南の海を愛する姉妹の四重奏
「あたくしとも、はとこになりますわぁね」
ブランスカ伯の奥方である赤毛の女性は、気だるそうにそう言った。
名は、ラーレ。
ウィニーの祖母の、妹の孫と言うことになる。
「お手数をおかけします、ウィニーと申します」
同じ赤毛ではあるが、自分とはまったく異なるタイプの女性だ。
色香が全身から溢れ出しているし、大きく胸元の開いた真っ赤な衣装に、毛皮のストールというセンスは、とても彼女には真似出来そうになかった。
動きや言葉も、非常にゆるやかだ。
応接室のふかふかソファに深く背を沈めたラーレは、向かいに座る自分を値踏みするように上から下に見つめる。
女としての価値に数字をつけられているようで、ウィニーは無意識に背筋をぴしっと伸ばしてしまった。
同じ赤毛であっても、生まれた国は違う。
ウィニーの恥が、ロアアールの恥としてフラの人に伝わってしまうかもしれない。
ただでさえ、随分姉には王宮で迷惑をかけてしまったのだ。これ以上、ロアアールの面目をつぶすようなことは、彼女には出来なかった。
ウィニーをひととおり眺めまわした後、ラーレは怪訝そうに首を傾げる。
「ちょっとフラにいない間に、公も随分趣味がお変わりになられたわねぇ」
その言葉は、何と言えばいいか、本当に素直に口から出た音に感じた。
不快感をあらわされるわけでもなく、歓迎するわけでもなく、ただただ不思議に思えて仕方がないという響き。
ウィニーが、フラの正妃候補だと聞かされたのだろう。
そういう目で、彼女を値踏みしていたのか。
う。
すっかり、ウィニーは恥ずかしくなってしまった。
フラの公爵は、ただ彼女の願いを聞き入れる方法を考えてくれただけで、自分が彼の好みであるなんて思ってもいない。
そういうことを考えたことがなかった、というのが正直なところだ。
そうだよね、女性として気に入られたわけはないんだよね。
今更ながらに、ウィニーはちょっとへこんでしまう。
「チチェックは、本当に惜しいことをしたわねぇ。本当に花のように美しかったのに」
寂しげにラーレが、窓を見ながら呟く。
ここにウィニーがいるというのに、すっかり自分の世界を構築してしまったようで、彼女はカヤの外だ。
ウィニーを見ているようで見ていないラーレは、社交的な意味で言えば失礼なのだろう。
しかし、彼女にはさっぱり悪気もなく、ただ自分流の時間や思考の流れを持っている人なのだろうというのは伝わってきた。
それに、いまはとても怒る気にはなれない。
ラーレが口に出した『チチェック』という名は、きっとあの人の名前だろう。
公爵の正妃でありながらも、この世にいられなかった人の。
彼女が口に出すということは、きっとタータイト家の親戚の女性だったのだろう。
ただ、ちょっと思った。
自分がフラに嫁いだら、今と同じ思いを、時々味わうのだろうと。
誰かが、チチェックという女性のことを惜しむ度に、その色を隠せない瞳でウィニーを見るのだ。
「あたくしね……チチェックだったからこそ、最後は身をひいたんでしてよ」
髪の毛を掴み合って、ケンカをしたこともありましたわ。
突然、彼女は自分世界から、とんでもない言葉と共に戻ってきた。
髪の毛を掴み合って!?
どういう状況だったのかと、ウィニーは驚きを隠せずラーレを見てしまった。
「側室にはなれたかもしれないでしょうけど、私は側室なんてまっぴらごめんでしたわ。チチェックも同じだったから、ケンカするしかなかったでしょう?」
「はぁ……」
彼女に、どんな相槌を求めているのか。
いや、きっと相槌などどうでもいいのだろう。
要するに、昔フラの公爵の正妃の地位を、掴み合いをしてまで争ったことがあるのだとラーレは言っているようだ。
このゆるやかな女性が、どうしたら掴み合いが出来るのかは、やはりやっぱり想像がつかなかった。
チチェックという女性も、同じようにゆるやかだったのだろうか。
「二人の幸せな結婚なんて、見たくはないでしょう? だから、あたくし都に旅に出ましたの」
神殿巡りの旅にかこつけた、観光旅行だと彼女は言う。
実際は、傷心旅行だったのだろう。
「神殿で今の夫と出会って、あたくし三秒で恋に落ちましたの。青銅の彫像かと間違えそうになりました。神殿の管理をさせておくには、惜しいほどですわ」
うっとりと、ラーレはその時のことを思い出す唇で、ため息を洩らす。
三秒。
ちょっと、公爵が不憫になる瞬間だった。
人の心が大きく動くのは、ほんの数秒でもありえるのか。
ウィニーには、それはよく分からなかったが、いまのラーレは幸せそうで何よりだと思う。
同時に、フラの女性はとても自分に正直なのだと分かった。
南長は、王太子にさえ逆らってみせたし、こんなゆるやかなラーレでさえ髪の掴み合いまでする。
そこにいたくないと思ったら、どんな名目であろうとも、さっさと故郷を離れてしまう。
こうしてラーレを見ていると、他の方法もあったのではないかと思えてくるのだ。
『誰か私を助けて』ではなく、自分の意思で母から離れる方法が。
ウィニーは、母と髪の掴み合いもしていない。
母親に面と向かって逆らってもいない。
フラの女性と比べると、物分かりのいいフリをした、弱い子どもであることを感じる。
ただ。
彼女は、王太子の手を噛んだ。
生まれて初めて、強いものに逆らった瞬間だった。
あの時の、がむしゃらな気持ちは、ウィニーの中になかったもの。
それは、間違いなく都に来て初めてわきあがった感情だ。
戦えるかもしれない。
夫ののろけ話を語り続けるラーレを前に、彼女はふとそう思った。
今なら、母と戦えるかもしれない、と。
ちゃんと戦って。
そして。
行きたいところに。
行けばいいのだ。
ブランスカ伯の奥方である赤毛の女性は、気だるそうにそう言った。
名は、ラーレ。
ウィニーの祖母の、妹の孫と言うことになる。
「お手数をおかけします、ウィニーと申します」
同じ赤毛ではあるが、自分とはまったく異なるタイプの女性だ。
色香が全身から溢れ出しているし、大きく胸元の開いた真っ赤な衣装に、毛皮のストールというセンスは、とても彼女には真似出来そうになかった。
動きや言葉も、非常にゆるやかだ。
応接室のふかふかソファに深く背を沈めたラーレは、向かいに座る自分を値踏みするように上から下に見つめる。
女としての価値に数字をつけられているようで、ウィニーは無意識に背筋をぴしっと伸ばしてしまった。
同じ赤毛であっても、生まれた国は違う。
ウィニーの恥が、ロアアールの恥としてフラの人に伝わってしまうかもしれない。
ただでさえ、随分姉には王宮で迷惑をかけてしまったのだ。これ以上、ロアアールの面目をつぶすようなことは、彼女には出来なかった。
ウィニーをひととおり眺めまわした後、ラーレは怪訝そうに首を傾げる。
「ちょっとフラにいない間に、公も随分趣味がお変わりになられたわねぇ」
その言葉は、何と言えばいいか、本当に素直に口から出た音に感じた。
不快感をあらわされるわけでもなく、歓迎するわけでもなく、ただただ不思議に思えて仕方がないという響き。
ウィニーが、フラの正妃候補だと聞かされたのだろう。
そういう目で、彼女を値踏みしていたのか。
う。
すっかり、ウィニーは恥ずかしくなってしまった。
フラの公爵は、ただ彼女の願いを聞き入れる方法を考えてくれただけで、自分が彼の好みであるなんて思ってもいない。
そういうことを考えたことがなかった、というのが正直なところだ。
そうだよね、女性として気に入られたわけはないんだよね。
今更ながらに、ウィニーはちょっとへこんでしまう。
「チチェックは、本当に惜しいことをしたわねぇ。本当に花のように美しかったのに」
寂しげにラーレが、窓を見ながら呟く。
ここにウィニーがいるというのに、すっかり自分の世界を構築してしまったようで、彼女はカヤの外だ。
ウィニーを見ているようで見ていないラーレは、社交的な意味で言えば失礼なのだろう。
しかし、彼女にはさっぱり悪気もなく、ただ自分流の時間や思考の流れを持っている人なのだろうというのは伝わってきた。
それに、いまはとても怒る気にはなれない。
ラーレが口に出した『チチェック』という名は、きっとあの人の名前だろう。
公爵の正妃でありながらも、この世にいられなかった人の。
彼女が口に出すということは、きっとタータイト家の親戚の女性だったのだろう。
ただ、ちょっと思った。
自分がフラに嫁いだら、今と同じ思いを、時々味わうのだろうと。
誰かが、チチェックという女性のことを惜しむ度に、その色を隠せない瞳でウィニーを見るのだ。
「あたくしね……チチェックだったからこそ、最後は身をひいたんでしてよ」
髪の毛を掴み合って、ケンカをしたこともありましたわ。
突然、彼女は自分世界から、とんでもない言葉と共に戻ってきた。
髪の毛を掴み合って!?
どういう状況だったのかと、ウィニーは驚きを隠せずラーレを見てしまった。
「側室にはなれたかもしれないでしょうけど、私は側室なんてまっぴらごめんでしたわ。チチェックも同じだったから、ケンカするしかなかったでしょう?」
「はぁ……」
彼女に、どんな相槌を求めているのか。
いや、きっと相槌などどうでもいいのだろう。
要するに、昔フラの公爵の正妃の地位を、掴み合いをしてまで争ったことがあるのだとラーレは言っているようだ。
このゆるやかな女性が、どうしたら掴み合いが出来るのかは、やはりやっぱり想像がつかなかった。
チチェックという女性も、同じようにゆるやかだったのだろうか。
「二人の幸せな結婚なんて、見たくはないでしょう? だから、あたくし都に旅に出ましたの」
神殿巡りの旅にかこつけた、観光旅行だと彼女は言う。
実際は、傷心旅行だったのだろう。
「神殿で今の夫と出会って、あたくし三秒で恋に落ちましたの。青銅の彫像かと間違えそうになりました。神殿の管理をさせておくには、惜しいほどですわ」
うっとりと、ラーレはその時のことを思い出す唇で、ため息を洩らす。
三秒。
ちょっと、公爵が不憫になる瞬間だった。
人の心が大きく動くのは、ほんの数秒でもありえるのか。
ウィニーには、それはよく分からなかったが、いまのラーレは幸せそうで何よりだと思う。
同時に、フラの女性はとても自分に正直なのだと分かった。
南長は、王太子にさえ逆らってみせたし、こんなゆるやかなラーレでさえ髪の掴み合いまでする。
そこにいたくないと思ったら、どんな名目であろうとも、さっさと故郷を離れてしまう。
こうしてラーレを見ていると、他の方法もあったのではないかと思えてくるのだ。
『誰か私を助けて』ではなく、自分の意思で母から離れる方法が。
ウィニーは、母と髪の掴み合いもしていない。
母親に面と向かって逆らってもいない。
フラの女性と比べると、物分かりのいいフリをした、弱い子どもであることを感じる。
ただ。
彼女は、王太子の手を噛んだ。
生まれて初めて、強いものに逆らった瞬間だった。
あの時の、がむしゃらな気持ちは、ウィニーの中になかったもの。
それは、間違いなく都に来て初めてわきあがった感情だ。
戦えるかもしれない。
夫ののろけ話を語り続けるラーレを前に、彼女はふとそう思った。
今なら、母と戦えるかもしれない、と。
ちゃんと戦って。
そして。
行きたいところに。
行けばいいのだ。