Enchante ~あなたに逢えてよかった~

主だった野心も情熱もなく引き受けたにしては
私立の一幼稚園だったのを、学校法人にして
園を増やすなど、短期間で精力的に規模を大きくしていったのは
大和の代に変わってからで、保守的で古い体質に固執する当時の園長を
円満かつ狡猾に幼稚園協会理事へと転職させ
新時代の幼児教育に積極的だった当時の主任を
新しい園長に就任させた。若い先生を増やし
体育専門の男性保育士や英語講師を雇い、従来の幼稚園から
プレスクールとしての施設へと体制を整えていったのも大和だった。


それから3年後には、入園希望者が増え
またしても新しく園を増設せざるを得なくなった。
名実共に市内で子どもを通わせたい私立幼稚園NO.1となった。
それに甘んじることなく、早期教育の塾や各種講座
保護者の研修等の様々な教育関連事業を展開をして今に至っている。


「やはり勉強して知識を得ることは大切です。物事を考える力もね。
どちらも必ず自身の助けになりますし、いくら増えても重くない。
ま、これはお金も同じなんですけど」


と苦く笑った大和の次の目論見は
幼い頃に才能を見いだし伸ばして世界と渡り合える
選手を育成支援する環境を作ることなのだとか。
そのための根回しと下地作りに今は奔走しているそうだ。


「それはまあ、やるからには出来る限り精一杯のことをしなきゃ。
男ですから!」


そう言ってにっこりと笑った大和が
このクラブのテニススクールに通うようになったのは
初めこそスクール生としてだった。


スクール生には小学生以下の児童や中高生のジュニア
大学生や社会人、主婦にシルバー世代と様々に居るが
彼のような30代~40代のビジネスマンは技術の向上というより
日頃の運動不足解消を目的としていた。


大和も同じくその一人だったのだが、その腕前は
ヘッドコーチも舌を巻くほどだった。「経験者」と言う枠には
とても収まりきらない彼の技量に惚れ込んだヘッドコーチが
ぜひコーチングスタッフに加わって欲しいと熱望したらしい。


それに対して大和は「コーチなんて性に合わない」と
その誘いを頑なに拒んでいた。しかしヘッドコーチの熱心さに
ほだされたのだろう。
皆さんのストロークのお相手をするくらいなら、と
結局コーチ補佐として週に何度かコートに立つ事になった。
絢子と知り合ったのもこの時だった。


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