かぐや皇子は地球で十五歳。
「酷いな、先に教室戻っちゃうなんて。」

 人気のない教室に一人戻ってきたのは栗林慶子。背後からゆっくりと迫り肩にかかる黒髪をサラリと払うと、ニヤリと口許を緩めながらこちらを恨めしそうに睨んだ。

「二人って、付き合ってるの?」
「え?」

 手元に視線を戻すと転校生と私の指と指は濃密に絡んだままだった。ホームルーム開始のチャイムに合わせ廊下側から生徒の足音がパタパタとこちらに向かってきている。両手を慌ててパタパタと振りほどき、机2つ分後退った。

「ち、違う……!」
「違わない。」
「ち、違わない!?」

 転校生の反撃は規格外の改心の一撃。既に涙が渇いた美顔に不敵な笑みを浮かばせ机2つ分前進、長い腕を私の腰に回し強引に引き寄せた。
『ゴン!』『ヒイ!』『ギャアアア!』
 担任の山代が教壇に足の小指をぶつけたようだ。教室に足を踏み入れた男子生徒はひきつけを起こし、例の女子三人組はこの世の終わりに発する奇声をあげた。

─────キーン、コーン、カーン。

「それでは皆さん、また明日~。」

 やたら滑稽に聴こえたチャイムに合わせ机から顔を引き剥がすと、どうやら今日の学園生活はお役目ごめんらしい、部活組は弁当を広げ、帰宅部は帰り支度を始めている。あぁ、今日の富士山は綺麗だなぁ。と窓の外を眺め現実逃避しながら鞄に荷物を詰め込んでいると、富士山の視界に薄茶色のカーテンが敷かれた。

「ゆかり、一緒に帰ろうよ。」

 現実戻ってきた。湯浅晃は長い睫毛をしぱしぱ瞬かせ、ご主人様に甘える仔犬のように私を見据えている。「キャッカ!」と仔犬を蹴りあげたいところだが、背後に押し寄せる怒り露な女子壁の隙間から、こちらの様子を窺う栗林慶子が見えた。

「……うん。」

 ホームルーム直前に三階広場で転んだという女子生徒は湯浅晃の推測通り骨折しており、学園の教職員により車で病院に運ばれている。事故は私がトイレに入った直後。野次馬根性で保健室へ足を運ばなかったのは転校生、湯浅晃と私、そして栗林慶子だけ。だからといって、栗林慶子がその女子生徒に怪我を負わせたという確証はないが…あの、瞳の色──────…

「そんな顔しないで。ゆかりは僕が守るから。」
「へ。」

『きゃぁああ…!』

 女子の悲鳴が天井まで轟き廊下を突き抜けていく。転校生に手を固く握りしめられ、引きずられるようにしてそのまま学園を後にした。
 
「あ、あの~。」
「何?」
「私、どこへ連れ去られるのでしょうか…。」

 山麓からさらに坂を登る辺鄙な土地に建てられた学園は最寄り駅まで歩いて20分はかかる。東京都とはいえ郊外も郊外、駅前に向かっても思い当たるファーストフード店は1、2軒しか思い当たらない。学生らしくそこで昼食でもとるのだろうと想像していた私は見事裏切られ、煉瓦通りの突き当たりに出ると駅とは真逆の住宅街へと促された。

(ま…まさか、家に連れ込まれる!?)

 私立中学とはいえ他と比べて学費がかからず平均的な偏差値ともあって、この地域に住む学生はほとんどが桐晃学園の生徒だ。父の仕事の都合が転校理由ということは湯浅晃は近隣に引っ越してきている可能性が高い。学園が遠退くにつれ不安が増幅し必死に足を止めようとするが、腕はどんどん前へと引っ張られていく。グレーのブレザーが振り返ることもなく表情が読み取れない。次第に不安に恐怖が重なり引き留めようと手を握り返した途端、その足は止まった。

「ふぇ?」
「ゆかり、頑張って。」

 狭い路地の行き止まりに高台へと続く階段が現れた。
大人二人分ほどの幅しかない狭い階段は角度がありビル三階分の高さはあるだろう。つい先程山から下りてきた帰宅部の私にはキツいその階段を息を切らしながら上りきると、騒がしい国道を真下に高級住宅街が軒を連ねていた。正面には丸い花壇を中心とした小さなロータリー。ロータリーを挟んで奥に見えるのは真っ白なカフェテリア。
お昼時ともあって、カフェのオープンテラスは犬連れの老人や主婦で溢れ返っている。

「ここ、いいでしょ?」

 階段を上りきり、疲れた身体を誘惑する柑橘類の爽やかな香りと甘いクリームのにおい。だが扉前のイーゼルに立て掛けられた黒板には『ランチセット1000円』と描かれている。

「私、そんなお金持ってない!」
「大丈夫だから。」

 断る隙を与えず白枠のアンティークドアを開けると、転校生は私の背中を店内へと押し進めた。
 一歩足を踏み入れたカフェの中は白を基調としたアンティークの家具で統一されており、日本にいることを忘れてしまいそうになるほどパリのブーランジェリーに酷似している。正面には色とりどりのケーキを飾ったショーケース、右側は広いカフェテラスが続き、左側には小さなパイやタルトをのせた本棚が並び、奥から見えるオーブンから香ばしいパンの香りが、テラスのカウンターからは甘いクレープの香りが立ち昇っている。
 ショーケースの前で固まっていると、大きなオーブンと睨めっこしていた女性がこちらに気づいた。

「いらっしゃいませ、あら?」

 白いコック帽から覗く髪は煌めくブロンド、碧色の瞳が美しく、まるで雑誌からでてきたような異国の美女が焼きたてのアップルパイを手にのせたままこちらへ向かってきた。
本棚の空いたスペースにアップルパイを並べるとたちまち甘い香りがふんわりと店内を漂っていく。

「はじめまして、アメリよ。お昼食べていくんでしょ?」
「ゆかりっていうんだ、ガレット2つお願いしていい?」
「学校初日に女の子連れ込むなんてやるじゃない。」

 雑じり気のない白人金髪美女が発っした美声は一語一句訛りのない日本語。あどけない笑顔は可愛らしく、優しさが滲み出てくるようなエクボが頬に浮かんでいる。金髪美女はつけとくわよ、と転校生に耳打ちをするとすぐにショーケースの向こうへと消えていった。

女子中学生には刺激が強すぎるこの情景を前に立ち竦んでいる間にも、セレブ主婦がプレートにパンやタルトをのせ、テラスへと消えていく。

「今日はとくに混んでるな。上で食べよう。」

「う、上?」

 カフェをでて裏口へ回ると白い螺旋階段が現れた。階段下にある鉄の扉は厨房へと続いているようだ。転校生は自分の部屋で食べるよ、と扉の隙間から声をかけ、階段の手すりに手をかけた。

(やっぱり、連れ込まれる──────!)
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