南の海を愛する姉妹の四重奏
ウィニーは、部屋から顔を出してキョロキョロしていた。
姉が出て行って、もうどれほどたつだろう。
たった一人で部屋にいるには、とても退屈すぎる。
うっかり、フラの公爵でも通らないものかと、様子を見ていたのだ。
そうしたら。
一人の召使いを従えて、赤毛の男が廊下の向こうから歩いてくるではないか。
赤毛!
一瞬、公爵かと思ったが違った。
彼よりももっと髪を短くした、そしてもっと若い男だったのだ。
耳が出るほどサイドの髪も短いため、赤い石の耳飾りが鮮やかに見える。
柔らかさよりも硬さを感じる体つきと、目つき。
若々しい身体を、鈍い茶金の礼服がぴたりと包んでいる。
大人しい血には、とても見えない。
赤毛であるという事実に意識を取られ、ウィニーは思わず彼を眺め入ってしまっていた。
その髪の色を持っているということは、フラの関係者かと思ったせいだ。
そんな風に、長く眺めていたものだから、向こうにも気づかれてしまった。
どきっ。
この時のウィニーは、相手に向かって胸を高鳴らせたのではない。
赤毛の男が、自分を赤毛だと理解し、そして赤毛であることについての反応があるのではないか。
そう思っていたのだ。
しかし、とてもとても深い怪訝の目を向けられた。
「……」
その怪訝な視線を、わずかもそらさないままこちらに近づいてくるため、ウィニーも引っ込むタイミングを見失ってしまっていた。
いや、逆だ。
この赤毛の男との出会いを、自分の野望のきっかけにしたかったのだ。
そのために、来たのではないか、と。
部屋の目の前まで、お互いに見つめあうような形を続け、そしてついに男の足が止まった。
ごくり、と喉がなる。
男の一言目は。
「ロアアールでは……そんな無作法しか教えていないのか?」
思い切り、呆れた声だったのだ。
瞬間、ウィニーは自分の髪よりも赤く、頬が燃え上がるのを感じた。
この男は、自分がロアアールの娘であることなど、当に承知だったのだ。
その上で、なぜこんな無作法な真似をしているのか──それが何よりも怪訝のだったに違いない。
あ、あ、あ、だって、赤毛。
ウィニーは、色という名の同胞を見つけて舞い上がってしまっていた。
フラの公爵のように、この赤毛を喜んでくれるのではと、心の底で思っていたのだ。
どうして、そんな浅はかなことを考えたのか。
彼らにとって赤毛など、ただの見慣れた色に過ぎないというのに。
「ウィニー・ロアアール・ラットオージェンです! し、失礼いたしました」
恥ずかしさに死にたくなりながらも、ロアアールの恥と思われたくなく、彼女は必死に自分の失敗を覆い隠そうとした。
「スタファ・フラ・タータイトだ。さっきは、兄上が無作法なことをしたようだが……あれを真似る必要はないぞ」
ウィニーが姉についてきたように、フラも公爵の弟が同伴していたのか。
彼は公爵のように、人の馬車に飛び込んでくる男ではないのだろう。
無作法、無作法と連発され、硬いはずの彼女の心臓は、カナヅチでカンカンたたかれている気分だ。
「公爵のおじ様は、無作法なんかじゃありません!」
しかし、自分を馬鹿にされるのはまだいいが、かの人のことを悪く言われるのは嫌だった。
今日、初めて出会ったばかりだが、それまで手紙で何度も何度も話をしたのだ。
優しく心をこめて、遠いロアアールの赤毛の娘のことを、思ってくれた大事な人である。
どれほど、彼の手紙に慰められただろうか。
それを、この人に分かるはずなどなかった。
「おじ……様」
一瞬、ぽかんとした後──スタファはぷっと吹き出した。
「あっはっは……あの兄上も、そうか、若い娘の目から見たらおじ様か」
おかしくてたまらなそうだ。
その笑いっぷりに驚いて、逆にウィニーの方がぽかんと彼を見つめてしまった。
しばし笑った後、視線に気づいたのか、スタファはようやく表情を元に戻して咳払いをした。
「悪かった……だが、フラの前以外でこんな真似をすると、お前の姉上が困ることになるぞ」
一瞬。
視線が、開いたままのドアの奥の方へと動いた。
何だろう。
漠然とした『姉上』という表現には、感じなかった。
姉のことを知っていて、そう言っているような。
「姉さんをご存知なんですか?」
どこかで、会っただろうか。
不思議に問い返すと、スタファはふーっと息を吐いた。
その息に乗って、南国の匂いが届きそうだ。
「ご存知も何も……お前も知ってるよ」
やれやれという音で、言葉が綴られる。
何も知らないウィニーに、呆れているのだろう。
「……寒い日だったな。雪を見たのは、あの時限りだ」
思い出をたどる、声の調べ。
いまは見えない雪を見るように、一度視線が上へと上がる。
あ!
ウィニーの微かな記憶が、その音で刺激された。
あれは──たいして寒くない日のこと。
スタファの言葉と食い違うそれが、彼女の中で引きずり出されてきた。
その年の、初雪が降った日。
あれは。
「お祖母さまの……葬儀に……」
フラの人間が雪を見る機会など、滅多にないだろう。
そんな彼が、見たというのならば、それはきっとロアアールで。
あの時、フラの公爵は来られなかった。
代理で来たのが。
「そう……お前は、ただただ泣き続けてたな」
四年ほど前の記憶。
彼にとっては、ロアアールの何もかもが、珍しいことだったろう。
しかし、ウィニーにとっては、この世の終わりかと思った日だったのだ。
周囲のことなど、気にする余裕なんかなかった。
まだ、11歳だったのだ。
「姉上は……元気であられるか?」
そんなウィニーの過去への旅路など、知らぬ顔でスタファはそう聞いてきた。
「はい、さっき王太子殿下のところへ挨拶に行きました」
何気なく、答えたつもりだった。
それは、ただの雑談なのだと。
「そうか、先触れを兼ねて挨拶に来たのだが……それは、残念だったな」
だが、スタファは本当に、残念な表情を浮かべるではないか。
瞬間。
雷に打たれるほどの衝撃が、ウィニーの中を走り抜けた。
彼の表情に、社交辞令はない。
本当に、姉に会えずに残念そうだったのだ。
あは、そっか。
スタファの目的は──レイシェス。
彼は、姉に会うために、わざわざここまでやって来たのだ。
四年前。
あの葬儀の日。
泣きじゃくるウィニーなど飛び越えて、彼は姉を見ていたのだろう。
白い肌をなおさら白く見せる黒いドレスに身を包んだレイシェスは、いつも通りあの日も美しかったではないか。
悲しみでいっぱいだったウィニーでさえ、覚えているほど美しい、ひとつ年上の姉。
彼女は、心の中で「×」をつけた。
スタファの名前に、である。
彼にとって自分など、レイシェスのおまけの無作法な泣きじゃくってる赤毛の娘。
それに、公爵の弟であるならば、彼には姉を手に入れる可能性があった。
ロアアールに婿に入ることが出来るし、身分的にも申し分ないからだ。
「どうした?」
怪訝な問いに、「いいえ、失礼いたしました」とだけ答えて、ウィニーは自室へと戻り扉を閉めた。
いきなり暗礁に乗り上げた計画だが、殿方は彼だけではないのだ。
部屋の、姿見の前に立つ。
自分の顔をじっと見る。
「そんなに……悪くはない、わよね」
心が折れてしまわないように、そう自分に言い聞かせる。
姉が、特別なだけなのだ。
そうよ、姉さんが特別なだけ。
自己暗示をかける。
『ウィニーといると、まるでフラにいるようで元気になれるわ』
祖母の言葉を、心の糧に思い出す。
「よし!」
こんなところでめげていたら、最後にはアールへの嫁入りだ。
それだけは、彼女は防がなければならなかった。
だから、もう一度奮い立つ。
やっぱり、おじ様に相談しよう!
他の見知らぬ人に当たるより先に、フラの公爵ならば良い助言か、良い人を紹介してくれる気がしたのだ。
そう考えて、ようやく少し心が軽くなるウィニーだった。
姉が出て行って、もうどれほどたつだろう。
たった一人で部屋にいるには、とても退屈すぎる。
うっかり、フラの公爵でも通らないものかと、様子を見ていたのだ。
そうしたら。
一人の召使いを従えて、赤毛の男が廊下の向こうから歩いてくるではないか。
赤毛!
一瞬、公爵かと思ったが違った。
彼よりももっと髪を短くした、そしてもっと若い男だったのだ。
耳が出るほどサイドの髪も短いため、赤い石の耳飾りが鮮やかに見える。
柔らかさよりも硬さを感じる体つきと、目つき。
若々しい身体を、鈍い茶金の礼服がぴたりと包んでいる。
大人しい血には、とても見えない。
赤毛であるという事実に意識を取られ、ウィニーは思わず彼を眺め入ってしまっていた。
その髪の色を持っているということは、フラの関係者かと思ったせいだ。
そんな風に、長く眺めていたものだから、向こうにも気づかれてしまった。
どきっ。
この時のウィニーは、相手に向かって胸を高鳴らせたのではない。
赤毛の男が、自分を赤毛だと理解し、そして赤毛であることについての反応があるのではないか。
そう思っていたのだ。
しかし、とてもとても深い怪訝の目を向けられた。
「……」
その怪訝な視線を、わずかもそらさないままこちらに近づいてくるため、ウィニーも引っ込むタイミングを見失ってしまっていた。
いや、逆だ。
この赤毛の男との出会いを、自分の野望のきっかけにしたかったのだ。
そのために、来たのではないか、と。
部屋の目の前まで、お互いに見つめあうような形を続け、そしてついに男の足が止まった。
ごくり、と喉がなる。
男の一言目は。
「ロアアールでは……そんな無作法しか教えていないのか?」
思い切り、呆れた声だったのだ。
瞬間、ウィニーは自分の髪よりも赤く、頬が燃え上がるのを感じた。
この男は、自分がロアアールの娘であることなど、当に承知だったのだ。
その上で、なぜこんな無作法な真似をしているのか──それが何よりも怪訝のだったに違いない。
あ、あ、あ、だって、赤毛。
ウィニーは、色という名の同胞を見つけて舞い上がってしまっていた。
フラの公爵のように、この赤毛を喜んでくれるのではと、心の底で思っていたのだ。
どうして、そんな浅はかなことを考えたのか。
彼らにとって赤毛など、ただの見慣れた色に過ぎないというのに。
「ウィニー・ロアアール・ラットオージェンです! し、失礼いたしました」
恥ずかしさに死にたくなりながらも、ロアアールの恥と思われたくなく、彼女は必死に自分の失敗を覆い隠そうとした。
「スタファ・フラ・タータイトだ。さっきは、兄上が無作法なことをしたようだが……あれを真似る必要はないぞ」
ウィニーが姉についてきたように、フラも公爵の弟が同伴していたのか。
彼は公爵のように、人の馬車に飛び込んでくる男ではないのだろう。
無作法、無作法と連発され、硬いはずの彼女の心臓は、カナヅチでカンカンたたかれている気分だ。
「公爵のおじ様は、無作法なんかじゃありません!」
しかし、自分を馬鹿にされるのはまだいいが、かの人のことを悪く言われるのは嫌だった。
今日、初めて出会ったばかりだが、それまで手紙で何度も何度も話をしたのだ。
優しく心をこめて、遠いロアアールの赤毛の娘のことを、思ってくれた大事な人である。
どれほど、彼の手紙に慰められただろうか。
それを、この人に分かるはずなどなかった。
「おじ……様」
一瞬、ぽかんとした後──スタファはぷっと吹き出した。
「あっはっは……あの兄上も、そうか、若い娘の目から見たらおじ様か」
おかしくてたまらなそうだ。
その笑いっぷりに驚いて、逆にウィニーの方がぽかんと彼を見つめてしまった。
しばし笑った後、視線に気づいたのか、スタファはようやく表情を元に戻して咳払いをした。
「悪かった……だが、フラの前以外でこんな真似をすると、お前の姉上が困ることになるぞ」
一瞬。
視線が、開いたままのドアの奥の方へと動いた。
何だろう。
漠然とした『姉上』という表現には、感じなかった。
姉のことを知っていて、そう言っているような。
「姉さんをご存知なんですか?」
どこかで、会っただろうか。
不思議に問い返すと、スタファはふーっと息を吐いた。
その息に乗って、南国の匂いが届きそうだ。
「ご存知も何も……お前も知ってるよ」
やれやれという音で、言葉が綴られる。
何も知らないウィニーに、呆れているのだろう。
「……寒い日だったな。雪を見たのは、あの時限りだ」
思い出をたどる、声の調べ。
いまは見えない雪を見るように、一度視線が上へと上がる。
あ!
ウィニーの微かな記憶が、その音で刺激された。
あれは──たいして寒くない日のこと。
スタファの言葉と食い違うそれが、彼女の中で引きずり出されてきた。
その年の、初雪が降った日。
あれは。
「お祖母さまの……葬儀に……」
フラの人間が雪を見る機会など、滅多にないだろう。
そんな彼が、見たというのならば、それはきっとロアアールで。
あの時、フラの公爵は来られなかった。
代理で来たのが。
「そう……お前は、ただただ泣き続けてたな」
四年ほど前の記憶。
彼にとっては、ロアアールの何もかもが、珍しいことだったろう。
しかし、ウィニーにとっては、この世の終わりかと思った日だったのだ。
周囲のことなど、気にする余裕なんかなかった。
まだ、11歳だったのだ。
「姉上は……元気であられるか?」
そんなウィニーの過去への旅路など、知らぬ顔でスタファはそう聞いてきた。
「はい、さっき王太子殿下のところへ挨拶に行きました」
何気なく、答えたつもりだった。
それは、ただの雑談なのだと。
「そうか、先触れを兼ねて挨拶に来たのだが……それは、残念だったな」
だが、スタファは本当に、残念な表情を浮かべるではないか。
瞬間。
雷に打たれるほどの衝撃が、ウィニーの中を走り抜けた。
彼の表情に、社交辞令はない。
本当に、姉に会えずに残念そうだったのだ。
あは、そっか。
スタファの目的は──レイシェス。
彼は、姉に会うために、わざわざここまでやって来たのだ。
四年前。
あの葬儀の日。
泣きじゃくるウィニーなど飛び越えて、彼は姉を見ていたのだろう。
白い肌をなおさら白く見せる黒いドレスに身を包んだレイシェスは、いつも通りあの日も美しかったではないか。
悲しみでいっぱいだったウィニーでさえ、覚えているほど美しい、ひとつ年上の姉。
彼女は、心の中で「×」をつけた。
スタファの名前に、である。
彼にとって自分など、レイシェスのおまけの無作法な泣きじゃくってる赤毛の娘。
それに、公爵の弟であるならば、彼には姉を手に入れる可能性があった。
ロアアールに婿に入ることが出来るし、身分的にも申し分ないからだ。
「どうした?」
怪訝な問いに、「いいえ、失礼いたしました」とだけ答えて、ウィニーは自室へと戻り扉を閉めた。
いきなり暗礁に乗り上げた計画だが、殿方は彼だけではないのだ。
部屋の、姿見の前に立つ。
自分の顔をじっと見る。
「そんなに……悪くはない、わよね」
心が折れてしまわないように、そう自分に言い聞かせる。
姉が、特別なだけなのだ。
そうよ、姉さんが特別なだけ。
自己暗示をかける。
『ウィニーといると、まるでフラにいるようで元気になれるわ』
祖母の言葉を、心の糧に思い出す。
「よし!」
こんなところでめげていたら、最後にはアールへの嫁入りだ。
それだけは、彼女は防がなければならなかった。
だから、もう一度奮い立つ。
やっぱり、おじ様に相談しよう!
他の見知らぬ人に当たるより先に、フラの公爵ならば良い助言か、良い人を紹介してくれる気がしたのだ。
そう考えて、ようやく少し心が軽くなるウィニーだった。