明日なき狼達
 梶は四十年の時間を必死で遡ろうとした。

 少しずつ目の前の男の顔が、当時の顔になって行く。

「学生服を着た一人の方が、私を助け出してくれて……もしや?間違い無い、貴方ですよね?」

 男は頭に手をやり、照れたような笑みをうかべ、頷いた。

「いや、これは、これは……」

 梶は暫く絶句したままその男を見つめた。

「よく私だとお判りに……」

「職業病というのでしょうか、人の顔を覚える癖が……」

「職業病?」

「まあ、そんな大袈裟なものでは無いんですけどね。お名前も存じ上げております」

「私の?」

「種明かしをすれば、以前新聞で死刑囚の弁護を引き受けられた記事を見まして、その時に、あっ、あの時のって思い出した訳なんです」

「死刑囚の弁護で新聞に……あっ、米山事件」

「ええ。精神薄弱の青年が一家四人を殺害した……」

「あれは、正直言って私には荷が重過ぎた事件でした」

「日本の裁判制度と死刑制度の両方から貴方は攻めた……。
 我々もあの裁判には注目してました。結果は……」

「被告の自殺……」

「そうでしたね。お陰で当時の拘置所の責任者がごっそり左遷されました」

「とすると、貴方は、そういった方面でのお仕事で?」

「いえ。警察官でした。米山事件の時は、私も本部勤めでした」

「そうでしたか」

「あっ、申し遅れました、私は野島といいます。もう、宮使えを終えて、しがない浪人になってしまったものですから、名刺の持ち合わせもありませんでして」

「梶です。気にせんで下さい。私だって似たようなものですから」

「では、もう弁護士のお仕事は?」

 野島の言葉に梶は答える事無く、笑みを浮かべたままビールを注いだ。

「そうだ、野島さんにはその節の礼をしなけりゃ」

 そう言って梶は改めて野島の正面に向き直り、深々と頭を下げた。

「梶先生、頭を上げて下さい」

「あの時、野島さんは自らの危険を顧みず、怪我をした私をあの騒乱の場から助け出してくれた。命を落としていてもおかしくなかった……この通り、感謝しております」

「もうその辺で……」

「貴方はあの時無言で立ち去ったから、礼の言葉をずっと言えなかった……」
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