ETERNAL CHILDREN 2 ~静かな夜明け~
13 罪と代償
次の日も、表面上は何事もない日常が続いた。
いつものシイナの仕事部屋で、フジオミと二人でいる。
だが、シイナの心情は大きく変わっていた。
平静を装ってはいたが、仕事は全く身に入らなかった。
昨日のことが、頭から離れない。
しまい込んでいたはずの記憶が次々と甦る。
「――」
仕事の手が止まっているのに気づく。
書類に目を通さなければいけないのに、全く進んでいなかったし、内容も全く頭に入らない。
集中しようとしても、ふと気づけば過去を振り返ってばかりいる。
そんなことを今更したって、何の意味もないのに。
どこで、何がこんな風にねじ曲がってしまったのか。
どうすれば、こんな風にならずにすんだのか。
それを確かめたい衝動にかられていた。
だが、その反面、確かめてこれ以上苦しい思いをしたくないのも本心だった。
混乱する。
自分の気持ちが自分でわからないなんて。
怒りに満たされていた時、世界は単純だった。
人類の滅亡を防ぐという使命以外、何も考えずにすんだ。
今、シイナにとって世界は複雑な様相で奇妙にさえ映る。
この世界は何だろう。
この、穏やかで、生温い、意味のない世界は。
それなのに、それをどこかで享受したがっている自分もいる。
疲れ果てた心が、労りや安らぎを求めている。
認めてしまえば、楽になれるのか。
もう、荒んだ心を持てあまし、眠れぬ夜を過ごすこともなくなるのか。
込み上げてくる感情で、胸が苦しい。
視線を向けると、フジオミの横顔が視界に入る。
端末を見つめて、自分の仕事に集中していた。
「――」
いっそフジオミに謝ってしまいたかった。
彼が、決してその謝罪を受け入れなくても。
――そんな許しが、欲しいんじゃない。
過去の自分の行為を、正当化しないフジオミは頑なだった。
以前の自分を偽悪的に見せるフジオミにも混乱していた。
結果的に、守ったのだと、カタオカは言った。
フジオミは義務を強いたのだから、罪悪感を持つ必要はないのだと言った。
それでも、シイナは後ろめたい気持ちを消し去ることは出来なかった。
怒りや嫌悪といったフィルターを通して見ていた時とは違うフジオミが見えていた。
フジオミは、元々優しかった。
何かを強く主張することもなく、大人しい子供だったが、根気強く自分に付き合ってくれていた。
そんな彼が全く違ったように見えていたのは、嫌がる自分を無理矢理抱いたあの時からだった。
何も知らなかった自分を、守ろうとしてくれたのに、気づかないまま今まで過ごしてきた。
本来なら何の権利もないはずの自分に、最大限の権利を与えて、そうして、十年以上も好きにさせてくれていたのだ。
それが、『愛』なのか?
「――」
愛していると、どちらも言う。
愛しているから、十年以上も何も言わず守ってくれていたと言うのか。
わからない。
この感情を、受け入れるには、何かが足りなかった。
それなのに、その何かが自分には理解できない。
様々な感情に名を付けようとするが、どれも当てはまらない気がした。
答えの出ない問いに為す術がない。
考えることにも疲れていた。
考えたくないのに、考え続けねばならなかった。
考え続けていれば、いつか答えは出るのだろうか。
それには、更に自分が苦しんでいた以上もの年月が必要なのかもしれない。
そう考えるだけで、気が遠くなりそうだった。
そうして、シイナの一日は過ぎた。
長い一日が終わって、眠りに就く時でさえ、疲れていた。
何も見ずに、何も聞かずに、何も思わずにただ、深い眠りにつきたかった。
そして、叶うなら、二度と目を覚ましたくなかった。
晴れた空の下、駆けてくる子供がいる。
色素の抜けた銀の髪。
紅い瞳。
あれは――幼い頃のユウだった。
アルビノのその子を、愛おしげに抱きしめる大人のマナ。
違う。
あれはマナじゃない。
ユカだ。
自分が殺した――ユカとユウだ……
「っ!!」
身体が大きく痙攣して、目が覚めた。
ヘッドライトの絞った明かりに、薄暗い天井が映る。
「――」
身体が冷えていた。
上掛けを引き寄せながら、明かりに背を向ける。
目を閉じると、幸せそうだった二人の姿が鮮明に思い起こされる。
ユカはユウを愛していた。
ユウもユカを愛していた。
片時も離れず、互いを必要としていた。
それを壊したのは、自分だった。
人工授精に成功し、死んだ兄の子供を出産したユカ。
誰もが希望を抱いたが、それも束の間だった。
成功したのは血筋ゆえなのか、その後は他のどの精子を受精させても着床しなかった。
結局、産まれたのは、生殖能力のない遺伝病の男の子。
役に立たない、要らない子供。
まるで、自分のよう。
この世界では、生きる権利のない子供だった。
それでも、ユカはユウを溺愛していた。
自分の血を継ぐ子を残したのだ。
彼女は彼女の義務を果たした。
だが、それでは駄目なのだ。
シイナはユカを説得し、最後の実験を試みた。
さらなる禁忌を犯した。
ユカのクローンを、人工子宮ではなく、ユカ自身の母胎で育てさせたのだ。
そうして、誕生したのがマナだった。
シイナは狂喜した。
唯一の生殖能力を持つクローン。
最後の希望。
それを、産み出したのだ。
この子が、自分の望みを叶えてくれる。
マナが産まれた今、ユウは必要なかった。
それどころか、邪魔でしかなかった。
ユウには不思議な力があった。
手も触れずにものを動かしたり、その身を宙に浮かせたりするのだ。
事前の遺伝子操作の副作用なのか、血の濃すぎるゆえなのか、まだ一歳の子供を調べても何もわからなかった。
すぐさまシイナはマナを隔離した。
ユウをマナに近づけては、どんな害があるかもわからない。
処分しなければ。
それしかなかった。
ある晴れた日、自分はユカとユウをドームの外へ連れ出した。
ユウだけを連れ出すはずが、ユカが決してユウを離そうとしなかった。
それでも、幼い子供が初めて外に出て、大人しく母親の傍にいるはずもない。
その手が離れて、ユウが谷に近づくのを待った。
そして、ユカが目を離した一瞬の隙に。
幼いあの子を、自分は撃った。
谷底に落ちていくのを確かに見た。
そして、悲鳴をあげながら、ユウを追って谷から飛び降りたユカの姿を。
一瞬の出来事だった。
ユウだけを処分するはずだったのに、ユカまでが死んでしまうとは誤算だった。
だが、これで良かったのかも知れない。
ユカの人工授精は、ユウが産まれてから全く成功しなかった。
成功したのは、最後に試みた自身のクローンを出産させるということだけだった。
マナが産まれた今、ユカの年齢を考えても、もう出産は限界だろう。
マナがいれば、ユカも要らない。
かえって、自分の思い通りにマナを育てることが出来る。
そう冷静に考えた。
結果的に、二人も殺したのに。
涙も出なかった。
その頃は、もう自分には失うものなど何もなかったのだから。
カタオカには、二人が足を滑らせて谷へ落ちたと報告した。
遺体は見つからなかった。
当然だ。
わざわざ捜索が難しく、遺体が見つかりにくい谷を選んだのだから。
誰も自分を疑わなかった。
カタオカはうすうす気づいているようだったが、何も言わなかった。
糾弾されても良かったのに、彼はそうしなかった。
償いのつもりかと、あの頃はカタオカの態度を嘲っていた。
自分の屈辱に比べたら、こんなことは何でもないと思っていたから、罪悪感など微塵も沸かず、その事実さえ記憶の隅に追いやった。
「――」
今の今まで、思い出しもしなかったのに、今頃思い出したのは、過去の事実を知ったせいか。
あの頃感じなかった後悔が、胸の内に沸き上がる。
そして、気づいた。
自分には、労りや救いを求める資格がないのだと。
どれだけの間違いを犯したのか思い知らなければならない。
そして、今までよりももっと苦しまなければならないのだ。
より多くの人を苦しめた代償に。
それが、一番正しいことだと認めた方が楽だった。
だから、シイナはそれを受け入れた。