Enchante ~あなたに逢えてよかった~
ミルクの代わりにブランデーを少し足した珈琲と
ブランケットを手に戻ってきた絢子は
床に座りソファーを背にした澤田の
「おいで」 と広げられた腕の中に収まった。


澤田の胸に背中を預けるように座ると
彼の腕が絢子の身体に緩く巻きつく。
親密になってからは、まださほど経っていないのに
二人で過す時間はこのスタイルがすっかり馴染んで定番になってしまった。


この背中に感じる温もりも安心感ももう感じる事はないのだと思うと
どうしようもうない切なさが込み上げるまま
一人膝を抱えて過した昨日までを思って
じわりと滲んだ涙を隠すように絢子は身体を横向きにずらすと
自分を抱きしめている澤田の胸に顔を埋めた。



「寒い?」
「少し・・」



自分の胸元に縋るようにして身を縮めた絢子を
澤田はしっかりと抱えなおしてブランケットを引き上げた。
絢子は、まるで宝物の様に自分を抱きかかえる澤田の吐息を額に感じながら思っていた。


どんなに寂しくても切なくても辛くてもここで泣いたりしたら
優しいこの人を困らせてしまうだろう。
これから新たなる決意とともに厳しい世界へ挑もうとしている彼には
迷いのない気持ちで臨んで欲しい。
その心には小さな爪あと一つであっても残したくない。
だから・・・このまま何も言わずにこうして居よう、と。



「絢子」


不意に呼ばれて絢子は弾かれたように顔を上げた。


「ん?」
「何か喋ってくれないか」


まるで絢子の心を読んだかのような澤田の言葉に
戸惑った絢子は一呼吸おいて答えた。


「・・・イヤよ」
「どうして?」
「情けない事、言いそうだから」
「いいじゃないか。聞かせてくれ」
「女の泣き言を聞きたいの?悪趣味ね」
「悪趣味だろうが何だろうが、俺が泣かせていると思うと悪くない」
「酷い男。恨むわよ」
「忘れられるより、ずっといい」
「すぐに忘れてやるわ」
「なんて冷たい女だ」




くすくすと額をつけて笑いあい、何度もキスを交わし合っても
二人はもうそれ以上の触れあいも繋がりも欲しいとは思わなかった。
互いの想いの全てを通わせ認め合った今は
あんなにも求め合って体を繋げた頃よりも
ずっと深い絆で結ばれているような気がしていた。


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