Enchante ~あなたに逢えてよかった~
「もう少しテニスを続けていたらと君に後悔して欲しくないからと
絢子さんは言ってましたよ」

「・・・・・」


呆然としたまま澤田は大和を見つめた。



「ボクとしては正直、君がテニスを止めても続けても
どっちでもいいと思ってたんです。それこそ君の言うように
君の人生だ。絢子さんと出会って惹かれて
彼女との暮らしの中に新しい道を見出したのなら、それもいいと。
どっちかっていうと、絢子さんのためにもボクはそれを望んでいたかな?
不幸な結婚に心身ともに傷ついてしまった彼女には
誠実の塊みたいな君に愛されるのが一番いいと思いましたしね。
そして、その通りになった。めでたしめでたし、だとボクは思いましたよ?
でも、絢子さんはダメだと言った。自分にその資格は無いとね」

「資格?」

「そう。君も知ってるだろう?彼女はもう子供が望めないんだ。
もちろん子供に恵まれない夫婦は世の中にたくさんいる。
それを苦にする事はない。引け目を感じることも無い。
人生のあり方も家族のあり方もそれこそ千差万別だしね」


その通りだと澤田は拳を握って力強く頷いた。


「でも絢子さんは・・・キミのその素晴らしい遺伝子を残せない事と
キミのご両親の事を思うと申し訳ないんだそうだ」

「俺の両親?」

「澤田君は確か一人っ子だろう?
その君に子供ができないとなると・・・どうなる?」


澤田は息を飲んだ。
もし自分に子どもができなかったら・・・
そんなことは今の今まで考えた事がなかった。
というより考える機会がなかった。


「俺の子ども・・・」


自分に子ができなかったら・・・
両親は寂しがるかもしれない。
普通の人生を普通に歩んでいる人たちだ。
いずれは孫にお爺ちゃんお婆ちゃんと呼ばれる日がくることを
当たり前だと疑わず、楽しみにしているかもしれない。



「絢子さんはキミを心から愛しているからこそ、キミのご家族にも
切ない思いはさせたくないんだろうね」



自分の身の上に起きた不幸な出来事だけでなく
それが元で自分の両親から孫を抱く幸せを永遠に奪ってしまった事を
心の傷として抱えている絢子だから余計に思うのだろう、と続けた大和は
目を伏せた。



「痛みを知った女性の愛は・・・何と深いものでしょうねえ」

「俺・・・」

「とはいえ、どういう形にせよ君たちは終わったわけですし
お節介なのはよーく承知していますが・・・
彼女の本意だけは君に知っておいてもらいたくてね。
二股女だと君に誤解されたままではいくらなんでも絢子さんが気の毒だ」

「先輩」

「まぁそういう事です。練習のお邪魔をしてしまって申し訳ない。
彼女の為にも全豪、頑張って下さいネ」



じゃ、また、と手を上げて踵を返した大和の背中に
澤田は慌てて声をかけた。


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