墨
個人レッスン
長い同棲生活は二人を冷ましてしまった。
身体も重ねずに眠る夜の疼きは欲求不満……浮気心に違いない……
室内は書道家らしい和のしつらいだ。
下敷きを広げる『先生』の作務衣姿は、いつもより若く見える。
「今日は着物じゃないんですね」
「あれは外出着だ」
カルチャースクールの講師である彼に頼み込んでの個人レッスンは……もちろん建前だ。
無防備な襟元の鎖骨に欲情を感じる。
だが男は冷静だった。
「君は、本気で書に向かう格好ではないな」
モヘアの白いセーターは、一番可愛く見えるお気に入りのスタイル。
「だって、先生のお家に来るから……」
シナを作っての言葉を、投げつけられた割烹着が遮る。
「さっさとそれを羽織って!」
男は眉を顰めて、墨汁を注ぎ始めた。
「あれ? 墨はすらないんですか」
「ああ、枚数をこなすのが目的だからな」
硯の上で静かな音の鳴る瞬間が、一番好きだ。
立ち上る膠の香りに感じるのは、ムノキョーチ? むしろ欲情?
真っ白い半紙が広げられ、感慨が断たれた。
何枚書いただろう。
先生は背中に覆いかぶさって筆を握り、墨跡を導いてくれる。
「ハネが雑すぎる。大胆と雑は違う」
「ええ? 良くわかんない。もういっぺん~」
背中を押し付け、密着を高める。
作務衣から、墨の匂いがふわりと立った。
「筆が乱れているぞ。集中しろ」
無理だ……。
胸板の硬さ、耳元にかかる声、目に入る無骨な指先。全てが熱を呼ぶ。
筆が突然に直線を描き始めた。
不器用だが一本気な線は……
「気づいたか? 君のいつもの筆だ」
左腕が肩口を抱く。それは、恋情に浮かされた男の腕。
「色仕掛けなんて出来るほど、器用じゃないのは知っている。なのに……なぜ俺を選んだ?」
「なぜ……」
純情で、女慣れしていないから、簡単だと踏んだから?
「俺の気持ちに……気づいたからじゃないのか?」
違う。
熱を隠せない視線を浴びる焦燥にこらえ切れなくて……不器用な彼に、少しだけ勇気を出して欲しくて……
「間男にされるのはゴメンだ。本気なら、抱いてやってもいい」
もう、こらえきれない。
疼くほど求めていたのは身体を満たす男ではなく、この人、ただ一人……
筆が半紙の上を転がり、新たな墨跡は奔放に描き出された。
身体も重ねずに眠る夜の疼きは欲求不満……浮気心に違いない……
室内は書道家らしい和のしつらいだ。
下敷きを広げる『先生』の作務衣姿は、いつもより若く見える。
「今日は着物じゃないんですね」
「あれは外出着だ」
カルチャースクールの講師である彼に頼み込んでの個人レッスンは……もちろん建前だ。
無防備な襟元の鎖骨に欲情を感じる。
だが男は冷静だった。
「君は、本気で書に向かう格好ではないな」
モヘアの白いセーターは、一番可愛く見えるお気に入りのスタイル。
「だって、先生のお家に来るから……」
シナを作っての言葉を、投げつけられた割烹着が遮る。
「さっさとそれを羽織って!」
男は眉を顰めて、墨汁を注ぎ始めた。
「あれ? 墨はすらないんですか」
「ああ、枚数をこなすのが目的だからな」
硯の上で静かな音の鳴る瞬間が、一番好きだ。
立ち上る膠の香りに感じるのは、ムノキョーチ? むしろ欲情?
真っ白い半紙が広げられ、感慨が断たれた。
何枚書いただろう。
先生は背中に覆いかぶさって筆を握り、墨跡を導いてくれる。
「ハネが雑すぎる。大胆と雑は違う」
「ええ? 良くわかんない。もういっぺん~」
背中を押し付け、密着を高める。
作務衣から、墨の匂いがふわりと立った。
「筆が乱れているぞ。集中しろ」
無理だ……。
胸板の硬さ、耳元にかかる声、目に入る無骨な指先。全てが熱を呼ぶ。
筆が突然に直線を描き始めた。
不器用だが一本気な線は……
「気づいたか? 君のいつもの筆だ」
左腕が肩口を抱く。それは、恋情に浮かされた男の腕。
「色仕掛けなんて出来るほど、器用じゃないのは知っている。なのに……なぜ俺を選んだ?」
「なぜ……」
純情で、女慣れしていないから、簡単だと踏んだから?
「俺の気持ちに……気づいたからじゃないのか?」
違う。
熱を隠せない視線を浴びる焦燥にこらえ切れなくて……不器用な彼に、少しだけ勇気を出して欲しくて……
「間男にされるのはゴメンだ。本気なら、抱いてやってもいい」
もう、こらえきれない。
疼くほど求めていたのは身体を満たす男ではなく、この人、ただ一人……
筆が半紙の上を転がり、新たな墨跡は奔放に描き出された。