明日なき狼達
 照れ笑いを浮かべた加代子は、思い切り松山の背中を叩き、浅井と児玉の所へ行った。その後ろ姿を眺めながら、どうして可愛いだなんて口にしたのだろうと思った。そして、何年振りかで別れた女の事を思い出していた。



 千恵子は普通の女だった。

 付き合い始めた頃はまだ大学四年生で、居酒屋でバイトしてる時に知り合った。きっかけは、酔っ払った客に絡まれている所を助けたのが始まりであった。

 自分がヤクザである事は一言も話さなかった。まさか付き合う事になるとは考えてもいなかったからである。

 だが、千恵子が就職が決まり、居酒屋のバイトを辞めるという最後の夜、松山と千恵子は結ばれた。身体の関係になって初めて千恵子を愛していたんだと実感した。

 初めての夜、松山の背中一面に施された毘沙門天の入れ墨を見ても、千恵子は驚きもせず、

「これ、戦いの神様なんでしょ?」

「お前、そんな事良く知ってるな」

「子供の頃から覚えなくてもいい事を覚える癖があって……親にも、お前は下らない事ばかり知っていて、肝心な事は何一つ覚えていない、て言われてた」

 毘沙門天……闘神

 ヤクザに憧れ、身体にこんなものを背負い込んでしまった。

「俺みたいな男でも構わないのか?」

「何故?」

 千恵子はそう言って不思議そうな顔をした。

 千恵子は新卒社会人として一流商社に入社した。

 同僚達とたまに付き合いで飲みに行ったりする事もあったが、毎晩のように帰る先は松山のアパートであった。

 三ヶ月後、松山の部屋に千恵子は住み着いた。二年程して、子供が出来た。

 松山も千恵子も喜んだが、暫くして流産してしまった。

 この事を歎き悲しんだ千恵子は、よりいっそう子供を欲しがるようになったが、それ以後、子を授かる事は無かった。

 実家には松山の存在は知らせていなかったから、浮いた噂を聞かない両親が心配し、幾度となく見合いの話しを持って来た。それ以外にも、会社の同僚男性から言い寄られたりする事は度々だった。

 だが、松山という存在があった為に、全ての話しや誘いを無視して来た。

 千恵子にとって、男とは松山匡一人であったのだ。

 そして、二人が出会って八年目、事件が起きた。

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