ETERNAL CHILDREN 2 ~静かな夜明け~
「――」
密かな足音が聞こえる。
やはり防音システムに切り替えておかなくてよかったと、シイナは思った。
ベッドから起き、ドアへと向かう。
パネルのボタンを押し、ドアを開ける。
いきなり開いたドアに、フジオミのほうが驚いた。
「シイナ、起きていたのかい?」
「――ええ。あなたこそ、こんなに遅くに帰ってくるなんて」
「ああ。渡したいものがあったんだ。枯れないうちにと思ったら、こんな時間になってしまった」
フジオミが腕を上げると、シイナの目に鮮烈な深紅が映った。
「これを君に」
フジオミのさしだしたのは、まだ少し開き足りない、七分咲きの深紅の薔薇だった。
彼の身体や髪には雨の雫がまとわりついていたのに、その深紅の薔薇には、微かな露しかなかった。
「どうしたの、これ?」
「第二ドームでの実験用のものを少しもらってきたんだ」
「これを、なぜ私に?」
「とても綺麗だから、君に贈りたくなった。花を贈る風習は、昔にもあったそうだ。僕もそれに習ってみた」
「――」
微笑って、フジオミは濡れた髪をかきあげた。
花を贈る。
シイナだとて知っている。
それは愛情を表す行為だということを。
しかし、それが自分に、しかも、フジオミからなされようとは。
こんな馬鹿げた行為に何の意味があるのだと、シイナは問いただしたい衝動にかられたが、かろうじて表情にも行動にも出さなかった。
もう一度、腕の中の薔薇を見る。
ビロードのように滑らかな花弁は、花開くのを待つかのようにほんの少しつぼみをほころばせている。
彼の行動が改めて奇異に思えて、シイナはその薔薇に魅入る振りをした。
内心の溜息を押し殺して。
「――」
フジオミの行動には、理解しがたいものがある。
この半年、いつも彼はシイナの考えられるあらゆる行動パターンから外れたことをするため、最初の頃のようにあからさまに動揺することはなくなったが、それがいっそうシイナにフジオミを理解させがたくしている。
以前は全てがどうでもいいこととして、ただ己の楽しみのためだけに行動していたフジオミは、今は見る影もない。
議長であるカタオカの補佐として、現存するドームを統括し、彼の本来の『義務』を果たしている。
おかげで、ドームでの生活はここ半年で快適に変わりつつある。
同時に、シイナの激務も減り、煩わしい事務処理に追われることもなくなった。
驚いたことに、シイナには余暇さえ、できるようになった。
そうして、空いた時間に、決まってフジオミは現れる。
そうして、二人で時を過ごそうとする。
時には、ただ同じ空間にいるだけ。
時には、何気ない会話で。
時には、食事に誘ったり。
時には、今のように贈り物を持ってきたり。
シイナが断れば、無理強いしない。
そう――断るという、選択権さえ与えてくれる。
それこそがシイナを驚かせる要因の最大の一つだ。
あの、フジオミが、シイナの拒絶を許すのだ。
自己中心的な以前のフジオミからは到底考えられない行動だった。
以前には、第二ドームへ出かけたはずのフジオミを、シイナの部屋の扉の前で座って眠っているのを見つけたこともあった。
理由を聞けば何のことはない。
フジオミはただ、誰よりも早く彼女の顔が見たいと、ただそれだけだったのだ。
そんなことが数度あり、起こしてもいいので入ってくればいいとシイナは何度も言ったが、フジオミは起こしたくないのだと決して部屋へ入ろうとはしなかった。
それ以降、シイナはフジオミが帰る予定の日には眠らずに待つことにした。
「では、僕はもう行くよ」
「あなたは来るときも帰るときも、いつも唐突なのね。濡れた身体を拭いてからいったらどう?」
「――いいや。やめておくよ。こんな時間にいつまでも二人でいたら、何をするかわからない」
冗談めいた口調だったが、シイナは身体を強ばらせてしまった。
そしてそれは、フジオミにもわかった。
「――」
気まずい沈黙を、シイナは感じた。
「――心配しなくていい。言っただろう。君を傷つけることは、もうしない」
何事もないかのように、フジオミは微笑ってシイナの手をとった。
そうして、優しく彼女の手にくちづけた。
それが、フジオミが彼女から去るときのここ半年の儀式。
紳士らしく一歩離れてから背を向けたフジオミの背中に、シイナはとっさに叫んでいた。
「待って、フジオミ!!」
その声音の激しさに驚いて振り返る彼の視線を感じ、けれどシイナは言葉を失くした。
「シイナ――?」
「――いえ、いいの。花を、ありがとう」
「ああ。お休み、シイナ。よい夢を」
微笑って、フジオミは自分に宛われた部屋へと去っていった。