ラララ吉祥寺

それから関東大震災、第二次世界大戦を経て、被害の少なかったこの街は人々をどんどん受け入れていった。

そして昭和44年、中央線複々線高架工事が完了し、駅ビルショッピングモールを備えたこの街は、駅前再開発の名の下一気に活気づく。
そして、なんの変哲もないこの小さな街に、突如として大型百貨店が進出してきた。
昭和46年伊勢丹。49年に近鉄百貨店、東急百貨店。53年南口丸井。55年パルコが次々とオープンした。

僅か十年の内に、吉祥寺は武蔵野の一大商業地として台頭することとなる。

母が新宿、渋谷へ一本で行ける利便性に引かれてこの地に居を構えたのが昭和50年。わわたしが生まれる少し前。
それはあっという間の出来事だったそうだ。

畑だった駅周辺の土地は宅地となり、小さな商店街は雑居ビルが立ち並ぶショッピングモールへと形を変えていった。

大型店舗は中身を変え、盛衰を繰り返し、今なおこの街の中核を担っている。

現在は、米軍跡地の再開発で開けた立川にその規模で劣るものの、未だ住みたい街上位に名の上がる人気の土地なのだ。
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