Enchante ~あなたに逢えてよかった~
「さあ、ここからが本番ですよ」
大和に膝頭をぽんと叩かれて絢子は はい、と息を吐いた。
目前にある朝もやに静かに佇む我が家には
まんじりともしなかった澤田が待っていることだろう。
「絢子さん」
ウインドウ越しに自宅を呆然と見つめていた絢子が
弾かれたように大和へと向き直った。
「はい?」
「車を降りたら、こちら側に回ってください」
「どうして?」
「まあ、いいから。言う通りにしてください」
絢子は大和に言われるがままに車を降りて運転席側に回った。
早朝の体の芯に染みてくるような寒さに
絢子はコートの前をかき合せ肩を竦め
開いたドアウインドウから顔を出した大和の手招きに応じて
彼の視線に合わせて屈み込んだ。
「絢子さん」
「はい?・・・え?」
突然絢子の首の後ろを引き寄せた大和は
彼女の唇に自分のそれを押し当てた。
驚いて瞬きをせわしく繰り返す絢子に
唇を合わせたまま大和が呟いた。
「大人しくして居て。澤田君が見てるかもしれない」
「澤田」の一言で絢子は瞼ひとつ動かせなくなった。
例えお芝居でも愛した男の前で別の男とキスをしているなんて
居た堪れなかった。
それでもこれは自分で決めた事だ。堪えて耐えるしかない。
そう心を鬼にして絢子はきつく目を閉じて
重なっていた唇を軽く開いて大和の舌を誘い、深く応えた。