また会う日まで
軍に入った理由は、単純すぎていたけど、納得のいくものだった。三男五女に両家の祖父母四人の合計一四人の我が家に、経済的な余裕はどこにもない。一家族に着き大体十人以上は一緒に住むのが当たり前の国で、さして珍しくもない我が家。
だが、下の子三人が入退院を繰り返すほど体が弱いともなれば、当然、治療費や薬代などが一度に三人分は消えていくこともしばしば。風邪が流行中の時は特に出費が痛いので、国が治療費云々を全額負担でもしてくれない限り、我が家は経済的な余裕などはどこにもない。定年を過ぎた祖父母たちが、今もなお働いている理由はこれだ。
「軍隊学校に行けばお金がもらえる」
「兵士として働けば、ごく一般的なサラリーマンの月給の約五倍の給料」
この話を聞いて、志願しないはずがなかった。運がどう動いたのか、軍隊学校での自分の努力は報われて、念願の兵士、しかもそこそこの地位を手に入れた。
だけど、うまい話には裏があるとは、昔の人も良く上手いことを言ったもので。いくら交替制とはいってもこんなにも重労働だとは思わなかった。さすがに離職率が高いとだけあってか、途中で仕事を辞める人もかなり多い。当然だろう。いくらなんでも二十五時間勤務に十七時間労働は、まだ楽と考えるこの職業。並大抵の覚悟で入れば、軍隊が故に後々病院送りともなる。ましてや兵士。命の危険に晒されることなんて、日常茶飯事。もう無理、のたった一言だけを残して辞めるものも多い。
だが、こんないい加減な理由で今の職を離れることが出来るほど、我が家の家系は苦しくないはずがなく。命の安全性を持っての月給の安い職に就くか、命の危険性と今後の英雄的存在との二つの意味を持つ、今の高給な職にするか。家の事を考えれば、明らかに後者だ。
分かってはいたはずだった。同期として入隊した人たちが、泣きながら辞めていく姿を見ていた自分だからこそ、知っていたんだ。
『こんな所にいつまでもいてられるかよ』
こんなことを言うのは、同期で入った彼らだけではない。
『東野(ひがしの)くん、あなた、いつまでも家の為だって言っていたら、そのうち身を滅ぼすわよ』
先輩として入ってきた女の人が、いつだったか、行っていたのを思い出す。今となってこの言葉の意味が、ようやく理解できた。遅いと笑うだろう。お前は馬鹿だと見下すだろう。だとしても気がつけたのであれば、これは立派な成長としての証なのではないのだろうか?
彼が目を覚ませば、まったく見知ら知らぬ世界が広がっていた。
「ここは一体?」
ふわふわとした感覚が体の中にまだ残ってはいるが、ゆっくりと起こして、部屋を見渡す。青年、アキラ・東野は見慣れない空間に、戸惑いを感じずにはいられなかった。一人部屋にしては十分すぎる広さの14枚の畳が、床に隙間を作ることなく並べられ、ふんだんに使用されている壁の四隅の木材。和紙と思われる紙で描いた水墨画の仕切り。これは一体どういうことなのだろうか、と考えるアキラの頭が少しずつではあるものの、記憶を取り戻していく。
「たしか」
自分は一体何をしていたのか、と思い出しそうになったアキラは、ふと床の間と呼ばれる場所に置かれている刀が、視界の中に入り込んだ。
「あれは、一体・・・?」
「アレは、日本刀と呼ばれる外来品でございます」
不意に聞こえた声、アキラはすぐさま少女を見た。水色のワンピースは、少女の背中で大きなリボンを作っていた。さらさらと結い上げることのない、胸元までのびる黒髪は、不潔なイメージを取り払っている。
アキラは少女のこと、そして己の立場をようやく思い出して、顔を真っ青にした。敵対国の国王様最も信頼を得ている篠宮蓮と一緒にいた少女と、戦線離脱をした腰抜け兵士。さっと血の気が引いていくのが、アキラ自身も分かった。
すると少女はアキラの考えていることが分かったのか、手を取って言った。
「大丈夫、貴方の事を死なせたりはしない。皇族の者として、ここで誓うわ」
優しい瞳で言った少女に、アキラは驚きを隠せなかった。普段、耳にすることのない皇族の言葉が、どうしても心の中で引っかかってしまうのだ。
「こ、うぞ、く?」
アキラが首を傾げ、日頃使うことのない単語に疑問を抱いていた時だった。
「貴様は不敬の罪で、敵地で命を落としたいのか?」
和紙と木材を使用した「襖」に背を預けて言った男に、アキラは己の身体の事も忘れて、立ち上がろうとしたが、
「不敬の罪で問われてもおかしくないのは、貴方ですよ、シノミヤ。女性のいる部屋と分かっておきながらも、ノックと失礼しますもないとは、一体何事ですかっ! 人の事をご指摘なさる前に、まずはご自分のことをお考えになりなさいなっ!」
声を大にしていった彼女に、アキラも「シノミヤ」と呼ばれた、体格のいい男は、はっと我へと戻ると深く頭を下げ謝罪の言葉を口にした。呆然として何が起きたのかすら理解できていないアキラに、少女は「そうだった」と言って、「シノミヤ」から木箱を受け取っては、咳払いを一つこぼした。
「自己紹介がまだだったはずよね? 私はアルゼリア王国第二皇女、桜乃宮椿(さくらのみやつばき)です。年は一二」
「桜之宮って、キミ、本当に皇族の姫君だったの?」
前のめりになって言うアキラに、今度は冷たい視線を送る。はっとなったアキラを見ては、少女、椿はため息をこぼす。小さく「これぐらい許してよ」と言ったが、この意見は彼に通用しないことを知っているためか、どうしようもない。椿はもう一度大きく息を吸い込む。
「私の隣にいるのが、篠宮蓮。体つきが良いし大きいから恐ろしく感じるけど、本当は大の猫好き。ちょっと前に大好きだって言ってくれた女性と別れた原因になるぐらい、大好きなんだって」
「最後は余計です、姫」
顔を赤くしながら言った連に、アキラも少しだけ緊張の糸が緩んだ。
「篠宮さんの事はリア国でも十分知られております。初めまして、リア国出身のアキラと言います。今回は命を助けていただき、本当にありがとうございました」
座りながらではあるものの、しっかりと自国の礼法ではあるものの、頭を下げるアキラに、椿は自慢げに「何人たりとも病人であれば救え、と言っていた父様の言葉に従っただけよ」と言った。明るく笑う椿に、アキラの心の中で安心が育っていた。蓮はじっとアキラと椿を見て、静かに笑い、部屋を出た。
「貴方って人は、文句があるなら、直接本人に文句を言えば良いでしょう」
アキラと椿のいた部屋を出てすぐ角に、蓮は彼とばったりと会ってしまった。否、彼が蓮を待っていたのか?
「あの子がリア国の兵士を助けたと聞いた時は、一体何の誤報かと心底驚きましたよ」
口元に手を当てて言う彼に、蓮は言葉が上手く出てこなかった。なんせ、椿の手伝いをしたのは自分だ。己の出身国が椿とは異なっていたからこそ、アキラを助けることに成し得たのだ。もしも自分があの場でアキラを見捨てていたりしたら、出身国が異なれば、間違いなく椿は己の生まれた国と蓮を憎むだろう。どうして彼を助けられなかったのだろうか、と。
「姫さまからしてみれば、敵対国も関係ないのでしょう」
くすくすと笑いながら屋敷の奥へと進む蓮と彼を見た者は、顔を青くし、慌てて頭を下げた。彼らに対し、二人は軽く頭を下げた後、あの子は、と言った。
「あの子は、あのことを忘れてしまったのだろうか?」
冷たくも悲しい風が、二人の間にだけ吹く。ひゅう、と季節外れの風が。
「さて、どうでしょうか?」
いたずら心満載で笑った蓮に、彼の表情が暗くなった。
「少なくとも、貴方と同じ考えではないと思いますが」
ますます顔色を暗くしていく彼に、蓮は今しかないと思い、口を開いた。