Enchante ~あなたに逢えてよかった~
「またやってるわねえ、駿ちゃんのニュース」


喉を鳴らして最初の一杯を半分ほど一気に飲み干したキャサリンが
TV画面へと視線を向けた。


澤田が絢子との最後の夜を過ごした後
復帰戦として出場した全豪オープンは
無名選手同様、予選からの出場だった。
休養中、ランキングは下がりに下がり
200位にも入っていなかったのだから当然だ。


しかし全盛期さながらの圧倒的な強さを見せた澤田は
本戦への出場を難なく決めた。
その後も2回戦までは勝ち進んだけれど
シード選手との対戦となった3回戦で敗退した。
敗因は準備と練習不足なのは明らかだった。そして体力と持久力の低下も。
実力はまだまだ衰えていないことも証明された。
復帰への確実な手応えを掴んだようだとニュースでは報じられた。


その後、また世界を転戦し少しづつランキングを上げた澤田が
大きく報道されたのは全仏の前のマスターズの試合で優勝したときだった。
そのままの勢いで全仏もベスト8という好成績を残した。


そして、今回の快挙は全英オープンでのことだ。
通称ウインブルドン。すべてのプレイヤーの憧れであり
テニスの聖地でもある彼の地での準優勝は
他の誰でもない、澤田本人が一番感激していることだろう。



「うん」

「快挙快挙ってちょっと騒ぎすぎ!」


キャサリンは吐き捨てるように言うと、残りのビールを煽った。


「そんなことはないでしょ?本当にすごいことなんだし」


新しい缶を冷蔵庫から出してきた絢子は
キャサリンのグラスにそれを注いだ。


「ちっがうのよぅ!駿ちゃんの実力なら、このくらい当然なの!
こんなに騒ぐことじゃないのよ」


実はキャサリンは大学二年までテニスをしていて
将来有望とされた選手だった、というのを知ったのは
絢子が駿と別れて数ヶ月した頃だった。
ジャパンオープンで駿が高校生で初優勝するまでの
全日本チャンピオンはキャサリンだった、ということも。


「駿ちゃんが出てきて、実際に対戦したのは
彼がまだ高1の頃だった。その時は辛うじて勝ったけど
彼、まだ16になるかならないかで、身体もできてなかったの。
でもこれから成長したら・・・ヤバイって思ったわ。
桁違いに強くなるって本能で感じた。
だからさっさと海外に逃げ出したの。
そうすればしばらくは対戦せずに済むからね。
正直、怖かった。圧倒的な差をつけられて負けるのが。
やっぱりね、嫌なものよ?自分がまだピークでいるときに
後進に追い抜かれるってのは・・・」


キャサリンは 情けないでしょ、と苦く笑った。


澤田が実力を開花させ、国内では無敵の強さで連勝を重ねていた頃
海外のツアーを転戦していたキャサリンは鳴かず飛ばずな戦績に
焦りを感じ始めていた。試合を終えるたびに募る焦りで冷静さを欠いたのか
いつもならしない無茶なプレーをしたキャサリンは試合中に怪我をしてしまった。
全治三ヶ月。
軽症とはいえない診断だったが
完治すれば復帰に影響は無いと言われたのは幸いだった。


しかしキャサリンは復帰後、半年も経たないで引退をした。


「なーんかねえ・・・静養している間に熱が冷めちゃったのよねぇ」


結構きついのよ?選手でいる生活ってのはかなりストイックで、と
キャサリンは遠くを見つめながらため息を吐いた。
この人も澤田と同じく幼い頃から全てをテニスに捧げてきたのだろうと
絢子は察した。張り詰めていた糸が完全に切れてしまったのだろう。



「駿ちゃんみたいにもう一度なんて奮起は私にはできなかった。
あの場所に帰ろうなんて思えなかった。
もう辞めてもいいんじゃないかとふっ、と思っちゃったのよねえ・・・
嫌になったわけじゃなかったんだけど
他の世界も見てみたくなっちゃったというか」


それで、オネエ?と絢子が訊ねると
「そこらへんについては、またいつか機会があったら。ね?」
とウインクで〆られた。


「まあでも・・・引退してアンタと暮すなんて
言ってた人が、よくここまで復帰したとは思う。頑張ったわねえ」


絢子も静かに頷いた。



< 106 / 112 >

この作品をシェア

pagetop