Enchante ~あなたに逢えてよかった~

「とりあえずは絢子サンのボディガードをしたらいいですよ」


そんな大和の本気とも冗談ともわからない言葉に
それは名案と意味ありげに微笑んだ澤田は
引越しの翌日から絢子の送迎をするようになった。
酔った上での大和の戯言に澤田が調子を合わせただけで
まさか真に受けるなどとは微塵も思っていなかった絢子は
翌朝の出勤時に門扉の前に停めた車のボディに
身体を預けて立つ澤田を見て本気だったのかと唖然とした。


派遣会社を通しての契約で市役所の市議会事務局で
事務員として働く華子の勤務は 9 to 5 のきっかり8時間。
選挙のシーズンは別として、通常は早出も残業もないのが
お役所勤めのよいところだ。


澤田は朝は始業10分前に、帰りは終業10分後に庁舎前に車をつける。
しかも帰りに至ってはご丁寧に車のドアまで開けてくれる徹底振りだ。
そこまでしなくていいからと言う絢子に澤田はただ曖昧に微笑んだだけで
次の日もこれ以上ないタイミングで「お疲れ様」 とドアを開けた。


やめるつもりはないということ・・・か。


絢子は諦めのため息を小さく吐いた。
こうなるともう黙ってシートに収まるしかなかった。


こんなところを誰か同僚に見られたらと思うと気が気でなかったが
遅かれ早かれどうせ見つかって冷やかされるのだから、と
半ば諦め開き直って絢子は澤田の好きにさせた。


それがよかったのか悪かったのか、澤田は仕事の行き帰りだけではなく
お稽古事から買い物に至るまで、何時でもどこへでも
絢子の送迎をするようになった。
自分で行けるから大丈夫だと絢子が断わっても
澤田は 今はこれが俺の仕事みたいなものですから、と退かない。


これではお抱え運転手のようだと絢子は困惑と戸惑いのため息をついた。
本当なら、この人こそお抱え運転手を雇えるような人なのにと思うと
申し訳ないやら居た堪れないやらだというのに
当の澤田はそんな自分の状況をを楽しんでいるように見えるのが
困りモノで、絢子は恐縮しながらも強く拒めないでいた。


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