チェリとルイル
チェリという娘
「……ちゃん……おねえちゃんってば」

 はっと、チェリは顔を上げた。

 赤毛の少女が、覗きこんでいる。

「あ、ごめん……私寝てた?」

 丸太小屋のテーブルに、顔を突っ伏して居眠りしていたようだ。

 チェリは、意識をはっきりと覚醒させるべく頭を左右に振ってから、改めて少女を見る。

「おはよう、ルイル」

「もう、おはようじゃないよ。夕方だよ、夕方。私が、スープ作ったんだからね」

 しっかりものの、可愛い妹だ。

 白い肌に微かにそばかすの残る頬をふくらませ、文句を言うルイルは、15歳。

「あ、ありがとー。嬉しいなあ」

 こげ茶色の髪とほどよく焼けた肌の、やせっぽちで呑気なチェリは17歳。

 森の入口の丸太小屋に、二人で住んでいる。

 父が死んで三年。

 一時はどうなるかと思いながらも、何とか日々の暮らしを続けている。

 父は、狩人だった。

 弓の名手で、いつも獲物をぶら下げて帰って来ていた。

 チェリも、十歳を過ぎてからは一緒に森に入るようになり、父から弓を学んだ。

 長く歩いたり、じっくり待って狩りをするスタイルは、彼女の性質によく合っていた。

 それに、森の中にはたくさんの楽しい場所もある。

 綺麗な泉や、小鳥の巣。

 おいしい果物の実る木に、矢じりに加工しやすい石。

 時折、怖い生き物に出会うこともあったが、チェリは木に登るのも得意だし、長く息を止めるのも得意だ。

 これまで何とかやってこられたので、これからも何とかやっていけるだろう。

 父から生きる術を学んでいたおかげもあって、彼女はお気楽にそんなことを思った。

「ところでおねえちゃん……村の人に頼まれたこと、どうするの?」

 夕食の席で、ルイルが彼女の記憶の瓶を揺さぶった。

「ああ、そういえば……何かあったね」

 チェリは、瓶の中をよく撹拌するように頭を振る。

 うたた寝していたせいで、まだ色々はっきりしない。

「もう……森の中の魔法使い退治の話でしょ」

 瓶の中からは。

 予想以上に、衝撃的な内容が転がり出てきたのだった。


 ※


「ああ、そうそう。森の魔法使い退治……って、退治!?」

 チェリは、妹の言葉を反芻しながら、その言葉の大きさに驚いた。

「退治だったっけ? 様子を見てきてとかそういうことじゃなかった?」

 今日のお昼過ぎ。

 チェリは家の傍で、矢を作っていた。

 そこへ、村の人たちが訪ねてきたのだ。

 いつも森で獲れた肉や皮を、野菜などと交換してくれる顔見知りの人たちは、奇妙な顔を見合わせながら、彼女にこう言った。

「最近ね、悪いことばかり起きるのよ」

 空き家が燃えたり、盗賊が来たり、穀物倉に虫がわいたり、病気が流行ったり。

 ここしばらくの間に、立て続けに不幸が起きているという。

 長老と村長と司祭が話し合った結果。

「森の魔法使いが、悪さしてるんじゃないかって話でね」

 ぽーんと、話が大きく森の中へと飛んだ。

 はあ、とチェリは頬をかく。

「昔もあったらしいのよ。森の魔法使いが、人をさらったことが」

 村に住んでいないせいで、彼女の知識は随分偏っている。

 だから、そういった昔話も、知らなかった。

「でもね、村人が森に入っても、絶対に魔法使いのところにはたどり着けないんだよ」

 それで。

 森を生きる拠点とする、狩人のチェリにお鉢が回って来た、というわけだ。

 魔法使いを見つけて、何をしているか見て来ておくれ。

 確か、そんな話。

「ばかね、おねえちゃん」

 ルイルは、のんびり思考の姉に、びしっと指をつきつけた。

「魔法使いを見つけました、怪しいことをしてるみたいでしたって、報告したって『どうせ、退治してきて』って次は頼まれるに決まってるじゃない」

 はあ。

 チェリは、気おされつつも、まったく気のりはしなかった。

 様子を見て来て欲しいと言われたから、運よく見つけられたらそれくらいはしてもいいかと思っていたが、退治というと話が違う。

「矢は、人には向けちゃいけないんだけどなあ」

 父親の教えを口にしたチェリは、妹に三倍以上の口うるさいガミガミをいただく羽目となってしまったのだった。


 ※


 魔法使い、か。

 チェリは、森に入っていた。

 魔法使いの家を知っているかと聞かれたら、いいえと答えるしかない。

 それは、運がいい時に、時々見えるに過ぎないからだ。

 いつも違う場所で。

 森の木々が、突然開ける事がある。

 あれ、と思う。

 ここはまだ木が続いていたはずなのにと、記憶の不一致に首を傾げながら、きょろきょろすると、そこに家がぽつりとあるのだ。

 石作りの家。

 煙突からは、ゆるやかに煙が上がり、中に人がいるのは分かる。

 最初に見たのは、父親と一緒の時。

『お父さん、あれなに?』

『魔法使いの家だよ』

 その頃は、魔法使いがどういう人かは知らなかった。

 いまも、実はよく分からない。

 チェリは、魔法使いを見たことがないのだ。

 家は見たが、父親はその家に向かって足を踏み出すことはなかった。

 次の木へと足を踏み出した後、振り返った時にはもう、その家は見えなくなっているのだ。

 彼女が一人で森に入るようになってからも、魔法使いの家はそのまま素通りしていた。

 ただ、ゆるやかに昇る煙を、しばらく眺める事はあった。

 煙は、誰かが生きている証。

 中から、誰か出てこないかな。

 素朴に、そう思ったことがあったのだ。

 そんな家に住む魔法使いを、見て来いと言われた。

 昨日、ルイルがぎゃんぎゃん言っていた物騒なことなど、既に彼女の頭からは抜けおちている。

 そんなことより。

「手土産とか、持っていったほうがいいかなあ」

 人の家を訪問しなれていないチェリは、真面目にそんなことを考え込んでいたのだった。
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