ETERNAL CHILDREN 2 ~静かな夜明け~

14 冷たいくちづけ


 次の日。
 シイナはベッドから起き上がった途端、激しい目眩に襲われた。
「――」
 床に倒れる音が、やけに大きく聞こえた。
 起き上がろうとしても、視界が廻り、吐き気がする。
「シイナっ!?」
 倒れた音に駆けつけたフジオミが、驚いて近づいてくる。
 両手で口元を押さえているシイナに、察したように抱き上げ、バスルームに向かうと、手前の洗面所に下ろす。
 シンクに寄りかかるように嘔吐するシイナ。
 昨日の夜口に入れたものは全て吐き出された。
 それでも、吐き気が止まらず、何度も嘔吐《えず》いた。
 吐くものが何もなくなり、ようやく口を濯いだが、目眩で己の身体を支えることさえできずに、床に崩れ落ちた。
 フジオミが、もう一度彼女を抱き上げ、寝室に連れていくのが、目を閉じていても回る視界の中、感じられた。




 昼を過ぎる頃には、熱さえ上がった。
 今度は微熱ではなかった。
 目眩に加えて、高熱にシイナの意識は朦朧としていた。
 だが、それも内心ありがたかった。
 身体は苦しかったが、心は楽だった。

 これは罰なのだ。
 罰を受けている。

 熱に浮かされながら、そんなことを思った。





 フジオミは、恐ろしかった。
 四十度を超える高熱で荒い呼吸を繰り返すシイナが、このまま死んでしまうような気がしていた。
 自分の手に負えないと判断したフジオミは、医局のクローンを一人だけ呼び寄せてシイナを診させた。
 だが、いくら解熱剤をうっても熱が一向に下がる気配はなかった。
 クローンの診断では、この高熱も、目眩も、嘔吐も、全て精神的なものだろうと言うことだった。
 きっと、おぞましい事実を知ったせいだ。
 過去の傷が、再びシイナを傷つけていた。
 昔を思い出して、苦しみを追体験している。
「――」
 今更ながらに、フジオミは悔やんだ。
 あの日、シイナに義務を強いたことを。
 苦痛を与えずに、優しく抱くこともできたはずだった。
 抱かないという選択肢もあった。
 真実を告げて、シイナに警戒するよう忠告するだけでも良かったのだ。
 だが、自分はそうしなかった。
 自分の欲望を優先したのだ。
 脅えて泣き叫ぶシイナに、愉悦さえ覚えた。
 彼女に思い知らせたかった。
 こんな風に他の男達に奪われることがあってはならないのだと。
 彼女は、自分のものなのだからと。
 そんなエゴが、こんなにも彼女を傷つけていたのに、ずっと気づかないふりをし続けてきた。

 全て割り切って、愛して欲しいだなんて、彼女にとってはさらなる苦痛でしかないのではないか。

 それでも。
 シイナが愛しかった。
 すでに、手放すことなどできない。
 こんな不安定な状態なら尚更だ。
 苦しみを与えたのが自分なら、それを取り去るのも自分でありたい。
「……」
 熱に浮かされて、苦しんでいるシイナに目を向ける。
 薄く開いた唇からは、荒い息が漏れている。
 その唇が、僅かに動いていた。
 顔を近づけると、何かを話しているが、声になっていない。

 水を欲しがっているのだ。

 グラスを唇に当てるが、仰向けに寝ているせいで、上手く飲み干せない。
 大半が頬を伝って、首筋に流れてしまう。
 タオルで首筋を拭うと、こめかみを伝って流れる涙に気づいた。
 苦しんでいるシイナに、胸が痛んだ。
「……許してくれ、シイナ……こんなになっても、手放せないんだ」
 グラスの中の冷たい水を口に含むと、フジオミはシイナの唇を覆うように己の唇を押しつけた。




 身体が、燃えるように熱かった。
 自分の身体を包んでいるシーツをはねのけたかったが、腕さえ持ち上がらない。
 喉が渇いていた。
 水が欲しい。
 口に出したが、言葉にならなかった。
 喉の奥が乾いて、声が出せない。
 それでも、必死で声を絞り出した。

 水を。

 唇に硬質な感触がした。
 そこから流れ込んでくるのは待ちに待った水だった。
 だが、横たわっているせいなのか、水は唇の横を滑り、大半が喉ではなく肌を伝って耳元に零れていった。
 タオルの感触が、頬から首筋までを優しく拭ってくれたが、今してもらいたいのは、水を飲ませてくれることだ。
 悔しくて、閉じた目から、涙がこめかみに伝った。
 うっすらと目を開けると、涙でかすむ視界の中に、フジオミがグラスを持っているのが見えた。
 表情までは見えず、虚ろな意識のまま、もう一度シイナは唇を動かした。

 水を。

 影が、自分の顔に降りてきた。
 先程とは違う、柔らかな感触が、シイナの薄く開いた唇を覆った。
 そして、待ちに待った冷たい水が口内に流れ込んできた。
 シイナが嚥下すると、柔らかな感触が離れ、同時に影も離れる。
 強く目を閉じて、もう一度開けると、朧気な視界がさっきよりははっきりした。
 フジオミが、グラスを煽っているのが見えた。
 そうして、再び顔が近づく。
 そのまま唇が触れ合った。
 口移しに、冷たい水が流れ込んでくる。
 シイナは餌を求める雛のように、フジオミが与える水を飲む。

 もっと。

 離れていく唇に、そう告げた。
 熱のこもった身体には、到底足りない。
 ねだるシイナの願いに応えて、フジオミの唇が重なった時は、伸ばした舌が、触れ合った。
 冷たい舌の感覚が気持ちよかった。
 逃したくなくて、自分の舌を絡めて、吸った。
 最初は逃れようとしていた舌が、抵抗をやめて絡みついてくる。
 シイナは夢中で、その感覚を味わった。
 こんな感覚は、初めてだった。
 否――似たような感覚は、前にもあった。
 フジオミが、髪を洗ってくれた時だ。
 だが、今はその感覚は強く、鮮明だった。

 気持ちいい。

 あの時は朧気だった感覚が、今は明確にシイナに感じられる。
 それを、逃したくなかった。

 もっと。

 声にならない呟きは、届いたようだ。
 唇が重ねられ、冷たい水が流れ込んでくる。
 飲み干すと、また、舌を絡める。
 シイナが満足するまで、それは続いた。

 熱に浮かされたまま、シイナは意識が途切れるまでその心地よさを求めた。








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