蓮華〜流レルママニ〜
周りを見ていてよく思う。何故みんな、薄っぺらい上辺だけの付き合いが出来るのか…
寂しいから?
その寂しさは、上辺の付き合いで拭えているのか?
その相手は、困った時に助けてくれるのか? 相手を助けてあげられるのか?
極端な事じゃない。
例えば、自分と相手の死の瞬間、自分を犠牲にすれば相手が助かる場面。
自分を犠牲にしてでもと思える相手は、世の中にそんなにいない。
だけどそれは、間違った事じゃない。
自分の命を大切にすることは当たり前の事で、人に差し出すものじゃない。
残された相手は、何を思い生きていくのだ?
人間、切羽詰まった時に本質が浮き出る。恐らくそれは、自分でも気付く事のできない深層心理で、他が理解できないのは無理からぬ事だ…
人は一人では生きられないのではなく、
理解者の有無によって寂しさを覚えるのだ。
温もりが欲しいのは、生物の本能であって、本当に欲しいのは心の中だろう。
昔から親には、人の目は気にするな、と言われ続けた。自分は自分だ、と。
だけど、人は人の目を気にする。自分を取り巻く周囲を見る。
変化があれば、それに対応する。
おどけた人を茶化したり、困った人を助けたり、悲しむ人を慰めたり。
自分にもそうあって欲しいと思えばこそだ。
だから、人を気にする。
人は人をそういう目で見る事を知ってるから。
そう学んできたから。
経験してきたんだ…