アリスズdef
「行くわよ」
そう言ったのは──ヒセ。
17歳になったショーノのひとつ年上の姉であり、イデアメリトスの第一子である娘。
「ほいほい」
大荷物を担いだのは、19歳の次郎。
足元に伏せていた山追(やまおい)の獣も、彼に合わせて立ち上がる。
面倒くさそうに、でも少し楽しそうに、イデアメリトスへの敬意も感じていない男は腰に光輝く刀を佩いている。
「何をぼーっとしている、行くぞ、ショーノアオルティム」
短剣ひとつを腰に差した、長い髪の男がショーノを追い立てる。
どこをどう見ても、彼女の弟である。
何度見つめても、やっぱりショーノの弟であり16歳のロアッツだ。
「は、はい……って、『姉さん』でしょ」
ぼんやりしていた自分に気づいて、彼女は弟をたしなめながらも、慌てて腰の刀を差し直した。
母の刀である。
未熟な自分が真剣を使ってもいいのか迷っていた彼女に、「命を守るために使いなさい」と言って、持たせてくれた。
そんな彼らは、夜明けと共に都の宮殿を出る。
小さなヒセを筆頭に、この四人で捧櫛の神殿まで、イデアメリトスの成人の旅に行くのだ。
18の誕生日が近づいてきたヒセは、最初にショーノに声をかけた。
文官役でも武官役でもない、女の世話役として。
「私と来るのよ、ショーノアオルティム」
強く気高い姉の強引な声と手が、彼女を呼んだ。
「私が、あなたの背を簡単に越える日を、一番側で見せてあげるから、楽しみにしてなさい」
ショーノは、そう言って自信たっぷりに微笑む小さな姉の手を取っていた。
「武官役なら、次郎兄さんを推薦します」
女のイデアメリトスの旅は、気楽よとヒセは言った。
彼女の弟のどちらかが太陽を継ぐことになるから、武官も文官も賢者になるわけではないので、大して気にしなくてもいいのだと。
それならば、次郎が適任だと思った。
「ああ、いいぜ」
次郎は、何の迷いもなくそれを受けた。ただしひとつだけ条件があって、山追の獣を同行させることだった。
ロジア先生は、出発直前までおいおい泣いて、彼の首に巻きつけた手を離さなかったらしいが。
後でヒセから聞いて驚いたが、姉と次郎の同行を知ったロアッツが、すぐさま自分をヒセに売り込みに言ったという。
『将来、賢者になる力量の私なら、決して貴女に損はさせません』
『賢者になりたいなら、弟の旅にくっついて行くのが得策ではないの?』
そんなヒセの言葉に、ロアッツはふてぶてしく笑ったらしい。
『賢者には、自力でなりますので、お気遣いは無用ですよ』
その自信過剰な弟の態度は、ヒセを喜ばせたようで、旅の一人に加えられてしまった。
姉のヒセ、兄弟子の次郎と山追のハチ、弟のロアッツ、そしてショーノ。
何の気遣いも心配もいらないその顔ぶれは、彼女にとって恐ろしいほどに幸せなものだった。
ひとつ足りないとすれば。
「ショーノアオルティム! 次郎! ハチ!」
隣領に行く街道の途中の木の枝から、さかさまに何かが飛び出してきた。
ぶらんと枝にぶら下がった白と黒の短い髪。
「セイちゃん!?」
突然の彼女の登場に、びっくりしてショーノは大声をあげてしまった。
「セイ? ああ、あのセイ?」
ショーノにとって従姉妹なのだから、ヒセにとってもそうなる。
会ったことはないようだが、彼女は名前くらいは知っていたようだ。
そんなヒセの方に、セイはまっすぐに向いた。
「初めまして、ヒセリマイエザークレンサウ! セイです。お日様の友達の名を持つセイです」
笑顔と共に美しい発音で向けられる言葉に、ヒセの身体がぐらりと揺れる。
慌てて支えようとしたら、それより先に次郎が支えてくれていた。
たったいま、ヒセはアレを体験しているのだと、ショーノには理解出来た。
彼女に初めて名前を呼ばれた瞬間の、あの太陽のある空の景色が巻き起こす強い眩暈だ。
「おい、セイ。オレの荷物を増やすなよ」
次郎は、笑いながら小さなヒセを抱き上げる。どうやら、ショーノの時以上の衝撃だったのか、うまく立てないらしい。
背中には大荷物、前にはヒセと、大変な有様だ。
勿論、ロアッツはそんな次郎に、助けを申し出たりはしない。
「次郎は力持ちだから、大丈夫だよね」
にこにことセイは笑う。
「まあ、そうだな」
ヒセを抱いて次郎が再び歩き始める後ろから、セイがついて歩く。
「何勝手に合流してるの?」
彼の腕の中のヒセが、唸り声をあげた。
突然の眩暈をくらわせられて、彼女はとても不機嫌なようだ。
そうしたら。
次郎はセイを見て、セイもまた次郎を見て、二人で楽しそうに笑い出すではないか。
「セイは、合流なんかしてないよな?」
次郎の唇の端が、ニヤニヤと上がっていく。
「うん、セイは勝手についてきてるだけ」
セイは、心のままを言葉にする。
「……ふざけている」
弟が不機嫌な声で呟く。
「ふざけてるわね」
次郎の腕の中のヒセが呻く。
「セイちゃん、一緒に来てくれるの!?」
ショーノは──自分の顔がぱぁっと明るくなるのを感じた。
そんな彼女の表情に、ヒセは呆れたようにため息をつき、弟は更に機嫌を悪くして顔を曇らせる。
ショーノの中でひとつだけ足りなかったパーツが、向こうから飛び込んできてくれたのだ。
そのため、彼女はどうしても喜びを隠せなかったのである。
「セイは女の子だから、勝手について行っても大丈夫だって、お父さんが言ってた」
そして、そのパーツは、まさかのイデアメリトスのお墨付きだった。
「ええと、殿下」
ショーノは、ヒセの機嫌を直すべく、声をかける。
どうせなら、きちんと彼女にセイも旅の一員として認めて欲しかったのだ。
「……」
しかし、すっかりヘソを曲げてしまったのか、返事さえしてくれない。
「違うだろ、ショーノ」
次郎は、ぶすったれたままの彼女を抱き直しながら、ショーノに顔を眉を上げて見せる。
ああ、そっか、えっと。
唇を湿らせて、ショーノは言葉を紡ぐための力を込めた。
「『ヒセ姉さま』……セイちゃんも一緒に連れて行ってもらえませんか?」
その呼び方には、まだ少し余計な力が沢山必要だ。
けれど。
「……分かったわよ」
こっちを見ないままのヒセが、それを受け入れてくれる。
長い間、離れて育ったせいで、姉妹と言われてもいまひとつ実感がわかないところがまだある。
「ありがとう、ヒセ姉さま」
その隙間を、この旅で埋められたらいい。
ショーノはそう願った。
「ショーノアオルティム、ぼーっとしてないでさっさと歩け」
そんな感慨深い時間は、弟に断ち切られる。
「だから、『姉さん』でしょ、ロアッツちゃん」
「……今度、『ちゃん』をつけたら、二度と口きかないからな」
何が不満なのか、彼女の弟は目つき悪く凄んで見せた。
「お、それいいな。ショーノ、これからロアッツのことは、全部『ちゃん』付けで呼んでやれ」
「セイは、『ちゃん』とか使わないから大丈夫だよ、ロアッツミーニアリステ」
二人とも、『ちゃん』はつけなかったというのに、ロアッツは口をきくのも馬鹿らしいように黙り込んでしまった。
「はぁ……うるさい旅路になるわね。ジロウ、下ろして」
ようやく眩暈の全てを振り切ったらしいヒセは、地にしっかりと立って残りの四人の顔を見回した。
「足手まといになったら、誰であろうと捨てていくわよ、覚悟なさい」
そんな力強い宣言に。
「あいよ」
「セイなら大丈夫」
「私は捨てる側ですから問題ありません」
それぞれが、不安のかけらもない言葉で答える。
そんな中。
「わ、私が一番最初に捨てられるのかな?」
ちょっと心配になったショーノが、そう答えてしまったため──全員に頭をはたかれることとなったのだった。
『終』
そう言ったのは──ヒセ。
17歳になったショーノのひとつ年上の姉であり、イデアメリトスの第一子である娘。
「ほいほい」
大荷物を担いだのは、19歳の次郎。
足元に伏せていた山追(やまおい)の獣も、彼に合わせて立ち上がる。
面倒くさそうに、でも少し楽しそうに、イデアメリトスへの敬意も感じていない男は腰に光輝く刀を佩いている。
「何をぼーっとしている、行くぞ、ショーノアオルティム」
短剣ひとつを腰に差した、長い髪の男がショーノを追い立てる。
どこをどう見ても、彼女の弟である。
何度見つめても、やっぱりショーノの弟であり16歳のロアッツだ。
「は、はい……って、『姉さん』でしょ」
ぼんやりしていた自分に気づいて、彼女は弟をたしなめながらも、慌てて腰の刀を差し直した。
母の刀である。
未熟な自分が真剣を使ってもいいのか迷っていた彼女に、「命を守るために使いなさい」と言って、持たせてくれた。
そんな彼らは、夜明けと共に都の宮殿を出る。
小さなヒセを筆頭に、この四人で捧櫛の神殿まで、イデアメリトスの成人の旅に行くのだ。
18の誕生日が近づいてきたヒセは、最初にショーノに声をかけた。
文官役でも武官役でもない、女の世話役として。
「私と来るのよ、ショーノアオルティム」
強く気高い姉の強引な声と手が、彼女を呼んだ。
「私が、あなたの背を簡単に越える日を、一番側で見せてあげるから、楽しみにしてなさい」
ショーノは、そう言って自信たっぷりに微笑む小さな姉の手を取っていた。
「武官役なら、次郎兄さんを推薦します」
女のイデアメリトスの旅は、気楽よとヒセは言った。
彼女の弟のどちらかが太陽を継ぐことになるから、武官も文官も賢者になるわけではないので、大して気にしなくてもいいのだと。
それならば、次郎が適任だと思った。
「ああ、いいぜ」
次郎は、何の迷いもなくそれを受けた。ただしひとつだけ条件があって、山追の獣を同行させることだった。
ロジア先生は、出発直前までおいおい泣いて、彼の首に巻きつけた手を離さなかったらしいが。
後でヒセから聞いて驚いたが、姉と次郎の同行を知ったロアッツが、すぐさま自分をヒセに売り込みに言ったという。
『将来、賢者になる力量の私なら、決して貴女に損はさせません』
『賢者になりたいなら、弟の旅にくっついて行くのが得策ではないの?』
そんなヒセの言葉に、ロアッツはふてぶてしく笑ったらしい。
『賢者には、自力でなりますので、お気遣いは無用ですよ』
その自信過剰な弟の態度は、ヒセを喜ばせたようで、旅の一人に加えられてしまった。
姉のヒセ、兄弟子の次郎と山追のハチ、弟のロアッツ、そしてショーノ。
何の気遣いも心配もいらないその顔ぶれは、彼女にとって恐ろしいほどに幸せなものだった。
ひとつ足りないとすれば。
「ショーノアオルティム! 次郎! ハチ!」
隣領に行く街道の途中の木の枝から、さかさまに何かが飛び出してきた。
ぶらんと枝にぶら下がった白と黒の短い髪。
「セイちゃん!?」
突然の彼女の登場に、びっくりしてショーノは大声をあげてしまった。
「セイ? ああ、あのセイ?」
ショーノにとって従姉妹なのだから、ヒセにとってもそうなる。
会ったことはないようだが、彼女は名前くらいは知っていたようだ。
そんなヒセの方に、セイはまっすぐに向いた。
「初めまして、ヒセリマイエザークレンサウ! セイです。お日様の友達の名を持つセイです」
笑顔と共に美しい発音で向けられる言葉に、ヒセの身体がぐらりと揺れる。
慌てて支えようとしたら、それより先に次郎が支えてくれていた。
たったいま、ヒセはアレを体験しているのだと、ショーノには理解出来た。
彼女に初めて名前を呼ばれた瞬間の、あの太陽のある空の景色が巻き起こす強い眩暈だ。
「おい、セイ。オレの荷物を増やすなよ」
次郎は、笑いながら小さなヒセを抱き上げる。どうやら、ショーノの時以上の衝撃だったのか、うまく立てないらしい。
背中には大荷物、前にはヒセと、大変な有様だ。
勿論、ロアッツはそんな次郎に、助けを申し出たりはしない。
「次郎は力持ちだから、大丈夫だよね」
にこにことセイは笑う。
「まあ、そうだな」
ヒセを抱いて次郎が再び歩き始める後ろから、セイがついて歩く。
「何勝手に合流してるの?」
彼の腕の中のヒセが、唸り声をあげた。
突然の眩暈をくらわせられて、彼女はとても不機嫌なようだ。
そうしたら。
次郎はセイを見て、セイもまた次郎を見て、二人で楽しそうに笑い出すではないか。
「セイは、合流なんかしてないよな?」
次郎の唇の端が、ニヤニヤと上がっていく。
「うん、セイは勝手についてきてるだけ」
セイは、心のままを言葉にする。
「……ふざけている」
弟が不機嫌な声で呟く。
「ふざけてるわね」
次郎の腕の中のヒセが呻く。
「セイちゃん、一緒に来てくれるの!?」
ショーノは──自分の顔がぱぁっと明るくなるのを感じた。
そんな彼女の表情に、ヒセは呆れたようにため息をつき、弟は更に機嫌を悪くして顔を曇らせる。
ショーノの中でひとつだけ足りなかったパーツが、向こうから飛び込んできてくれたのだ。
そのため、彼女はどうしても喜びを隠せなかったのである。
「セイは女の子だから、勝手について行っても大丈夫だって、お父さんが言ってた」
そして、そのパーツは、まさかのイデアメリトスのお墨付きだった。
「ええと、殿下」
ショーノは、ヒセの機嫌を直すべく、声をかける。
どうせなら、きちんと彼女にセイも旅の一員として認めて欲しかったのだ。
「……」
しかし、すっかりヘソを曲げてしまったのか、返事さえしてくれない。
「違うだろ、ショーノ」
次郎は、ぶすったれたままの彼女を抱き直しながら、ショーノに顔を眉を上げて見せる。
ああ、そっか、えっと。
唇を湿らせて、ショーノは言葉を紡ぐための力を込めた。
「『ヒセ姉さま』……セイちゃんも一緒に連れて行ってもらえませんか?」
その呼び方には、まだ少し余計な力が沢山必要だ。
けれど。
「……分かったわよ」
こっちを見ないままのヒセが、それを受け入れてくれる。
長い間、離れて育ったせいで、姉妹と言われてもいまひとつ実感がわかないところがまだある。
「ありがとう、ヒセ姉さま」
その隙間を、この旅で埋められたらいい。
ショーノはそう願った。
「ショーノアオルティム、ぼーっとしてないでさっさと歩け」
そんな感慨深い時間は、弟に断ち切られる。
「だから、『姉さん』でしょ、ロアッツちゃん」
「……今度、『ちゃん』をつけたら、二度と口きかないからな」
何が不満なのか、彼女の弟は目つき悪く凄んで見せた。
「お、それいいな。ショーノ、これからロアッツのことは、全部『ちゃん』付けで呼んでやれ」
「セイは、『ちゃん』とか使わないから大丈夫だよ、ロアッツミーニアリステ」
二人とも、『ちゃん』はつけなかったというのに、ロアッツは口をきくのも馬鹿らしいように黙り込んでしまった。
「はぁ……うるさい旅路になるわね。ジロウ、下ろして」
ようやく眩暈の全てを振り切ったらしいヒセは、地にしっかりと立って残りの四人の顔を見回した。
「足手まといになったら、誰であろうと捨てていくわよ、覚悟なさい」
そんな力強い宣言に。
「あいよ」
「セイなら大丈夫」
「私は捨てる側ですから問題ありません」
それぞれが、不安のかけらもない言葉で答える。
そんな中。
「わ、私が一番最初に捨てられるのかな?」
ちょっと心配になったショーノが、そう答えてしまったため──全員に頭をはたかれることとなったのだった。
『終』