ラララ吉祥寺
半年前に母が居なくなった。
それはもうあっけない交通事故で、ある日突然に。
だから、わたしにとって母は死んだというより居なくなったという方が感覚的に正しかった。
なんで帰ってこないの?とか。夕飯はどうするつもりなのよ?とか。
昼間はパートに出て留守勝ちだった母だから、夕方になると無自覚に母の帰りを待つ自分がいた。
そんな疑問を毎日、それも数ヶ月間抱き続け、やっとここ最近、母が居なくなった事実を納得できるようになったのだ。
母が死んだ。
それはわたしが天蓋孤独になったことを意味していた。
母一人子一人。
この三十数年、その関係の中で生きてきた。
デパートの販売員として五十まで働き、その後もパート職員として亡くなるその日まで働き続けていた母。
それもひとえに収入の安定しない、しがない挿絵描きの娘との生活を維持するためだった。
故に、母が居なくなった今、これからの生活をわたし一人の稼ぎで賄わなくてはならない現実が目の前に突きつけられていた。
相続財産は自宅の土地と家。
通帳に現金は数万円しか残されていなかった。
年金受給を目前の六十三歳で他界した母の見舞金は、たったの五千円。
葬式代さえ出やしない。
雀の涙とはこのことだ。