銀の精霊・森の狂王・時々、邪神
「どうして急にそんな事を?」

「我の話を聞く気があるか? 人間の女よ」

「そりゃ聞くわよ。だけどその前にひとつ、お願いがあるの」

「?」

「『人間の女』じゃなくて、名前で呼んでよ」

「承知。では、『ただのしずく』よ」

「……『雫』だけでいいから」

「では、『雫』。我は……我はずっと、知らぬ振りをしていたのだ」

 真剣そのものの表情で、火の精霊は確かにそう言った。

「知らない振り? なにを?」

「風の精霊が、水の精霊と共に砂漠へ旅立ったことを、だ」

「ああ、そのこと……」

「その砂漠越えの途中で、命を落とす危険が充分にあったことを」

「……」

「風の精霊も、水の精霊も、それを覚悟のうえで、それでも……」

 火の精霊の両手が、固く強く握り締められる。

 その拳は、なにかに必死に耐えるように、ブルブルと震えていた。

「火の精霊?」

「それでも、仲間のために旅立ったことを……我は、知らぬ振りをした」


 ……我は、当然のことだと思った。

 精霊の長が、『人間の国から一歩も出てはならぬ』と言うならば、それを守るべきだと思った。

 この世界の神達が滅亡寸前であることも、我ら精霊達が奴隷のように扱われていることも、アグアが受けている仕打ちも。

 すべてすべて、何もかも、我らが長と認めた者の命ならば、我らが従わねば立ち行かぬのだと。
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