瑠哀 ~フランスにて~
『動かないで。お願い』

「喋るなっ!」


 ケインが苛立たしげに叫び、またナイフを押し当てる。


『お願い、動かないで』

「聞こえないのかっっ!」


 ナイフが首に食い込み出し、ツーッと血が流れ落ちて行く。


『ルイ、大丈夫だ。心配はいらない―――』

『そうじゃない。動かないで、お願い』

「いい加減にしろっ―――!」

「やめろっ。それ以上、彼女に手を出すな!」


 頭に血が上ったケインを、朔也が叫び返す。


『サクヤ、動かないで。お願い』


 瑠哀はケインなど気にもせず、ただその瞳を朔也に向け、静かに繰り返す。


 朔也がハッとした。


 その誰よりも静かな深い瞳は、怖れなど映していなかった。

 怖れているのではない。ただ、朔也だけを真っ直ぐに見つめているその瞳は、壊れてしまいそうなほど哀しげに揺れている。


 朔也は一瞬瑠哀が泣いているのかと言う錯覚に襲われ、その場で動くことができなかった。


「ルイ―――っ!!」


 ピエールが叫ぶ。
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