有様だった。
幸い、骨は折れていないようだが、効き手に広がる赤と青の痛ましい腫れの色は、閉ざされた扉の強さを見せつけていた。
ウィニーは、包帯の白を痛々しく思うかもしれないが、中の色具合よりよほどマシである。
同時に、兄の覚悟を決めた時のすさまじさは、見事だと痛感せざるをえなかった。
王太子を直接ブン殴れない分、カルダは己の身体を持ってして、理不尽を訴えるのだ。
公爵の怪我というものは、簡単に一言で済ませることは出来ない。
あの衛兵たち全員の首をすっ飛ばしてなお、到底足りることはないだろう。
王や王太子へ圧力をかけることは出来なくとも、大臣や執政官たちにはやり方があるのだ。
とはいうものの。
「王太子の手に噛みついて逃げるとは……」
スタファは、つい笑いがこみ上げてしまった。
そんな王宮内での駆け引きなどと、無縁の娘が一人いる。
ウィニーだ。
彼女は、女性として正しいことをした。
何をしても、自分の身を守る。
それを、言葉通り実践したのだ。
あの王太子が、彼女に噛みつかれてどれほど驚いたかと思うと、留飲が下がる思いだった。
とはいうものの、無罪放免というわけにはいかないだろう。
次期王に、怪我をさせたのだ。
公爵に怪我をさせることよりも、更に罪が重くなる。
無理難題を言われかねないのは、火を見るより明らかだった。
だから、兄はスタファに書状を書かせた。
効き手を怪我しているために、重要な書類は彼が代筆することになるのだ。
宛名は、王太子──ではなく、王。
王太子が無茶をやらかす前に、先に王に話を通しておく方法を、兄は選んだのだ。
これは、レイシェスでは思いつけないこと。
彼女はまだ、正式な公爵ではないし、公爵という地位の使い方をよく分かっていない。
本来であれば、レイシェスは公爵である父親について学ぶのが一番いい。
机の上だけでは、決して分からない『公爵道』が、そこには必ず存在するのだから。
だが、彼女はその道は選べなかった。
母の圧力が強すぎたことと、現在、父親が身体を壊してしまっているからだ。
兄の姿を見せたことが、少しでもよい刺激になっていればいい。
スタファはそんな風に思いながらも、兄を妬ましい目で見つめたのである。
「何だ、その目は?」
兄の元に、ひっきりなしにロアアールの姉妹から手紙が届くからだ。
おそらく、お礼や怪我に対する見舞いなのだろうが、それが正直羨ましかった。
手の怪我の関係で、返事の代筆は勿論スタファになる。
ウィニーに対する返事はいいとしても、レイシェスに対する返事には、複雑なところがあるのだ。
悔しかったスタファは、自分も彼女に送る手紙を書き、一緒に届けさせたが。
兄の返事には、不穏な文章はなかったので、向こうの姉妹に王太子からの直接の咎めはいっていないようだ。
その代わりというわけではないのだろうが、こちらの方に王太子からの封書が届けられた。
封書と言っても、手紙が入っているわけではない。
封筒の中から転がり出てきたのは。
指輪、だった。
兄が、ウィニーの身代わりであるかのように差し出したそれは、ものの見事にひんまがり指輪の様相をなしていない上に、赤い石はなくなっていた。
「まだ、ウィニーのことを諦めてはいないようだな」
険しい表情で、その指輪を見つめる兄。
スタファも、非常に不快な気分を味わった。
邪魔をしたフラを、この指輪のようにひねりつぶしたいという意図と、赤い石(赤い髪のウィニー)は奪うという意図の、両方が込められている気がしたからだ。
ロアアールは、王太子に側室を送らない。
王太子は、そんな慣習など関係ないと思っているか、もしかしたら側室にしたいわけではないのかもしれない。
ただ、抵抗されるから捕まえて嬲りたい。
スタファから見れば、そう思えるところもある。
だが。
レイシェスに向けるものとは、明らかに違うものをウィニーに向けている気はした。
それは、一度でも食らえば満足するものなのか、そうでないのかは彼には判別出来ない。
たとえ、一度食らえば満足すると言われても、はいそうですかと差し出すわけにもいかないのだが。
「兄上、ウィニーだけ、先にロアアールに帰したらどうだろう」
この場所は、彼女にとってもはや危険だった。
滞在の残り日数が、それほどないとは言え、また今回のような事件が起きては非常に厄介だ。
王宮にいたところで、部屋に閉じこもっているしか出来ないだろう。
それでは、あまりにウィニーが憐れではないか。
兄は、彼の言葉に考え込んでいる。
「ロアアールに、一人だけ帰すことは難しいだろう。馬車や警備の関係もある」
だが、結論は否定的なものだった。
「だけど……」
すぐさま、スタファが説得しようと身を乗り出したが、兄に包帯のない左手で制される。
「まあ、待て。策がない訳じゃない……この馬鹿げた会が終わるまで、ウィニーはブランスカ伯のところに預けよう」
左手の向こうから語られた言葉は、彼を安堵させた。
そういう方法があったか、と。
タータイト家は、非常に革新的な人間が多い。
簡単に言えば、思い切りがよいし、反対されたって言うことを聞かない。
女性は恋愛結婚が多く、惚れた相手と見たら、どこの誰だろうが突撃していってしまう。
フラとしても、ロアアールのように王太子に娘を差し出すなんてしたくないのだが、過去に何人か側室としてあがっているのは、単純にフラの娘たちの恋愛病が発動して、その対象が王太子だったというだけである。
それと同じ要領で、都の貴族に嫁いだ者もいる。
一番、血が近いのが、さっき兄が口にしたブランスカ伯。
その妻は、ウィニーたちと同じく、彼らのはとこである。
ブランスカ伯は、王宮勤めではないので更に都合がいい。
そこならば、うっかり王太子とはち合わせることもないだろう。
何か聞かれたら、「故郷に帰しました」と言っておけばいいのだ。
とにかく引き離しさえすれば、そのうち興味を失うだろう。
かくしてフラの兄弟は、ウィニーを親戚宅へと預けることを決定したのだった。