南の海を愛する姉妹の四重奏
ウィニーは、保護された。
レイシェスは、一人になってしまったロアアールの部屋で、寂しい気分を覚えながらも、本当にほっとしていたのだ。
これから、彼女には謁見会という重大な仕事が待っている。
そんな時に、王太子から妹を守り続けるのは、本当に大変なことだと思っていた。
フラの公爵の手際は、見事なもので。
ウィニーを置いておける屋敷と、そこへ行くまでの移動手段の全ての手配をあっという間に終えてくれたのだ。
妹が、王太子の手を噛んだという点については、既に王へ直接書状を送ったということも聞いている。
公爵という地位の使い方のひとつを、またしても見せてもらった。
ウィニーが、安全なところに移動した後、スタファがやってきたので、レイシェスは彼に食い下がった。
どんな手紙を書いたのか、知りたかったのだ。
本来であれば、公爵の手紙の内容をスタファが知ることはない。
しかし、いまの公爵は効き手を怪我している。
スタファが代筆したのでは、と読んだのだが、当たりだったようだ。
余り細かい話は出来ないと前置きした上で、彼は要点だけ語ってくれた。
「外交上のしこりになる可能性を、兄上は示唆したんですよ」
王太子の、ありえない行動はウィニーから聞いていた。
廊下を、引きずられたことまで。
それらを薄絹にくるみながら、公爵は王に報告し、フラはそれに不快な感情を覚えたことを伝えたというのだ。
妹のことは、ロアアールだけの問題ではないのだと言ってくれたのだ。
心強い味方に、本当に嬉しかった。
「けれど、何故フラがロアアールに肩入れするのか、陛下は怪しく思わないかしら」
この後の、謁見会のことを考えると、そういう理論武装の薄いところを責められるのではないかと不安になる。
「『近々、正妃として求婚する予定の女性』、だそうですよ」
難しい顔になりかけたレイシェスに、スタファの言葉はすっと転がり込んでくる。
「あら……」
余りの不意打ちの言葉に、レイシェスは驚いた顔を見せてしまった。
確かに、言葉の通りではあるのだが、まるで随分前から考えられ、当たり前のことであるかのように書かれていることにびっくりしてしまったのだ。
ほんのつい先日、この場の口約束で決まったことだったというのに。
「王太子に不快感を覚えるには、十分な理由でしょう?」
そんな彼女の顔に、少しおかしそうに微笑みながら、スタファが付け足した。
確かに。
もし、ここにウィニーがいたならば、きっと恥ずかしそうに喜んだことだろう。
「いくら王でも、フラとロアアールの両方を敵に回すのは、得策ではないと判断すると思います」
「公爵様は、素晴らしい手腕をお持ちですのね」
自分が頭でっかちであることを思い知らされるが、いい勉強をさせてもらったと、いまは考えよう。
レイシェスはそう考え、自分の中の血肉として、それらを取りこもうとした。
いつか必ず、この知識が役に立つことが来ると信じて。
「お役にたてることがあれば、いつでも私を呼んで下さい」
肩書こそ公爵ではないが、その男を一番側から見て来たスタファは、彼女に対して手を広げてくれる。
これは、本当にありがたいことだった。
「ありがとうございます」
許されるものならば、いま彼の頭の中にある全ての知識を得たいほどだ。
賢明な兄弟がいて、きちんと側に置いて育てるということは、こんなにまでも財産になるのだと痛感する。
彼女らの母が、もう少し賢明であれば、きっとレイシェスと同じようにウィニーにも学ばせたことだろう。
そうするべきだったのだ。
もし自分に不慮の事故が起きて、突然公爵を継げなくなってしまった時、ロアアールはどうなってしまうのか。
それを考えると、フラの兄弟はどちらが公爵の地位についてもおかしくない教育をされているし、もし公爵が後継ぎがいないまま亡くなるようなことがあったとしても、スタファはそこにしっかりと立つだろう。
母は、本当の意味でロアアールのことなど考えてはいなかったのだ。
ロアから嫁いできて、二人の娘を産みはしたが、あの領地の未来のことなど、本当に何ひとつ考えてなどいなかったのである。
外に出たおかげで、レイシェスにはそれがはっきりと見えた。
そして、故郷に帰った時、自分は母と対峙せねばならないということも、はっきりと理解したのだ。
ロアアールのために。
そして。
父に会わなければ。
どんな家庭教師よりも、父の身体の許す限り、語り合わなければ。
スタファを前にしながら、彼女は心の中でそう決意した。
「何でも手伝いますよ……いえ、貴女が望むのであれば、全てを捧げますよ」
そんなレイシェスの決意など、決して知ることのないはずの男は、彼女の心を揺さぶる言葉を吐くのだ。
彼は──助けになる。
スタファという人間に、貴重な本以上の価値を見出してしまったのだ。
それは、何と抗いがたい感情だったか。
その貴重な人間が、自分からレイシェスに全てを捧げてくれると言っているのだから。
ロアアールのためにも、思わず掴みたくなる衝動を、彼女はこらえた。
この衝動の根元に、『弱さ』があるのだと分かったからだ。
彼のことを『助け』と思っている時点で、それは明らかだった。
少なくとも、母に対峙するための助けにしてはならない。
でなければ、『フラ』の影響を受けたロアアールの公爵と、吹聴されるかもしれないからだ。
あの母だけは。
どうしても、レイシェス自身が越えなければならない相手だった。
彼女は、心を落ち着けてからスタファをまっすぐに見た。
「もし、そんな機会があれば、その時はよろしくお願い致します」
遠まわしに拒む言葉。
すると、スタファは一瞬笑みを消した後、より真っ直ぐに彼女を見つめ返して、こう言ったのだ。
「機会は『ある』ものじゃありません……『作る』ものですよ」
何一つ揺らぐ気配のない彼の黒い瞳は、本当に眩しく熱いものだった。
レイシェスは、一人になってしまったロアアールの部屋で、寂しい気分を覚えながらも、本当にほっとしていたのだ。
これから、彼女には謁見会という重大な仕事が待っている。
そんな時に、王太子から妹を守り続けるのは、本当に大変なことだと思っていた。
フラの公爵の手際は、見事なもので。
ウィニーを置いておける屋敷と、そこへ行くまでの移動手段の全ての手配をあっという間に終えてくれたのだ。
妹が、王太子の手を噛んだという点については、既に王へ直接書状を送ったということも聞いている。
公爵という地位の使い方のひとつを、またしても見せてもらった。
ウィニーが、安全なところに移動した後、スタファがやってきたので、レイシェスは彼に食い下がった。
どんな手紙を書いたのか、知りたかったのだ。
本来であれば、公爵の手紙の内容をスタファが知ることはない。
しかし、いまの公爵は効き手を怪我している。
スタファが代筆したのでは、と読んだのだが、当たりだったようだ。
余り細かい話は出来ないと前置きした上で、彼は要点だけ語ってくれた。
「外交上のしこりになる可能性を、兄上は示唆したんですよ」
王太子の、ありえない行動はウィニーから聞いていた。
廊下を、引きずられたことまで。
それらを薄絹にくるみながら、公爵は王に報告し、フラはそれに不快な感情を覚えたことを伝えたというのだ。
妹のことは、ロアアールだけの問題ではないのだと言ってくれたのだ。
心強い味方に、本当に嬉しかった。
「けれど、何故フラがロアアールに肩入れするのか、陛下は怪しく思わないかしら」
この後の、謁見会のことを考えると、そういう理論武装の薄いところを責められるのではないかと不安になる。
「『近々、正妃として求婚する予定の女性』、だそうですよ」
難しい顔になりかけたレイシェスに、スタファの言葉はすっと転がり込んでくる。
「あら……」
余りの不意打ちの言葉に、レイシェスは驚いた顔を見せてしまった。
確かに、言葉の通りではあるのだが、まるで随分前から考えられ、当たり前のことであるかのように書かれていることにびっくりしてしまったのだ。
ほんのつい先日、この場の口約束で決まったことだったというのに。
「王太子に不快感を覚えるには、十分な理由でしょう?」
そんな彼女の顔に、少しおかしそうに微笑みながら、スタファが付け足した。
確かに。
もし、ここにウィニーがいたならば、きっと恥ずかしそうに喜んだことだろう。
「いくら王でも、フラとロアアールの両方を敵に回すのは、得策ではないと判断すると思います」
「公爵様は、素晴らしい手腕をお持ちですのね」
自分が頭でっかちであることを思い知らされるが、いい勉強をさせてもらったと、いまは考えよう。
レイシェスはそう考え、自分の中の血肉として、それらを取りこもうとした。
いつか必ず、この知識が役に立つことが来ると信じて。
「お役にたてることがあれば、いつでも私を呼んで下さい」
肩書こそ公爵ではないが、その男を一番側から見て来たスタファは、彼女に対して手を広げてくれる。
これは、本当にありがたいことだった。
「ありがとうございます」
許されるものならば、いま彼の頭の中にある全ての知識を得たいほどだ。
賢明な兄弟がいて、きちんと側に置いて育てるということは、こんなにまでも財産になるのだと痛感する。
彼女らの母が、もう少し賢明であれば、きっとレイシェスと同じようにウィニーにも学ばせたことだろう。
そうするべきだったのだ。
もし自分に不慮の事故が起きて、突然公爵を継げなくなってしまった時、ロアアールはどうなってしまうのか。
それを考えると、フラの兄弟はどちらが公爵の地位についてもおかしくない教育をされているし、もし公爵が後継ぎがいないまま亡くなるようなことがあったとしても、スタファはそこにしっかりと立つだろう。
母は、本当の意味でロアアールのことなど考えてはいなかったのだ。
ロアから嫁いできて、二人の娘を産みはしたが、あの領地の未来のことなど、本当に何ひとつ考えてなどいなかったのである。
外に出たおかげで、レイシェスにはそれがはっきりと見えた。
そして、故郷に帰った時、自分は母と対峙せねばならないということも、はっきりと理解したのだ。
ロアアールのために。
そして。
父に会わなければ。
どんな家庭教師よりも、父の身体の許す限り、語り合わなければ。
スタファを前にしながら、彼女は心の中でそう決意した。
「何でも手伝いますよ……いえ、貴女が望むのであれば、全てを捧げますよ」
そんなレイシェスの決意など、決して知ることのないはずの男は、彼女の心を揺さぶる言葉を吐くのだ。
彼は──助けになる。
スタファという人間に、貴重な本以上の価値を見出してしまったのだ。
それは、何と抗いがたい感情だったか。
その貴重な人間が、自分からレイシェスに全てを捧げてくれると言っているのだから。
ロアアールのためにも、思わず掴みたくなる衝動を、彼女はこらえた。
この衝動の根元に、『弱さ』があるのだと分かったからだ。
彼のことを『助け』と思っている時点で、それは明らかだった。
少なくとも、母に対峙するための助けにしてはならない。
でなければ、『フラ』の影響を受けたロアアールの公爵と、吹聴されるかもしれないからだ。
あの母だけは。
どうしても、レイシェス自身が越えなければならない相手だった。
彼女は、心を落ち着けてからスタファをまっすぐに見た。
「もし、そんな機会があれば、その時はよろしくお願い致します」
遠まわしに拒む言葉。
すると、スタファは一瞬笑みを消した後、より真っ直ぐに彼女を見つめ返して、こう言ったのだ。
「機会は『ある』ものじゃありません……『作る』ものですよ」
何一つ揺らぐ気配のない彼の黒い瞳は、本当に眩しく熱いものだった。