Octave~届かない恋、重なる想い~
筆談用として使っている小さなホワイトボードには、私達きょうだいを頼む、という言葉が残っていた。
どんな意味なのかも私はその時深く考えず、促されるままそれを一度消す。
その後、改めて父が書いたのは『冷蔵庫にりんごがある』だった。
「お父さん、食べたいの?」
尋ねる私に父はかすかに頷いて、右手の指を三本出した。
「三人で食べましょうっていう事ね。それじゃあ、ちょっと待ってて」
病室備え付けのミニキッチンで、りんごの皮を剥いた。父はまだ嚥下に時間がかかるので、すり下ろしたものを用意する。
私と雅人さん用には思い出の『りんごのうさぎ』を。
私がキッチンにいる間、父と雅人さんは何かやりとりをしていたようだった。
時々、雅人さんの口から私の名前が出る度に、気になるのと恥ずかしさで、包丁が滑るかと思った。
りんごを運んだ時、雅人さんが少し慌てた様子でホワイトボードを消したのが何となく気になったけれど、見なかったことにしよう。
今、私の周りで騒がれている面倒な問題についてだと思うから。