南の海を愛する姉妹の四重奏
ロアアール軍の兵士と、近衛軍の兵士の距離が急激に縮まっていた。
翌朝、ウィニーの目には昨日と明らかに違う光景が、広がっていたのだ。
酒やパンを交換する者や、静かに視線を交わし合い、腕を軽く叩いて励ます者。
おそらく昨夜、彼女の知らないところで、随分深い交流があったのだろう。
近衛軍という名を考えれば、そこに所属する軍人たちは、皆それなりの家の出身のはずである。
対するロアアール軍は、上層部の一部を除けば、ほとんどが庶民の出だ。
身分の差があるにも関わらず、近衛軍側が目線を下げて、非常に好意的に接しているように見えた。
昨日の、王太子との事件が原因だろう。
反王太子。
恐ろしいことに、その共通項で二つの異なる軍隊が結束してしまったのである。
補佐官が言うには、昨夜は近衛軍に酒を飲ませ、王太子の愚痴を聞き、それをロアアール人たちが慰めた、ということだ。
近衛軍の中には、涙ながらに訴える者もいたという。
王太子は、本当に愚かなことをした。
そんな愚かささえ、どうでもいいと思っているから、ウィニーは腹立たしいのだ。
だから、アーネル将軍に『好都合』と言わせてしまうのである。
要するに、この攻撃の前後で、王太子が近衛軍の誰かに殺されてしまえばいい──そういうことだった。
ロアアールの人間が彼に傷をつけたり、敵に傷つけられたりすると、どうしてもロアアールの責任となってしまう。
しかし、王太子が連れて来た近衛軍に傷つけられるのは、ただの反逆にすぎない。
いわゆるイストの内輪もめなので、ロアアールが咎められることもなく、うまくすれば問題の男を闇に葬り去れる。
本当に、ロアアールのことを考えると、それは願ったりかなったりだ。
将軍の意見を聞けば、レイシェスもそう思うかもしれない。
しかし、ウィニーはそれを手放しで推奨することは出来なかった。
彼は、結局誰かに迷惑をかけてしか、死ねない男なのだ。
たとえ反逆で死んだとしても、反逆した者は殺されるし、おそらくその家族も無事では済まないだろう。
それどころか、王太子を守り切れなかった近衛軍全体に、その責任が及びかねない。
王太子が、他人を理解しようとせず、人に心があることに興味がないせいだ。
ひっくり返せば──自分を愛していないし、興味がないということ。
そこまで考えて、少しの異和感を覚えた。
そんな男が、愛はともかくウィニーに興味を示しているのだ。
ロアアールへの嫌がらせはあるにせよ、本当にどうでもいいと思っているのならば、ここまで絡んでくることもないだろう。
屈服させたい。
ただそれだけの理由であったとしても、彼がその感情に固執していることは間違いようのない事実だった。
自分や人の命にさえ、固執することのない人間だというのに。
考え込んだウィニーの視界で、人の波が綺麗に二つに割れる。
引き波よりも速く、近衛軍もロアアール軍も下がるのだ。
不自然に出来上がった中央の道を、男が歩いてくる。
黒髪を風になぶらせながら、周囲に目をやることもなく、ウィニーの方へと歩いてきた。
「おはようございます、殿下」
昨日のことなど記憶にございませんという風を装いながら、彼女は深く辞儀をした。
でなければ、ここで朝から王太子に、責め苦を味わわされる気がしたからだ。
「お前は、私が死んだ方がいいと思うか?」
だが、彼の返事は責め苦よりももっと悪いものだった。
みなが聞いているこの空間で、王太子は自分の命をまな板に載せて見せるのだ。
彼は愚かなことをするが、馬鹿ではない。
昨日の自分の行動が、どんな結果につながるかくらい、ちゃんと知っているのだ。
「そんなことをお考えにならずとも、人はいつか必ず死にます」
ウィニーは、まな板を横に押しやった。
目の前に立つ王太子を見上げながら、『いい加減にしてください』という気持ちを瞳に込める。
昨日の彼女に、保身はなかった。
酔っていたせいで、そんなものはどこにもなかったからこそ、とんでもない真似をしでかしたのである。
だが、いまの彼女には保身がある。
姉の補佐ではあるが、いま、間違いなくロアアールの一部を背負っているのだ。
「だが……その『いつか』が重要なのではないか? いつ死ぬかで、世界は大きく変わる」
「私は生きることに忙しいので、死ぬことを考えている暇はありません」
ぱきりと、死生観が割れた音がした。
元々、合っているとは思っていなかったが、こうして改めて口にされるとはっきりと分かる。
生より死の方を向いて立っているのだ。
そこが、自分の向かうべき場所であるかのように。
「一度殿下も、忙しくて死にそうになるほど、働いてごらんになればよいのではありませんか? 死ぬことを考える暇があるから考えてしまわれるのです」
ウィニーは、一歩踏み込んだ。
張り飛ばされることを覚悟して、強く足を踏み出したのだ。
「暇? そうかもしれんな……平和すぎて暇でしょうがない」
王太子は、更にロアアール軍を逆撫でした。
まさに今、命をかけて防衛を尽くしているこの地で、平和すぎとまで言い放ったのである。
勿論、ウィニーもムッとした。
「平和じゃないところなど、いくらでもあるではないですか……ロアアールの向こうの国々なんて、いつも争っていると聞いていますよ」
ムッとしたまま言い放った言葉は、一瞬だけ王太子の時を止めた気がした。
いつもの皮肉に彩られた目とは、違う色が彼女を見る。
王太子は、笑みを浮かべた。
これまで見たこともないそれは、満足感に溢れた笑みだった。
翌朝、ウィニーの目には昨日と明らかに違う光景が、広がっていたのだ。
酒やパンを交換する者や、静かに視線を交わし合い、腕を軽く叩いて励ます者。
おそらく昨夜、彼女の知らないところで、随分深い交流があったのだろう。
近衛軍という名を考えれば、そこに所属する軍人たちは、皆それなりの家の出身のはずである。
対するロアアール軍は、上層部の一部を除けば、ほとんどが庶民の出だ。
身分の差があるにも関わらず、近衛軍側が目線を下げて、非常に好意的に接しているように見えた。
昨日の、王太子との事件が原因だろう。
反王太子。
恐ろしいことに、その共通項で二つの異なる軍隊が結束してしまったのである。
補佐官が言うには、昨夜は近衛軍に酒を飲ませ、王太子の愚痴を聞き、それをロアアール人たちが慰めた、ということだ。
近衛軍の中には、涙ながらに訴える者もいたという。
王太子は、本当に愚かなことをした。
そんな愚かささえ、どうでもいいと思っているから、ウィニーは腹立たしいのだ。
だから、アーネル将軍に『好都合』と言わせてしまうのである。
要するに、この攻撃の前後で、王太子が近衛軍の誰かに殺されてしまえばいい──そういうことだった。
ロアアールの人間が彼に傷をつけたり、敵に傷つけられたりすると、どうしてもロアアールの責任となってしまう。
しかし、王太子が連れて来た近衛軍に傷つけられるのは、ただの反逆にすぎない。
いわゆるイストの内輪もめなので、ロアアールが咎められることもなく、うまくすれば問題の男を闇に葬り去れる。
本当に、ロアアールのことを考えると、それは願ったりかなったりだ。
将軍の意見を聞けば、レイシェスもそう思うかもしれない。
しかし、ウィニーはそれを手放しで推奨することは出来なかった。
彼は、結局誰かに迷惑をかけてしか、死ねない男なのだ。
たとえ反逆で死んだとしても、反逆した者は殺されるし、おそらくその家族も無事では済まないだろう。
それどころか、王太子を守り切れなかった近衛軍全体に、その責任が及びかねない。
王太子が、他人を理解しようとせず、人に心があることに興味がないせいだ。
ひっくり返せば──自分を愛していないし、興味がないということ。
そこまで考えて、少しの異和感を覚えた。
そんな男が、愛はともかくウィニーに興味を示しているのだ。
ロアアールへの嫌がらせはあるにせよ、本当にどうでもいいと思っているのならば、ここまで絡んでくることもないだろう。
屈服させたい。
ただそれだけの理由であったとしても、彼がその感情に固執していることは間違いようのない事実だった。
自分や人の命にさえ、固執することのない人間だというのに。
考え込んだウィニーの視界で、人の波が綺麗に二つに割れる。
引き波よりも速く、近衛軍もロアアール軍も下がるのだ。
不自然に出来上がった中央の道を、男が歩いてくる。
黒髪を風になぶらせながら、周囲に目をやることもなく、ウィニーの方へと歩いてきた。
「おはようございます、殿下」
昨日のことなど記憶にございませんという風を装いながら、彼女は深く辞儀をした。
でなければ、ここで朝から王太子に、責め苦を味わわされる気がしたからだ。
「お前は、私が死んだ方がいいと思うか?」
だが、彼の返事は責め苦よりももっと悪いものだった。
みなが聞いているこの空間で、王太子は自分の命をまな板に載せて見せるのだ。
彼は愚かなことをするが、馬鹿ではない。
昨日の自分の行動が、どんな結果につながるかくらい、ちゃんと知っているのだ。
「そんなことをお考えにならずとも、人はいつか必ず死にます」
ウィニーは、まな板を横に押しやった。
目の前に立つ王太子を見上げながら、『いい加減にしてください』という気持ちを瞳に込める。
昨日の彼女に、保身はなかった。
酔っていたせいで、そんなものはどこにもなかったからこそ、とんでもない真似をしでかしたのである。
だが、いまの彼女には保身がある。
姉の補佐ではあるが、いま、間違いなくロアアールの一部を背負っているのだ。
「だが……その『いつか』が重要なのではないか? いつ死ぬかで、世界は大きく変わる」
「私は生きることに忙しいので、死ぬことを考えている暇はありません」
ぱきりと、死生観が割れた音がした。
元々、合っているとは思っていなかったが、こうして改めて口にされるとはっきりと分かる。
生より死の方を向いて立っているのだ。
そこが、自分の向かうべき場所であるかのように。
「一度殿下も、忙しくて死にそうになるほど、働いてごらんになればよいのではありませんか? 死ぬことを考える暇があるから考えてしまわれるのです」
ウィニーは、一歩踏み込んだ。
張り飛ばされることを覚悟して、強く足を踏み出したのだ。
「暇? そうかもしれんな……平和すぎて暇でしょうがない」
王太子は、更にロアアール軍を逆撫でした。
まさに今、命をかけて防衛を尽くしているこの地で、平和すぎとまで言い放ったのである。
勿論、ウィニーもムッとした。
「平和じゃないところなど、いくらでもあるではないですか……ロアアールの向こうの国々なんて、いつも争っていると聞いていますよ」
ムッとしたまま言い放った言葉は、一瞬だけ王太子の時を止めた気がした。
いつもの皮肉に彩られた目とは、違う色が彼女を見る。
王太子は、笑みを浮かべた。
これまで見たこともないそれは、満足感に溢れた笑みだった。