それでも、愛していいですか。
「なんですか」
「あの、えっと……」
阿久津は表情一つ変えず、奈緒を見ている。
この表情で見つめられると、どうしても萎縮してしまう。
「あの……前、会った時一緒にいた、あのきれいな女性って……」
奈緒は聞いてはみたものの、返事が怖くて顔を上げられなかった。
「ああ。あれは、妹です」
「あ、妹さん」
なんだ、妹だったのか。と安堵したのも束の間、
「妻の」
と、阿久津が付け加えた。
一瞬、頭が真っ白になった。
その言葉の意味を理解するのに少々時間がかかった。
「あ、ああ、そうなんですか、奥様の……」
呪文のように口先だけが動いていた。
放心状態でなにも考えられない。
「じゃ、失礼するよ」
「あ、はい……」
阿久津は来た道をさっそうと戻っていった。
その場に取り残された奈緒は、しばらく阿久津の背中を眺めていた。
「妻の」という言葉が無情にも頭の中で何度もぐるぐると回る。
やっぱり、結婚していた。
やっぱり、先生は大人だった。
「既婚者」という確定的な事実を知ってしまった今、かすかに残っていた淡い期待さえも完全に打ち砕かれ、打ちのめされた。