また会う日まで
第一話
ガサガサと草をかき分けながら、先へと進む。これ以上僕が進むことを拒んでいる証拠なのか、平均男性の腰の高さまで生茂る草たち。この周辺が人の立ち入りを何年も許可していないことがよくわかるほど、雑草が男の行く先を邪魔する。
「くっそ」
こんなところで死んでたまるか、と強く歯を噛みしめる。身震いさえもしてしまうのは、まだ白昼だというのに、太陽の光さえも遮断しているのかと思うほどの、幾多にも及ぶ木々のせいなのか。心臓がいつもよりも煩く動くのは、自分が兵士であるのにもかかわらず、戦場から大きく離れた深い森を迷い続けているからであって。戦場から逃げ出した腰抜け兵士、なんてかっこ悪いことも百も承知。
だが、左手で押さえている腹部と、出血により真っ赤に染まりつつある左太ももが、すぐさま戦線離脱をせよ、と命じていた。
もしもあの時、己の身を案じて後先考えずに、あの場所にいたら? 今、この時でさえも自分の命は存在していたか? おそらく答えは否だ。
「ちきしょう」
そもそもが違っていたのだ。一体どこの馬鹿が「あの国は技術の遅れている言わば典型的な後進国だ」と言ったのか。彼は走れば走るほど流れ出る出血に、焦りを感じ、動かしていた足を止めた。まだ戦は続いているのか、小さくではあるものの、時折爆発音が耳に届く。
見たこともない最新の科学技術を使用した平気に、手も足も出なかった、があの場所で戦った者としての本音だった。ライフル銃と少ない食料と実弾で十分だといっていた、軍の司令官に現状を見ろよと言いたい。何よりも、自国で優美に紅茶を飲みながら詩を作っているだろう原下基夜(はらしたもとや)五十八歳、現在二人の息子と八人の孫に囲まれ暮らしている彼の顔を、思う存分殴りたい。
だが、今優先すべきことは己の命なのだ。戦線からできる限りで構わない。出血を止めて、今にも死にそうな状態を、何とかして打破しなければならない。が、走れども走れども、見えてくるのは太陽の光を妨げる木々と、どれだけ手入れが疎かであれば気が済むんだと言いたくなるほどの雑草。いっそうの事、この場でポーチの中に入っている道具で応急処置をしてもかまわないのだが、せめて小さな小屋の中や、もう少し命の安全性の高い場所で、と考えるのは、と考える少年は、とにかく走って前へ進む。もしも、この状態が長く続くのであれば、自害をも考えてしまうほど、彼の立場は危ないものだった。
「あんのくそじじいが。帰国したら絶対に殴る」
もちろん、上司を殴れば、今の職にはいられない。新しく職を探さなければならない。その前に帰国できるかどうか、があやしいが、とにかく殴らなければ心のもやもやが消えてくれない。
進めども何の変化をも示さない風景に、青年はぴたりと足を止めた。
「音が、やんだ?」
あり得るだろうか、少し走ったぐらいであれほど耳障りだと思っていた音が、これほどまでに気にするのをやめたのだ。異常だとしか思えない状態に、彼は目の前の草をかき分け、あんまりの迫力に今の自分の状況さえも忘れてしまった。
「すげ、なにこれ」
目の前に大きく立つのは、一体樹齢何年目になるのだろうか、と思うほどの立派な大杉の木。本当に太陽にまで届くのでは、と疑いたくなるほどの大きさに、青年は言葉を失った。
「そこの人」
不意にかけられた声に、素早く後ろを振り向いた。百合の花束を両手に持った少女に安心したのも束の間だった。
「あなたっ! 怪我をしているではありませんかっ! シノミヤ、それを私に貸しなさい」
少女は百合と同じ白のワンピースを着ていて、どこかしら上品なオーラが出ていた。何かを見て心配している顔は、どうしてか、青く染まっていた。おそらく、腹部等で、さらに足からの出血をしている青年を見て、顔を真っ青にしたのだろう。
白い肌と幼い顔立ちの少女と、少女の横にいる体格のいい男の事で、彼は不安だった。彼女は確かに「シノミヤ」と言ったのが、もしも青年の知っている彼だとしたら、この先の命は存在しない。
篠宮蓮(しのみやれん)は、青年の住む国とは敵対国の皇女侍従職にして、国王様の最たる信頼を得られるほどの剣士。もしもこんな場所で戦うともなれば、自分の命はないと覚悟を決めなければならない青年。怪我をしていなくとも、うまく逃げられるとは、とてもではないが思えない。ましてやこの状況だ。確実に命を落とす。
しかし、と彼女の言葉を否定しようと思った男に、少女の怒りは限界に近かった。男の瞳を見つめる少女。
突然だった、青年はここで意識が途切れた。
「くっそ」
こんなところで死んでたまるか、と強く歯を噛みしめる。身震いさえもしてしまうのは、まだ白昼だというのに、太陽の光さえも遮断しているのかと思うほどの、幾多にも及ぶ木々のせいなのか。心臓がいつもよりも煩く動くのは、自分が兵士であるのにもかかわらず、戦場から大きく離れた深い森を迷い続けているからであって。戦場から逃げ出した腰抜け兵士、なんてかっこ悪いことも百も承知。
だが、左手で押さえている腹部と、出血により真っ赤に染まりつつある左太ももが、すぐさま戦線離脱をせよ、と命じていた。
もしもあの時、己の身を案じて後先考えずに、あの場所にいたら? 今、この時でさえも自分の命は存在していたか? おそらく答えは否だ。
「ちきしょう」
そもそもが違っていたのだ。一体どこの馬鹿が「あの国は技術の遅れている言わば典型的な後進国だ」と言ったのか。彼は走れば走るほど流れ出る出血に、焦りを感じ、動かしていた足を止めた。まだ戦は続いているのか、小さくではあるものの、時折爆発音が耳に届く。
見たこともない最新の科学技術を使用した平気に、手も足も出なかった、があの場所で戦った者としての本音だった。ライフル銃と少ない食料と実弾で十分だといっていた、軍の司令官に現状を見ろよと言いたい。何よりも、自国で優美に紅茶を飲みながら詩を作っているだろう原下基夜(はらしたもとや)五十八歳、現在二人の息子と八人の孫に囲まれ暮らしている彼の顔を、思う存分殴りたい。
だが、今優先すべきことは己の命なのだ。戦線からできる限りで構わない。出血を止めて、今にも死にそうな状態を、何とかして打破しなければならない。が、走れども走れども、見えてくるのは太陽の光を妨げる木々と、どれだけ手入れが疎かであれば気が済むんだと言いたくなるほどの雑草。いっそうの事、この場でポーチの中に入っている道具で応急処置をしてもかまわないのだが、せめて小さな小屋の中や、もう少し命の安全性の高い場所で、と考えるのは、と考える少年は、とにかく走って前へ進む。もしも、この状態が長く続くのであれば、自害をも考えてしまうほど、彼の立場は危ないものだった。
「あんのくそじじいが。帰国したら絶対に殴る」
もちろん、上司を殴れば、今の職にはいられない。新しく職を探さなければならない。その前に帰国できるかどうか、があやしいが、とにかく殴らなければ心のもやもやが消えてくれない。
進めども何の変化をも示さない風景に、青年はぴたりと足を止めた。
「音が、やんだ?」
あり得るだろうか、少し走ったぐらいであれほど耳障りだと思っていた音が、これほどまでに気にするのをやめたのだ。異常だとしか思えない状態に、彼は目の前の草をかき分け、あんまりの迫力に今の自分の状況さえも忘れてしまった。
「すげ、なにこれ」
目の前に大きく立つのは、一体樹齢何年目になるのだろうか、と思うほどの立派な大杉の木。本当に太陽にまで届くのでは、と疑いたくなるほどの大きさに、青年は言葉を失った。
「そこの人」
不意にかけられた声に、素早く後ろを振り向いた。百合の花束を両手に持った少女に安心したのも束の間だった。
「あなたっ! 怪我をしているではありませんかっ! シノミヤ、それを私に貸しなさい」
少女は百合と同じ白のワンピースを着ていて、どこかしら上品なオーラが出ていた。何かを見て心配している顔は、どうしてか、青く染まっていた。おそらく、腹部等で、さらに足からの出血をしている青年を見て、顔を真っ青にしたのだろう。
白い肌と幼い顔立ちの少女と、少女の横にいる体格のいい男の事で、彼は不安だった。彼女は確かに「シノミヤ」と言ったのが、もしも青年の知っている彼だとしたら、この先の命は存在しない。
篠宮蓮(しのみやれん)は、青年の住む国とは敵対国の皇女侍従職にして、国王様の最たる信頼を得られるほどの剣士。もしもこんな場所で戦うともなれば、自分の命はないと覚悟を決めなければならない青年。怪我をしていなくとも、うまく逃げられるとは、とてもではないが思えない。ましてやこの状況だ。確実に命を落とす。
しかし、と彼女の言葉を否定しようと思った男に、少女の怒りは限界に近かった。男の瞳を見つめる少女。
突然だった、青年はここで意識が途切れた。