Enchante ~あなたに逢えてよかった~
「良いのですか?本当に」
「ええ、いいの。それより大和くんこそ、本当によかったの?」
「ボクは全然大丈夫です。問題ないですよ?」
「ごめんなさい。こんな事につき合わせてしまって・・・」
「いえいえ。お芝居とはいえ、あの澤田君に勝てるワケですからね。
光栄ですよ?」
「勝ち負けじゃないと思うけど・・・」


絢子は苦く笑った。



昨夜の夕食後、明日の夜は職場の忘年会だから遅くなると
絢子は澤田に告げた。


「じゃあ 終ったら迎えに行く」

「明日はいいわ。みんなと一緒にタクシーで帰ってくるから」

「それなら俺がタクシー代わりになれば・・・」

「ダメよ。そんな事をしたらみんなが気を使うわ。
それに女子だけで二次会に行くかもしれないし」

「わかった。じゃあもし必要になったら連絡してくれ。
夜中でも構わないから」


あぁやっぱり・・・。思っていた通りの澤田の反応に絢子は
曖昧に笑って頷いた。
迎えを断わった日は澤田は寝ずに絢子の帰りを待っている。
もしかしたら迎えに出るかもしれないことを想定して
すぐに出かけられるスタイルで。
だから今夜も澤田は自分の帰りを待っているはずだ。
いつもなら、その気遣いを申し訳なくも嬉しく思う絢子だけれど
今日は違う。
起きて待っていてもらうことを逆手に取った行動なのだ。胸が痛かった。
澤田の顔を直視するのが辛いと思ったのは今朝が初めてだった。
それを気取られないように努めて平然としていたつもりだったのに
玄関を出る前に澤田に不意に抱きしめられて
朝からするには熱すぎるほどのキスをされ、動揺した。
もしかして感づかれてしまったか?・・・と絢子は焦った。


「絢子」

「ん?」

「心此処に在らず、だな」

「え?! だって・・・こんないきなり」


あはは、と軽やかな声を上げて笑った澤田は
「まじないをかけたんだよ」と囁いて
甘やかな視線の中に絢子を写した。


「何のおまじない?」
「早く帰って続きがしたくなるまじない」
「もぅ バカ・・・」


胸の奥に甘い痛みがつきんと走った絢子は
歪んでしまいそうになる顔を見られたくなくて
俯いたまま彼の胸を拳で軽く一突きして、急いで玄関を出た。




いつものように役所まで絢子を送った澤田は
「飲みすぎるなよ」 とウインドウ越しに微笑んだ。
絢子は澤田の車を見送りながら
ごめんなさいと何度も何度も心で謝った。



そして終業後。絢子は駅前のスタンドカフェへと急いだ。
待っていたのは大和だった。

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