Enchante ~あなたに逢えてよかった~

「実は・・・折り入ってお願いがあるんです」


改まって切り出した男の真意をその瞳に伺おうにも
濃い色のグラスに阻まれて伺えなかった。


「怖いわね。何かしら?」
「怖がらないでくださいよ」


僕を何だと思ってるんですか?と苦笑いする大和が
杯を くい と一気に煽った。


帰宅後に小説の続きを書く事をまだ諦めていなかった絢子は
飲酒はせず、食事だけのつもりだった。
けれど「美味いおでんを奢りますよ」の一言に釣られ
華子はカウンターで大和と肩と盃を並べる事になった。


時は肌に少々冷たいと感じる夜風が吹く初秋。
遅い夕食を兼ねて摘むには量も重さもちょうどいい。
飲まずにはおれない大和のチョイスは
今夜の絢子にはいけず以外の何ものでもなく思えた。
でもそれは絢子の勝手でしかない。
大和は絢子の思惑など知らないのだから責めるのは筋違いだ。
しかも帰りはタクシーで送るといわれては断わる理由がない。
昨日今日知り合った浅い仲ではないのだから。


「もう結構遅い時間ですしね。イタリアンや中華じゃ
女性には重いかなと思って」



大和の相変わらずの気遣いと思いやりに
彼への評価をまた少し上げた絢子は、そのお願いとやらを
今夜ばかりは快く聞いてあげるつもりになっていた。
勿論、叶えて上げられる範囲であるのは言うまでもない事。



「・・・そうそう。ご近所が被害にあった下着泥棒は捕まりましたか?」
「はぁ?」
「だから、こないだ絢子サンが話していた下着泥棒ですよ。
その後どうなんです?」
「まだ捕まっていないみたいだけど?」
「それはいけませんね」
「確かにいけないけど・・・ねえ、どうして今、下着泥棒なのよ?」



お願いがあると言っておきながら、唐突に下着泥棒の話を振られて
絢子は戸惑いを顕わに隣の男の顔を見つめた。




「絢子サン・・・確か一人暮らしでしたよね?」
「そうよ?」
「いけませんね。危ないです。そんな泥棒がうろついてるのに女一人で。
怖くないんですか?」
「そりゃ怖いわ。でも仕方ないでしょ?一人暮らしなんだし」
「じゃ僕が一緒に住みましょうか?」



そっちのがもっと危ないわよ、と笑った絢子は軽く肘鉄を見舞った。



< 20 / 112 >

この作品をシェア

pagetop