明日なき狼達
 誰よりも貴重な一分一秒がどんどん削られて行く。何かを話したいと思っていても言葉が浮かばない。

 梶にしても、又、静子にしても、お互いのもどかしさが判るだけに尚更の事、過ぎて行く時間を心の底から惜しみ、そして憎んだ。

「時間です」

 何時ものように刑務官の冷徹な声で二人の想いは引き裂かれる。嫌々立ち上がった静子の視線を梶は見つめ続けた。

「先生……さよなら」

 彼女と出会ってから二十年余り。

 初めて静子が口にした言葉だった。

 梶の頬に幾筋もの涙が流れていた。

 梶の泣き顔を初めて目した静子は、驚きと同時に何かを感じ取った。

「生きて、ずっと生き続けて……」

 彼女の口からそんな言葉を聞くとは思いも寄らなかった。

「し、静子ぉ……」

「ありがとう……」

 そう言って扉の向こうに彼女は消えた。

 面会室に一人残された梶は、搾り出すような声で泣いた。




 女区の独居房に戻る廊下の途中で、彼女は両手で顔を覆い辺りを憚らずに泣いた。

 その姿を静かに見つめ続ける女性刑務官。

 彼女も溢れ出る涙を拭おうともせず、静子の肩に手を乗せた。





 梶は拘置所を出てから、何処行く当ても無く、ただひたすら歩いた。

 どの道をどう曲がり、どう歩いたかも判らなかった。薄暮の町並みの中を夢遊病者のように、ただただ歩き続けた。

 遥か後方に小さくなって行く十四階建の東京拘置所が、まるで墓標のように小さくなった時、それ迄振り返る事をしなかった梶が足を停めて振り返った。

 汗と涙でぐちゃぐちゃになった顔をハンカチで拭い、そっと両手を合わせ、拝んだ。



 その梶にずっと尾行者が付いていた事を本人は気付いていなかった。

 路地の物陰から梶の様子を窺う二人の男の醸し出す匂いには、普通の人間が持ち合わせていない暴力の匂いがあった。

 彼らの背広の内ポケットにはいずれもナイフがあり、それで人を殺す事に何等躊躇いも見せずにやってしまうだけの殺気を撒き散らしている。

 二人の尾行者は、拘置所の正門前からずっとチャンスを狙っていた。

 内ポケットに忍ばせたナイフを使うチャンスを……


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