また会う日まで

 最初は何か、ほんの冗談か何かだろうと思っていたアキラは、外を見て、改めて現実を知り、言葉さえも失った。戦線離脱後、敵対国の皇女に助けてもらった腰抜け兵士の名が、帰国後に降りかかって来るであろう状態の彼は、見たこともない絶景を前にしていた。
 「この国の中央にはね、ここの建物、つまり艶竜館(えんりゅうかん)っていうのが存在するの」
 指を差しながら言う椿には、アキラの心情を理解するのには、難しい年齢だとばかり思われていた。まだ十を少し過ぎた女の子に、
 「だったら戦線離脱をした腰抜け兵士が敵地で、しかも皇女に介護されたこっちの身にもなってみろよ」
 と言ったところで、彼女はどれほど理解してくれるだろうか? 半分も分かれば上等とも考えるアキラは、目の前に移る異国の光景を見ながら、頭の中でとあることが浮かんだ。
 「心配ですか?」
 首を傾げながら言う椿に、アキラは少しだけ驚き、口を開いた。
 だが、出てきたモノは言葉でも音でもなく、ただの空気と数えきれないほどの後悔。
 お金よりも命が大切だから、ともしも兵士を志願していなければ、家族は、自分は幸せだったのだろうか? ごく普通の会社に入れば、こんなにも取り返しのつかないであろう事態に、巻き込まれることなく、暮していけたのだろうか? それで、高給の兵士にならずとして、自分の家の経済は、大丈夫だったのだろうか? 考えれば考えるだけ深まる闇に、アキラは立つ気力さえも失った。
 「国へ、戻りたい、帰りたい、ですか?」
 膝をつき、優しく言った椿に、アキラは静かに頷いた。こぼれ落ちた涙が、確実に彼のズボンを濡らしていく。
 「・・・・・貴方を、あなたの祖国へ生きて帰国させることを、しっかりとお約束いたしますから、安心なさってください」
 そっとアキラの手の上に、自分の手を重ねて言った椿が、信じられなかった。目を丸くして、今にも疑いかかってもおかしくない彼に、椿はにっこりと笑い、言った。
 「皇女って、けっこう決定権があるんですよ?」
 まさか十過ぎの少女が「決定権」といった言葉を使うとは思わなかったが、彼女は確かに言ったのだ、生きて帰国させる、と。
 「ですから、安心して――――」
 自然と紡ぎだされた言葉を発した椿に、アキラは目を丸くし、だが感謝の言葉でいっぱいだった。

 「しっかし、弱ったよな」
 包帯を変えてもらったアキラは、窓から見える街を横目に、ただ一人呟いた。異国が初めてなうえに、自分は今、敵対国にて怪我の治療までしてもらっている、この事が、自分が腰抜け兵士であることを表しているようで、心底情けなく思うのだ。一刻も早くこの場を立ち去って本国で優雅に紅茶を飲んでいる原下基夜を殴りたくて、身体が帰国を促しているのだ。
 ところが現実は違う。確かに身体は帰国を急ぐが、戦で負傷した足や腕、腹部はまだ動かないでくれ、と痛々しくも叫んでいる。一刻も早い帰国を、本来であれば望むところなのだが、アキラはもう一度自分が怪我をしたところを見ては、笑うことしかできなかった。この状態で帰国したところで、激しい山道の途中で命を落とすのが目に見えている。せめて足と腹部さえ怪我していなければ、ここを抜け出せただろう。
 「どうしようもないな」
 どうしようもなく、行き場もない後悔と反省しかないため息をこぼしては、ふと窓を眺める。もう時間が遅いためか、太陽が空に居座ってはいないが、丸く輝く大きな月が、灯篭で街を彩ることを臆することなく、照らす。アルゼリア王国は別名「灯籠の国」との名前がつくほど。人々は豆電球よりも、灯篭を扱う生活の方がより身近だ、と思えるのだろう。窓からでも人々が灯籠を手にし、列を作り、どこかへと向かっている姿が映る。一体上司はこれを見て、どこが技術の遅れている後進国だと判断したのか? 下手をすれば、リア国の方が、技術の遅れている状態だ。
 ふと、アキラは自分が初めての異国に、我を失いかけていることに気がついた。人々は夜に灯籠を片手に列を作っているのだ。はっと壁に飾られた時計を見て、時刻を確認する。
 彼らは何の疑いもなく、たった一ヵ所をめざしているのだろう。原因も、目的も、理由も、彼らが口にするまでもなく、むしろアキラはよくわかっていた。一国の皇女が自分をこういうふうにしたら、周囲の者が何をどう思うか。全て分かっていたはずだった。ぐっと右手を握り数秒。ここで動かなければ、きっと後々後悔するのは目に見えていたアキラは、後ろめたい感情を捨て去り、部屋を出た。時刻は、日付が変わる五分ほど前だった。


 外があんまりにも煩すぎて目が覚めたのは、これで二度目だ。一回目は国王様が酒に酔った勢いで発狂した時だった。あの時の事を知る者は誰もが言う、もうあの人にお酒をやるな、と。
 ゆっくりと体を起こしては、現状を確認しようとしうと出来る限り頭を動かす椿。内心、またあの人は、と思いながらも、いつも蓮から言われていた言葉を思い出した。
 『お嬢様、早くご就寝なさってください。大きくなれませんよ』
 椿のコンプレックスを知っていた蓮は、夜の九時を大幅に過ぎても本を読む彼女に、まるで口ぐせのように言っていた。おかげさまで、とでも言うべきか、椿の毎月の読書量は、同じ年齢の子と比べてもすさまじいもので。毎晩、毎晩、本を読んで寝る習慣をつけている椿のベッドの上には、いつもジャンルの異なる様々な、数冊の本が置かれている。
 椿はベッドの上から起き上がっては、何人もの人たちが廊下を走る音に、首を傾げる。時間を見て、もしかしたら父親の身に何かあったのでは、と顔を青くさせる。夜は余程の事がない限り、静かにさせてくれ、の国王様の一言で、夜に何かあった場合、朝議の際に報告となる。以前、夜中に酒の力を使い発狂して国民を驚かせたのは誰か、と言いたくなる発言だが、皆、このシステムが当たり前だと分かっている以上、夜中に廊下を走ることは、ありえないのだ。
 じっとベッドの上で正座をし、考えることほんの数秒。椿は上着を手にすることも、目にすることもなく、そっとベッドの上から床へと足をつけ、部屋の扉を押した。そっと、出来るだけ誰にも邪魔などされないように、気がつかれないように部屋を出る。左右、誰もいないことを確認し終えると、思わず長いため息をこぼした。
 「何もないじゃない」
 だとしたら先程まで続いていた、騒がしさ。あれは一体何を意味していたのか? また国王様が何かをやらかしたのか? 椿はそこまで深くは考えることなく、くるりと振り返り、
 『我々はあ! 敵対国にい! なさけをかけるう! 行為をっ!断じてっ! 認めないっ!』
 ドアノブに手をかけようとした椿は、突然拡声器とスピーカーの両方を用いてまで作り上げたと思われる音に、大きく肩を揺らした。声の低さと野太さからして、先程の声の主が男性であることが分かる。
 心がこれほどまでに痛く感じられるのは、おそらく自分がやらかしてしまった、と分かっているからなのだろう。椿は瞳を閉じて、ゆっくりと考え、深呼吸を数回ほど繰り返す。目を閉じれば、優しく笑う、今は亡き母親の姿が浮かぶ。
 「最善の、答えを」
 まだ五つにもなっていなかった椿に、彼女はいつも口を酸っぱくして言っていた。
 「悩んで、悩んで、最善の答えを」
 どうして自分が彼を助けようと思い、行動した理由。何故、外で多くの人たちが、声高らかにしてまで叫ぶのか? 答えなんて分かりきっているはずだ。椿は目を開き、確実に前へと進む。

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