かぐや皇子は地球で十五歳。

「ちょっと消費期限切れてるな…。」

 家出するなら冷蔵庫のナマモノを片していくべきだと思う。全くうちの母親は抜けている。電子レンジで温めた牛乳にどっさり砂糖を入れたホットミルクを抱えソファの定位置に踞った。幼い頃、眠れない夜はお母さんが容れてくれたっけ。もしかしたら私が飲む機会を予想して捨てていかなかったのかもしれない。
 家に着いてすぐ、母子手帳とへその緒が入れられたタンスを探ったが蘭昌石はみつからなかった。仕方なく慶子にもらった石をきつく握りしめ、爪が食い込むほど願掛けをする。前回死者が現れてから12日経過。何となく、今日。そんな予感がして夕食後一人自宅へと戻っていた。
 馬鹿なことをしていると思う。
 でも私には確信がある。
 強く願えば、きっと死者は私をみつけてくれるって。

────────────ズ。

 午後10時。
 現れたのは黒髪白道着の男。褐色の肌に瑠璃色の瞳が猫のように発光している。すらりと背が高く、身長と同じ長さの細刀を肩に掲げたその男は冷気を含んだ黒霧からゆっくりと足を踏み出してきた。一目見ればわかる。この男の瞳は色欲に濡れていない。一撃で私の急所を狙ってくるだろう。
 瞼を閉じた刹那、堪えていた涙が一粒頬を伝った。

(ゆかり様、どうかお願いします。)

 貴女に私をあげる。
 晃には、貴女が必要なの。
 振り上げられる刀身は振り切れば最後。早く替わって。貴女の容れ物が壊れちゃう。

────────βΣΙΠΗΟΡΝΘΛ

 冷厳な囁き。
 お願い。私には何もないの。
 私じゃ駄目なの。
 友達も。お母さんも。
 誰も要らない娘なの。
 だから、お願い。
 
────────ΨΗЭ






 最期の忌み子、ゆかり様は百と九十繰返し転生で最美を誇る絶世の美女。美しいのは外器だけでなく才色絢爛、仕草物腰は爪先裾髪まで艶かしく、簾越しにも目が眩んだそうな。忌み子に生まれながら従者や森を気遣う心優しき主君の住まう西宮は四季の彩りと民への温もりで溢れていたという。
 
「悪い………くるま、出して……一歩も動けない。……あぁ、そう。後一分遅かったら危なかったよ……全く。……わかってるってば、静かに待ってるから。」

 そうだね。
 あと30秒速ければ。

「ゆかり、怒るなって言われたら俺は怒らない。こんな馬鹿げた真似をした理由も聞かない。でもゆかりは俺に言うべき言葉があるんじゃないか?」

 口調は厳しいが闇移動と錬成で疲れきった晃は息を切らしソファに仰向けで寝そべっている。死者は一刀両断され闇に散った後だ。

「……………のに。」
「何?聞こえないんだけど。」
「………ったのに。」
「何だよ、はっきり言えよ。」
「ΨΗЭ。」
「え……?」
「どういう意味かな、って。」
「はい。イエス……だけど。何、急に。」

 でも、私は正しかった。

「そっか、よかった。」
「全然良くないんですけど!?」
「う~んと……、湯浅くん、ごめんなさい。どうしたら許してくれる?」
「え…っぇえ?えー…と。じゃあちょっとだけ……充電させて。」
「うん?いいよ。どうすればいい?」
「ほ、ほっぺにチュー。」
「それは駄目。」

 湯浅くんの初めては、全部ゆかりのものでしょ?

「じ、冗談だよ。膝枕は、膝枕。」
「膝枕?うん、いいよ。」

 捻れ切った醜い心は、闇に眠ればいい。
 女神ヴィーナスは正しかった。
 美しい身体には美しい心に入れ換えてあげなくちゃ。
 頭ひとつ分の虚空に膝を滑り込ませると、柔らかな栗毛がふわふわと太股をくすぐった。うん、いい感じ。と目を瞑り頬を綻ばせる。嬉しくて手が勝手に動いていた。

「よし、よし。よし、よし。」
「な、何だよ。」
「なでなで、いや?」
「い、いや……では、ない……」

 今少しだけ、甘えていいかな。
 少しだけ、側に居させて。
 誕生日までには必ず、君に「ゆかり」を返すって

 約束するから。

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