明日なき狼達
 松山と別れた澤村は、久美子の店を出た後、渋谷の自宅には戻らずに、銀座へ向かった。

 親栄会の本部がある銀座に特に用があった訳では無い。ある人物と会う為である。

 戦前からの右翼で辻一世という人物が居る。既に九十を越しているが、その筋では今でも影響力を持っている。

 澤村が辻に引き合わされたのは、死んだ水嶋の紹介であった。

「どうか、こいつが頭を下げに来た時には、力になって上げて下さい。辻先生の為にもなる筈です。そういう男になれる奴です」

 両手を付き、深々と頭を下げる水嶋を見ながら、

「水嶋君、君程の男がそこ迄目を掛けてるのなら、四の五は言わん。澤村君と言ったかな。何時でも遊びに来なさい。何も頼み事の時ばかりじゃなく、こんな爺相手に茶でも付き合ってくれる気持ちがあれば、私は何時でも大歓迎だ」

 以来、盆暮れの付け届けや挨拶を欠かさずに顔を出している。

 今夜は特別に時間を作って貰った。

 大きな借りになるが、澤村はその事を別段気にも止めていなかった。

 借りが出来るうちが花……

 返せるかどうかなんて考えていたら、上は望めない。

 松山の顔が浮かんで来た。

 昔から涙脆い人だったな……

 タクシーは銀座八丁目に入った。ビルとビルの間に挟まるように、一軒家がある。タクシーを降り、そのままその家に入って行った。昔ながらの引き戸を開け、玄関口で、

「御免下さい。夜分済みません、澤村です」

 と告げると、程無く三十絡みの女性が現れた。

「お待ちしておりました」

 客間に案内され、暫く待っていると辻がやって来た。座布団を横にずらし、両手をついて頭を下げると、

「よく来たね。さ、固い挨拶は抜きだ。こんな時間だから、たいした物を出せないが、酒だけは売る程ある」

 そう言って、座椅子にもたれるように腰を下ろした。

「こんな非常識な時間に申し訳ありません」

「気にせんでいい。こう見えても、最近は夜更かしを覚えてな。ははは」

「恐縮です」

「急ぎの話しがあっての事だろうが、夜はまだ長い。ゆっくり飲みながらでも構わんだろう?」

 辻が手を叩くと、案内してくれた女が膳を運んで来た。
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