Enchante ~あなたに逢えてよかった~
徐々にランキングが上がり下部の大会で数回優勝し
ランキングが20位に届こうかと言う頃からは
ベストテン内の選手から練習相手の指名を受けるようになった。
それは強豪に一目置かれた存在であるということであり
実力のある選手であることの証明だった。
否が応でも注目を集めるようになり
どこに行っても人垣が出来る。サインを求められる。
スポンサーもひとつふたつと増え始め
メジャーな大会で勝ち残れるようになると
CMやTV出演のオファーもきた。
でも賞金を稼げる選手になったと実感したのは
コーチからトレーナーまでを揃えた自分の為のチームを作り
ツアーを回れるようになったことだった。
大きな荷物を抱えて一人で転戦していた頃とは雲泥の差だ。
しかしその孤軍奮闘していた頃を忘れてはいけないと
澤田は常に自分を戒めた。今の自分があるのは
あの苦しかった日々があってこそなのだから、と。
勝てないことが悔しくて、それでも続けることが虚しくて
涙した夜もあった。
自分には世界で戦える実力も才能もないのではないか・・・
さっさと辞めて日本に帰って就職でも探したほうが
いいのではないか・・・
そう思い悩んだ日々は数え切れないほどだった。
貧しい生活も澤田を追い詰めた。
わずかな賞金と両親からの仕送りでは生活で精一杯で
十分にツアーを回ることはできなかった。
その資金を稼ぐためにテニスのコーチのアルバイトもした。
ある倶楽部に所属して、いくつかクラスを担当していたけれど
あるときその倶楽部の会員である一人の女性から
プライベートレッスンを依頼された。
女性の名はシンディ。31歳の弁護士だった。
悪くないどころか好条件な上に破格のコーチ料を提示され
敏腕の噂は伊達じゃないと感心しつつも
澤田はどこか訝しさを感じていた。
しかし倶楽部のVIPであり、父親はレストラン事業を成功させた
実業家で、その名前は澤田でも聞いた事がある。
名士の娘で、弁護士なのだ。ヤバいことや危ういことには
ならないだろうと踏んで、澤田は二つ返事で引き受けた。
プライベートレッスンと称してはいたものの
実際にテニスを教える時間はごくわずかで
ほとんどは彼女のデートの相手だった。
いわゆるパトローネというやつだ。