南の海を愛する姉妹の四重奏
ウィニーには、二つの衝撃が襲いかかっていた。
ただただ退屈な日々は、その瞬間に一転する。
ひとつは、父が亡くなったという事。
それは、他の誰でもなく、わざわざ王宮を出て訪ねてきてくれた姉が、内々に伝えてくれた。
決して口外しないように、と。
すぐには、葬儀はあげられないと言うのだ。
「姉さん……」
目を真っ赤にしながら、ウィニーは姉を呼ぶ。
いまにも涙が溢れてきそうなのだが、いまのレイシェスを見ると、それを我慢しなければならないのだと痛感したのだ。
もうひとつの衝撃。
それは、レイシェス自身の姿だった。
美しいドレスに身を包んでいた姉は、いまは見る影もない。
男の恰好をしているだけでも、驚きだというのに。
とろけるようなミルクティ色の髪は、ばっさりと短く落とされていたのだ。
化粧もしていないその姿は、精緻に整った顔の少年のようにも見えた。
妹の驚きと悲しみの視線を避けるように、レイシェスは帽子を目深にかぶり直した。
「私は、一刻も速くロアアールに戻らなければならないわ。けれど、謁見会の最中に帰ったと周囲に知られる訳にはいかないの」
誰にもレイシェスだと、ロアアールの公爵の娘であると悟られないように、変装をして帰るのだという。
たった一人、護衛隊の隊長のみを変装させて伴うだけで。
「わ、私も! 姉さん、私も帰るわ!」
髪を切れと言うのなら切る。
男の恰好をしろと言うのならする。
故郷の一大事なのだ。
父が死んだ悲しさは、重く深くウィニーの胸にのしかかってはくるが、姉のこんな姿を見て、どうして一人で嘆いていられようか。
姉は、白くほっそりした指で、ウィニーの手を取ってくれた。
そして、ぎゅっと握りしめてくる。
「ウィニーには、王宮に戻って欲しいの」
返答は、意外なものだった。
「あなたは王宮でスケジュール通りの日程を終えて、それから皆と一緒に帰って来てちょうだい」
反論しようとするウィニーを、すぐにレイシェスは制した。
この国には、他国の間者が入り込んでいるだろうと。
その目をかわすために、レイシェスはこんな恰好をしたが、王宮からロアアールの影を消せば、疑われる可能性がある。
だから、姉の代わりにいて欲しいと言われたのだ。
誰かに聞かれたら、姉は部屋で伏せっていると答えればいいと。
他の公爵も、それで口裏を合わせてくれるという。
「ウィニーにしか……私の妹であるあなたにしか出来ない、重要な仕事よ」
ぎゅうっと、手に力がこもる。
痛いほどだ。
でも、でも。
ウィニーは、往生際悪く姉に追いすがろうとした。
「大丈夫。困ったことがあったら、フラの公爵様に相談なさい」
「姉さん!」
踵を返す姉に、手を伸ばす。
違うのだ。
自分が一人で残るのが、怖いのではない。
一人で行かせるのが、怖いのだ。
ロアアールの隣には敵がいて、ロアアールの屋敷には母という重しがあって。
そんなところに、姉を一人で行かせてしまうのが嫌だった。
ここに、もう一つの手があるのに。
もう一つの身体があるのに。
姉の重圧を分かち合えない自身の足りなさが、こうして自分たちを引き裂くのだと知った。
それ以前に、自分から重圧から逃れ、引き裂こうとしていたではないか。
混乱する意識の整理もつかないまま、ウィニーは粗末な荷馬車に乗り込む姉を見た。
都に来た時とは、比べ物にならないほどその寂しい様子は、彼女をひとつしゃくりあげさせる。
馬車は、あっさりと門を曲がって見えなくなり──ウィニーは、都にひとりきりのロアアールの娘となった。
※
姉の言いつけに、ウィニーは背かなかった。
速やかに王宮に戻ったのだ。
姉は、全てきちんと後始末を終えていた。
侍女たちは、みな強張った面持ちで、しかし唇は真一文字に引き結んでいる。
何も申しません。
そう、彼女らは決意を見せてくれているのだろう。
侍女たちの、出自はみなロアアールだ。
彼女らは、どんな領地の娘たちよりも、隣国の恐ろしさを知っている。
自分たちが漏らす、ほんのひとつの言葉が、己の故郷と家族を危機にさらすかもしれない。
それだけは決してしないのだと、心をひとつにしてくれているのだ。
いま、ウィニーが出来ることは、最後までここにいること。
二人分の食事が来たら、それぞれ半分ずつ食べる。
たった、それだけのことでも、姉の助けになるのだ。
あと、時々王宮をウロつく。
自分を目立たせるためだ。
ロアアールには、赤毛の娘がいる。
先日の王太子の晩餐会で、十分顔を売ってしまったようで、すれ違う人の誰もが『ああ』という表情で自分を見るのを感じた。
ロアアールの人間は、まだ王宮にいるとアピールするためだったが、効果はてきめんのようだ。
寂しいのは。
フラの公爵から一度手紙は来たものの、忙しいのかまだ顔を見られていない。
スタファなら、気楽に来られるはずなのに、顔も出さなかった。
そんな、物寂しいウィニーの王宮散歩中。
向こうから、一人で歩いてくる男がいた。
ウィニーは、足を止めた。
気づかれる前に、回れ右を。
と、思った時には、目が合っていた。
身を固くする。
こちらに向かっているのは──王太子だった。
ただただ退屈な日々は、その瞬間に一転する。
ひとつは、父が亡くなったという事。
それは、他の誰でもなく、わざわざ王宮を出て訪ねてきてくれた姉が、内々に伝えてくれた。
決して口外しないように、と。
すぐには、葬儀はあげられないと言うのだ。
「姉さん……」
目を真っ赤にしながら、ウィニーは姉を呼ぶ。
いまにも涙が溢れてきそうなのだが、いまのレイシェスを見ると、それを我慢しなければならないのだと痛感したのだ。
もうひとつの衝撃。
それは、レイシェス自身の姿だった。
美しいドレスに身を包んでいた姉は、いまは見る影もない。
男の恰好をしているだけでも、驚きだというのに。
とろけるようなミルクティ色の髪は、ばっさりと短く落とされていたのだ。
化粧もしていないその姿は、精緻に整った顔の少年のようにも見えた。
妹の驚きと悲しみの視線を避けるように、レイシェスは帽子を目深にかぶり直した。
「私は、一刻も速くロアアールに戻らなければならないわ。けれど、謁見会の最中に帰ったと周囲に知られる訳にはいかないの」
誰にもレイシェスだと、ロアアールの公爵の娘であると悟られないように、変装をして帰るのだという。
たった一人、護衛隊の隊長のみを変装させて伴うだけで。
「わ、私も! 姉さん、私も帰るわ!」
髪を切れと言うのなら切る。
男の恰好をしろと言うのならする。
故郷の一大事なのだ。
父が死んだ悲しさは、重く深くウィニーの胸にのしかかってはくるが、姉のこんな姿を見て、どうして一人で嘆いていられようか。
姉は、白くほっそりした指で、ウィニーの手を取ってくれた。
そして、ぎゅっと握りしめてくる。
「ウィニーには、王宮に戻って欲しいの」
返答は、意外なものだった。
「あなたは王宮でスケジュール通りの日程を終えて、それから皆と一緒に帰って来てちょうだい」
反論しようとするウィニーを、すぐにレイシェスは制した。
この国には、他国の間者が入り込んでいるだろうと。
その目をかわすために、レイシェスはこんな恰好をしたが、王宮からロアアールの影を消せば、疑われる可能性がある。
だから、姉の代わりにいて欲しいと言われたのだ。
誰かに聞かれたら、姉は部屋で伏せっていると答えればいいと。
他の公爵も、それで口裏を合わせてくれるという。
「ウィニーにしか……私の妹であるあなたにしか出来ない、重要な仕事よ」
ぎゅうっと、手に力がこもる。
痛いほどだ。
でも、でも。
ウィニーは、往生際悪く姉に追いすがろうとした。
「大丈夫。困ったことがあったら、フラの公爵様に相談なさい」
「姉さん!」
踵を返す姉に、手を伸ばす。
違うのだ。
自分が一人で残るのが、怖いのではない。
一人で行かせるのが、怖いのだ。
ロアアールの隣には敵がいて、ロアアールの屋敷には母という重しがあって。
そんなところに、姉を一人で行かせてしまうのが嫌だった。
ここに、もう一つの手があるのに。
もう一つの身体があるのに。
姉の重圧を分かち合えない自身の足りなさが、こうして自分たちを引き裂くのだと知った。
それ以前に、自分から重圧から逃れ、引き裂こうとしていたではないか。
混乱する意識の整理もつかないまま、ウィニーは粗末な荷馬車に乗り込む姉を見た。
都に来た時とは、比べ物にならないほどその寂しい様子は、彼女をひとつしゃくりあげさせる。
馬車は、あっさりと門を曲がって見えなくなり──ウィニーは、都にひとりきりのロアアールの娘となった。
※
姉の言いつけに、ウィニーは背かなかった。
速やかに王宮に戻ったのだ。
姉は、全てきちんと後始末を終えていた。
侍女たちは、みな強張った面持ちで、しかし唇は真一文字に引き結んでいる。
何も申しません。
そう、彼女らは決意を見せてくれているのだろう。
侍女たちの、出自はみなロアアールだ。
彼女らは、どんな領地の娘たちよりも、隣国の恐ろしさを知っている。
自分たちが漏らす、ほんのひとつの言葉が、己の故郷と家族を危機にさらすかもしれない。
それだけは決してしないのだと、心をひとつにしてくれているのだ。
いま、ウィニーが出来ることは、最後までここにいること。
二人分の食事が来たら、それぞれ半分ずつ食べる。
たった、それだけのことでも、姉の助けになるのだ。
あと、時々王宮をウロつく。
自分を目立たせるためだ。
ロアアールには、赤毛の娘がいる。
先日の王太子の晩餐会で、十分顔を売ってしまったようで、すれ違う人の誰もが『ああ』という表情で自分を見るのを感じた。
ロアアールの人間は、まだ王宮にいるとアピールするためだったが、効果はてきめんのようだ。
寂しいのは。
フラの公爵から一度手紙は来たものの、忙しいのかまだ顔を見られていない。
スタファなら、気楽に来られるはずなのに、顔も出さなかった。
そんな、物寂しいウィニーの王宮散歩中。
向こうから、一人で歩いてくる男がいた。
ウィニーは、足を止めた。
気づかれる前に、回れ右を。
と、思った時には、目が合っていた。
身を固くする。
こちらに向かっているのは──王太子だった。