かぐや皇子は地球で十五歳。
「また──────?……だぁ。」
授業中に眠り2、3時間後、保健室で目を覚ます。私の異常とも言える睡眠力はスポーツテストの日から眠り姫のように毎日続いている。風邪薬が強力なんです、なんて言い訳は後3日ともたない。そろそろ担任の山代から説法が飛んできそうだが、その危機を前にしても睡魔には抗うことができないでいた。
時計は午後6時、陽が沈み人気のない保健室は薄暗い。部活動で賑わう校庭をぼんやりと眺めていたが、次第に焦燥感が胸を撫で始めた。ゲーム機片手に私の目覚めを待つ晃が何処にもいない。
だが普通に考えれば授業が終わってから2時間以上経過するのだから、待ちきれず先に帰ったのかもしれない。
重い身体を起こし周りを見渡すが身一つ。学生鞄は教室なのだろう、足を床に付け立ち上がると靴底がぬるりと滑った。
(なに……、これ…………)
白い床にポタポタと垂れる円い血液の跡。靴底に貼り付いた赤い絵の具は足を滑らせる度に塗り拡がっていく。思わず足を竦み上げ、ベッドへ座り直した。
以前見たような血溜まりではないが、血の跡は保健室の出入口まで拡がっている。だが怪我人らしき人影はなく保健室にはやはり私一人。深呼吸で心を安着させ再度床に足を付けた。気のせいか校庭から聞こえる生徒の声が遠くなっている。部活動を終え教室に戻る生徒がいる筈だ、とにかくこの場から逃れようと靴底を汚しながら保健室の扉を開いた。
「……あ………ける、な………」
聞き慣れた声は苦痛に染まり掠れている。直ぐ様晃の姿を探すが声の先にいたのは同級生の男子生徒。左手に持つバイオリンを振り子のようにブラブラと揺らし、目前に呆け立っている。深く俯き顔がよく見えないがセンターパーツの前髪が特徴的なその生徒はよく知っていた。吹奏楽部の生徒で、去年バイオリンのコンクールで賞を獲った優等生。今年の交換留学候補。
「木村……くん?」
見合わせた顔はうっすらと微笑している。何か喋りだそうと唇が動いたが、次には私の視界が闇に閉ざされていた。以前感じた冷たい風。暗闇より暗い闇。
「え?」
暗い。只黒い。前も後ろも何も見えない。東西南北、眼球を忙しなく動かすが黒ばかりの暗闇。そして聞こえない。目と耳が機能しなくなったのだろうか、恐怖ばかりが膨れ上がり震える自身の身体だけが、感じられる総てとなった。
「にゃお。」
「ぎゃ─────!……へ?」
目も耳も機能していたようだ。猫の鳴き声に悲鳴をあげると暗闇に二つ、深蒼色の瞳が車のヘッドライトのようにチカチカと煌めいた。この希な眼色は間違いない。
「い、イカスミちゃん!」
黒猫は私を見据え「そうだにゃ」と返事の代わりに瞳のヘッドライトを点滅させ、道を促すようにゆっくりと移動し始めた。這いずりながら蒼い光を必死で辿っていくと、手探りの中に階段の段差をみつけその先に出口らしき光の長方形が見える。
「階段……てことは…ここ、図書室の地下……?」
図書室の地下には照明がない。ここで熟睡したまま夜になったら、ゆかりはパニックになるなぁと何時しか晃に笑われたことを思い出した。同じ一階校舎とはいえ、保健室から図書室まで五百メートルの距離がある。廊下を走り逃げた記憶も、この数秒間で意識が飛んだ記憶もない。只、肩に冷やかな風を感じたような…─────────
我に返れば階段上で黒猫が「はやくー」と私を急き立てている。暗闇から逃げるように一気に駆け上がると、またイカスミは図書室の出入り口で「こっちだにゃ」と尻尾をくねらせた。
早足でイカスミを追えば、さらに急ぎ足で先を行く。どうやら急いだ様子で私を何処かへ導こうとしている。廊下越しの中庭に下校する生徒をみつけ、現実に引き戻された私はさらに足を早めイカスミの後を追った。
授業中に眠り2、3時間後、保健室で目を覚ます。私の異常とも言える睡眠力はスポーツテストの日から眠り姫のように毎日続いている。風邪薬が強力なんです、なんて言い訳は後3日ともたない。そろそろ担任の山代から説法が飛んできそうだが、その危機を前にしても睡魔には抗うことができないでいた。
時計は午後6時、陽が沈み人気のない保健室は薄暗い。部活動で賑わう校庭をぼんやりと眺めていたが、次第に焦燥感が胸を撫で始めた。ゲーム機片手に私の目覚めを待つ晃が何処にもいない。
だが普通に考えれば授業が終わってから2時間以上経過するのだから、待ちきれず先に帰ったのかもしれない。
重い身体を起こし周りを見渡すが身一つ。学生鞄は教室なのだろう、足を床に付け立ち上がると靴底がぬるりと滑った。
(なに……、これ…………)
白い床にポタポタと垂れる円い血液の跡。靴底に貼り付いた赤い絵の具は足を滑らせる度に塗り拡がっていく。思わず足を竦み上げ、ベッドへ座り直した。
以前見たような血溜まりではないが、血の跡は保健室の出入口まで拡がっている。だが怪我人らしき人影はなく保健室にはやはり私一人。深呼吸で心を安着させ再度床に足を付けた。気のせいか校庭から聞こえる生徒の声が遠くなっている。部活動を終え教室に戻る生徒がいる筈だ、とにかくこの場から逃れようと靴底を汚しながら保健室の扉を開いた。
「……あ………ける、な………」
聞き慣れた声は苦痛に染まり掠れている。直ぐ様晃の姿を探すが声の先にいたのは同級生の男子生徒。左手に持つバイオリンを振り子のようにブラブラと揺らし、目前に呆け立っている。深く俯き顔がよく見えないがセンターパーツの前髪が特徴的なその生徒はよく知っていた。吹奏楽部の生徒で、去年バイオリンのコンクールで賞を獲った優等生。今年の交換留学候補。
「木村……くん?」
見合わせた顔はうっすらと微笑している。何か喋りだそうと唇が動いたが、次には私の視界が闇に閉ざされていた。以前感じた冷たい風。暗闇より暗い闇。
「え?」
暗い。只黒い。前も後ろも何も見えない。東西南北、眼球を忙しなく動かすが黒ばかりの暗闇。そして聞こえない。目と耳が機能しなくなったのだろうか、恐怖ばかりが膨れ上がり震える自身の身体だけが、感じられる総てとなった。
「にゃお。」
「ぎゃ─────!……へ?」
目も耳も機能していたようだ。猫の鳴き声に悲鳴をあげると暗闇に二つ、深蒼色の瞳が車のヘッドライトのようにチカチカと煌めいた。この希な眼色は間違いない。
「い、イカスミちゃん!」
黒猫は私を見据え「そうだにゃ」と返事の代わりに瞳のヘッドライトを点滅させ、道を促すようにゆっくりと移動し始めた。這いずりながら蒼い光を必死で辿っていくと、手探りの中に階段の段差をみつけその先に出口らしき光の長方形が見える。
「階段……てことは…ここ、図書室の地下……?」
図書室の地下には照明がない。ここで熟睡したまま夜になったら、ゆかりはパニックになるなぁと何時しか晃に笑われたことを思い出した。同じ一階校舎とはいえ、保健室から図書室まで五百メートルの距離がある。廊下を走り逃げた記憶も、この数秒間で意識が飛んだ記憶もない。只、肩に冷やかな風を感じたような…─────────
我に返れば階段上で黒猫が「はやくー」と私を急き立てている。暗闇から逃げるように一気に駆け上がると、またイカスミは図書室の出入り口で「こっちだにゃ」と尻尾をくねらせた。
早足でイカスミを追えば、さらに急ぎ足で先を行く。どうやら急いだ様子で私を何処かへ導こうとしている。廊下越しの中庭に下校する生徒をみつけ、現実に引き戻された私はさらに足を早めイカスミの後を追った。