南の海を愛する姉妹の四重奏
レイシェスは、初めて王に会った。
王太子の謁見室よりも、10倍は大きく、そして厳(いか)めしい石作りの部屋だった。
彼女の予想よりも、もっと暗く重苦しかった。
王の栄光の華々しさを表すには、不似合いと言った方がいいか。
まるで、だだっぴろい牢獄を彷彿とさせる。
王は、ひとりひとりの公爵と、まずは謁見する。
一番最後のレイシェスに、ようやくその順番が回って来たのだ。
5公爵の地位に優劣はないが、順はある。
公爵の在任期間の長さだ。
父の代理ではあるが、父自身が来ていないため、ロアアールは最後となる。
このまま、自分が公爵になったとしても、しばらくはこの順序で安定だろう。
王は、石段の上の古く美しい、しかし飾り気の少ない木製の椅子に腰かけて、レイシェスを見下ろしていた。
初めて見る彼女を、油断なく見つめているように思えた。
「拳の地の全てを統べるマイア・ロシスト・エージェルブ(大いなる拳の王)陛下。初めてお目にかかります。ラットオージェンの一の娘、レイシェス・ロアアール・ラットオージェンと申します」
挨拶の口上は、これまでのどんな声よりも美しく朗々と発したつもりだ。
反響する自分の声に惑わされず、レイシェスはこの大きな仕事の一言目を、無事に乗り切ったのだ。
だが、緊張感や威圧感が緩んだ訳ではない。
肌がぴりぴりとするほど、王の視線が自分に注がれるのが伝わってくる。
「ロアアールは、これまで通り未来永劫、拳の全てに忠誠を誓うか?」
強く低く、声で人の頭を地べたに抑え込む音。
反発せずにはいられないような頭ごなしの言葉を、レイシェスはごくりと飲み込んだ。
何を言われるかは、一応前知識として理解していたつもりだが、王自身の口から出て来た厳しさは、どんな勉強でも理解できないもの。
そして。
この謁見室が、どうしてこれほど晴れやかでないのか、その理由がいま肌で分かった気がした。
ここでもしもレイシェスが、ほんのわずかでも従わない気配を見せたならば、この場できっと首を落とされるに違いない。
牢獄ではなく、処刑場のように感じたのである。
レイシェスは、ひとつ息を呑んで、しかし王を見つめ返した。
「これまでのロアアール同様の、忠義をお約束致します」
震えてはならない。
脅えは、一瞬にして気取られる。
ロアアールは、この拳の国の一部ではあるが、未来永劫ラットオージェン公爵のロアアールなのだ。
たった16歳のレイシェスは。
魂を賭けて、王と対峙してきたのだった。
※
ふらふらする。
ほんの短い謁見だったというのに、彼女は既に精根尽き果てた状態で、部屋のベッドにうつぶせに倒れた。
こんなみっともない真似をするとは、自分でも思ってもいなくて、侍女が周囲でオロオロしている。
「大丈夫よ……ウィニーを呼ん……」
腕で、何とか自分の上半身を持ち上げながら、レイシェスは無意識に妹を呼ぼうとして、はたと気づいた。
そうだった、と。
妹は、フラの公爵の計らいで、王宮から離れてしまったのだ。
元気な妹を見ることが出来ず、彼女は寂しい思いをした。
ウィニーを見れば、少しは気分が良くなるかと思った。
ようやくベッドの端に腰かけるまで身を起こすと、レイシェスはため息をついた。
部屋は静かで、そしてとても広い。
妹と再会するまで、味気ない時間が多くなりそうだ。
そんな彼女の元に、侍女が近づいてくる。
その手に抱えているのは、花がいっぱい詰まった籠と手紙だった。
「お戻りになられたらお渡しするようにと……」
差出人は──スタファ。
つくづく、女心の分かっている男である。
花も嬉しいが、いまは手紙の方が嬉しい。
レイシェスは、封を切った。
愛情の詰まった、バリエーション豊かな書き出しと、今日の謁見会をねぎらう言葉が並ぶ。
「まぁ」
彼女が、つい声をあげてしまったのは、次のくだりだった。
『よくさえずる赤い鳥がいなくてお寂しいでしょう。別の赤い鳥でよろしければ、いつでも側に参ります』
赤い鳥とは、ウィニーのことか。
妹の不在を寂しがっていると、スタファも思ったのだろう。
その隙間に、自分が入り込もうと思っているのか。
くすくす笑いながら、レイシェスは彼が丁寧に手順を踏んでくれていることに気づいた。
ひとつひとつ、彼はノックをしてくれているのだ。
レイシェスの心の扉の前で、じっくりと。
だからと言って、彼がただの大人しい男だなんて、彼女は思ってもいなかった。
スタファの妹に対する言葉や態度を考えれば、彼は公爵よりも、もっと野趣溢れる男に見えるのだ。
それを押しとどめながらも、ノックをするような手紙は、レイシェスを微笑ませる。
彼女が許せば、あっという間に扉の中に飛び込んでくるだろう。
ノックの紳士ぶりが、まるで嘘のように。
微笑みを、最後には苦笑に変えてしまった。
心の中で、公爵になる自分と女の自分が向き合っている。
全ての利害の一致しないその二人が、自分に向かって甘言や苦言を投げようとするのだ。
公爵になる自分の方が、つい少し前まで確実に強かったというのに、今日は少し疲れたせいか、女の自分の声をうるさく感じた。
それもこれも。
多分。
スタファのせいだ。
王太子の謁見室よりも、10倍は大きく、そして厳(いか)めしい石作りの部屋だった。
彼女の予想よりも、もっと暗く重苦しかった。
王の栄光の華々しさを表すには、不似合いと言った方がいいか。
まるで、だだっぴろい牢獄を彷彿とさせる。
王は、ひとりひとりの公爵と、まずは謁見する。
一番最後のレイシェスに、ようやくその順番が回って来たのだ。
5公爵の地位に優劣はないが、順はある。
公爵の在任期間の長さだ。
父の代理ではあるが、父自身が来ていないため、ロアアールは最後となる。
このまま、自分が公爵になったとしても、しばらくはこの順序で安定だろう。
王は、石段の上の古く美しい、しかし飾り気の少ない木製の椅子に腰かけて、レイシェスを見下ろしていた。
初めて見る彼女を、油断なく見つめているように思えた。
「拳の地の全てを統べるマイア・ロシスト・エージェルブ(大いなる拳の王)陛下。初めてお目にかかります。ラットオージェンの一の娘、レイシェス・ロアアール・ラットオージェンと申します」
挨拶の口上は、これまでのどんな声よりも美しく朗々と発したつもりだ。
反響する自分の声に惑わされず、レイシェスはこの大きな仕事の一言目を、無事に乗り切ったのだ。
だが、緊張感や威圧感が緩んだ訳ではない。
肌がぴりぴりとするほど、王の視線が自分に注がれるのが伝わってくる。
「ロアアールは、これまで通り未来永劫、拳の全てに忠誠を誓うか?」
強く低く、声で人の頭を地べたに抑え込む音。
反発せずにはいられないような頭ごなしの言葉を、レイシェスはごくりと飲み込んだ。
何を言われるかは、一応前知識として理解していたつもりだが、王自身の口から出て来た厳しさは、どんな勉強でも理解できないもの。
そして。
この謁見室が、どうしてこれほど晴れやかでないのか、その理由がいま肌で分かった気がした。
ここでもしもレイシェスが、ほんのわずかでも従わない気配を見せたならば、この場できっと首を落とされるに違いない。
牢獄ではなく、処刑場のように感じたのである。
レイシェスは、ひとつ息を呑んで、しかし王を見つめ返した。
「これまでのロアアール同様の、忠義をお約束致します」
震えてはならない。
脅えは、一瞬にして気取られる。
ロアアールは、この拳の国の一部ではあるが、未来永劫ラットオージェン公爵のロアアールなのだ。
たった16歳のレイシェスは。
魂を賭けて、王と対峙してきたのだった。
※
ふらふらする。
ほんの短い謁見だったというのに、彼女は既に精根尽き果てた状態で、部屋のベッドにうつぶせに倒れた。
こんなみっともない真似をするとは、自分でも思ってもいなくて、侍女が周囲でオロオロしている。
「大丈夫よ……ウィニーを呼ん……」
腕で、何とか自分の上半身を持ち上げながら、レイシェスは無意識に妹を呼ぼうとして、はたと気づいた。
そうだった、と。
妹は、フラの公爵の計らいで、王宮から離れてしまったのだ。
元気な妹を見ることが出来ず、彼女は寂しい思いをした。
ウィニーを見れば、少しは気分が良くなるかと思った。
ようやくベッドの端に腰かけるまで身を起こすと、レイシェスはため息をついた。
部屋は静かで、そしてとても広い。
妹と再会するまで、味気ない時間が多くなりそうだ。
そんな彼女の元に、侍女が近づいてくる。
その手に抱えているのは、花がいっぱい詰まった籠と手紙だった。
「お戻りになられたらお渡しするようにと……」
差出人は──スタファ。
つくづく、女心の分かっている男である。
花も嬉しいが、いまは手紙の方が嬉しい。
レイシェスは、封を切った。
愛情の詰まった、バリエーション豊かな書き出しと、今日の謁見会をねぎらう言葉が並ぶ。
「まぁ」
彼女が、つい声をあげてしまったのは、次のくだりだった。
『よくさえずる赤い鳥がいなくてお寂しいでしょう。別の赤い鳥でよろしければ、いつでも側に参ります』
赤い鳥とは、ウィニーのことか。
妹の不在を寂しがっていると、スタファも思ったのだろう。
その隙間に、自分が入り込もうと思っているのか。
くすくす笑いながら、レイシェスは彼が丁寧に手順を踏んでくれていることに気づいた。
ひとつひとつ、彼はノックをしてくれているのだ。
レイシェスの心の扉の前で、じっくりと。
だからと言って、彼がただの大人しい男だなんて、彼女は思ってもいなかった。
スタファの妹に対する言葉や態度を考えれば、彼は公爵よりも、もっと野趣溢れる男に見えるのだ。
それを押しとどめながらも、ノックをするような手紙は、レイシェスを微笑ませる。
彼女が許せば、あっという間に扉の中に飛び込んでくるだろう。
ノックの紳士ぶりが、まるで嘘のように。
微笑みを、最後には苦笑に変えてしまった。
心の中で、公爵になる自分と女の自分が向き合っている。
全ての利害の一致しないその二人が、自分に向かって甘言や苦言を投げようとするのだ。
公爵になる自分の方が、つい少し前まで確実に強かったというのに、今日は少し疲れたせいか、女の自分の声をうるさく感じた。
それもこれも。
多分。
スタファのせいだ。